諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
flower/ワンダーランズ×ショウタイム×鏡音レン
ぼくのかみさま
について哲学的に考察していく。
「ぼくのかみさま」MV
ぼくのかみさまの歌詞
夕立とカラスの群れを
影が飲み込んでいました
かみさまは覚えてますか
僕の声が聞こえますか
貴方はいつからここにいて
誰かの帰りを待っていた
生きたいな強くならなくちゃ
まずは、狼煙をあげてくれ
行かなくちゃ、
ぼくのかみさまかみさまが
大好きでした
大人にはなれない
ぼくはぼくは、
ぼくはまた貴方に会いに行く
ありがとね、
大事にするねしばらくは、
寂しくなるね見えないね、
煙が染みて
夜が来る前にさよなら
言わなくちゃ、
ほら言葉にして
ぼくはそんな強くなくて
見ていてね、
忘れないからねだから、
狼煙をあげてくれ
行かなくちゃ、
ぼくのかみさまかみさまが
大好きでした
ぼくはもっと話がしたい、
だからだから、
また貴方に会いに行く
さよならだ、
ぼくのかみさまかみさまが
大好きでした
貴方にはもっと
見せたかったけど
仕方がないね
行かなくちゃ、
ぼくのかみさまわかってる、
帰りは一人
これからは貴方の歌を歌う
僕はまた会いに行く
序論 神と人間の対話の可能性
少年:
「僕のかみさま」という曲は、
何か特別な存在への
思慕と別れを描いていると思います。
でも、この「かみさま」は
伝統的な神ではなく、
もっと身近で、
個人的な存在のように感じるんです。
それは大切な人かもしれないし、
自分の中の理想像かもしれません。
この「かみさま」は
どう捉えればいいのでしょうか?
メロディウス:
実に興味深いね、少年。
この「かみさま」が意味するのは、
君が言うように
伝統的な神とは限らない。
むしろ、個々人の内面に
存在する超越的な価値や、
自分を超えた大切な存在の
象徴とも言える。
さて、この歌詞を深く見ていこうか。
「かみさま」とは誰なのか、
そしてなぜ「ぼく」は
その存在と別れる必要があるのか。
第1章 「かみさま」とは何者か
少年:
歌詞の冒頭で、
「夕立とカラスの群れを
影が飲み込んでいました」
という描写がありますよね。
この暗い情景は、
何か終わりを告げるような気がします。
まるで世界が沈黙し、
「かみさま」との別れを
予感させるようです。
メロディウス:
確かに。夕立は一時的なものだが、
その激しさは感情の高まりを表している。
そしてカラスは死や別れを
象徴することが多い。
つまり、この情景は
「ぼく」が何かを失う
準備をしている暗示と言えるね。
そして、
「かみさまは覚えていますか」
という問いは、
人間が抱く究極の孤独を
表現している。
神が覚えているなら、
それは「ぼく」が
まだ忘れ去られていないことの
証だからだ。
少年:
でも「かみさま」は、
人間と同じように
「誰かの帰りを待っていた」
とあります。
神が待つというのは、
どういうことなんでしょう?
メロディウス:
面白い指摘だね。
この「かみさま」は全能ではない。
むしろ、「ぼく」と同じように
不完全な存在として描かれている。
だからこそ、
「かみさま」は
人間に寄り添う存在として
感じられるのだろう。
もしかすると、
この「かみさま」は
「ぼく」の投影、
つまり「ぼく」の弱さや
希望そのものかもしれないね。
第2章 別れと再会への希望
少年:
次に、「行かなくちゃ、
ぼくのかみさま」と続きます。
ここには、別れが避けられない
運命であることが示されています。
でも同時に、「大好きでした」
と過去形で述べることで、
感謝や愛情が
強調されているのが印象的です。
メロディウス:
この部分は、
時間という概念が鍵になる。
「ぼく」は過去を受け入れ、
未来へ進む決意をしている。
それは、別れが成長の
一部であることを示唆しているね。
さらに興味深いのは、
「まずは、狼煙をあげてくれ」
というフレーズだ。
狼煙は何かを知らせるシンボルだが、
ここでは「かみさま」からの
最後の導き、
あるいは別れのサインとして
解釈できる。
少年:
それに続く
「ぼくはもっと話がしたい、
だからまた貴方に会いに行く」
という言葉には、
再会への強い希望が
込められていますね。
でも、この希望は現実の再会なのか、
それとも精神的なものなのか、
どちらなんでしょう?
メロディウス:
それはどちらとも言える。
再会の約束は、
生きる意味や未来への
希望を象徴しているのだ。
実際の再会かどうかは重要ではない。
「ぼく」が「かみさま」と
対話を続ける意思こそが、
この物語の核心だ。
別れを超えて、内面での
「かみさま」との繋がりを
維持しようとする姿勢が重要なんだよ。
第3章 「かみさま」の歌と一人での旅
少年:
「これからは貴方の歌を歌う」
という一節も心に残ります。
これは「かみさま」の存在を
記憶に留める行為だと思いますが、
それ以上の意味があるのでしょうか?
メロディウス:
素晴らしい指摘だ。
「かみさまの歌を歌う」とは、
記憶を共有し、広げていく行為だ。
この歌は「ぼく」の感謝の表現であり、
さらに「かみさま」を他者へ伝える
使命感のようなものとも言える。
そして最後の
「帰りは一人」という言葉が、
それを強く裏付けている。
「かみさま」はもう共にはいないが、
「ぼく」はその精神を
引き継いで進む覚悟を示している。
少年:
でも、それは
とても寂しいことですね。
どうして「ぼく」は
一人で行かなくては
ならないのでしょう?
メロディウス:
人は究極的には
一人で生きるものだからだよ、少年。
しかし、その孤独は
必ずしも絶望ではない。
この歌では、孤独を通じて
「ぼく」が成長し、
自分の道を見つける物語が描かれている。
一人になることは、
失うことではなく、
何かを得るための必要な過程だ。
結論 別れを超えて
少年:
この歌詞全体を通じて、
「ぼく」は「かみさま」との
別れを受け入れ、
その存在を心に刻んで
前に進む決意をしていますね。
結局、「かみさま」との対話は
どんな意味を持つのでしょうか?
メロディウス:
「かみさま」との対話は、少年よ、
人間が自分自身を理解し、
世界と向き合う過程そのものだ。
「かみさま」は
人間の外側にも内側にも存在し、
別れを通じて
その真の価値を教えてくれる。
この歌詞は、喪失を通じて成長し、
新たな希望を見出す物語なのだよ。
そして最後に、
「ぼくのかみさまが大好きでした」
という言葉が響く。
これは愛と感謝の結晶であり、
それが「ぼく」を未来へ導いていくんだ。
少年:
なるほど…。
別れは終わりではなく、
新しい始まりなんですね。
「ぼく」は一人でも、
その心には「かみさま」がいる。
そう思うと、
少し心が軽くなった気がします。
メロディウス:
そうだよ、少年。
この歌が教えてくれるのは、
別れの痛みの中にも、
美しさと希望があるということだ。
さあ、君も君自身の
「かみさま」との対話を続けるんだよ。