音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】あいみょん/朝が嫌い 楽曲の意味を徹底解釈!恋愛感情を朝と夜に紐づけた失恋ソング!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

あいみょん
朝が嫌い

について哲学的に

少年との会話を通して解説していく。


 

あいみょん「朝が嫌い」MV

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朝が嫌いの歌詞

誰にも言えないような

病に蝕まれている
私の恋の寿命はいつまでだろう
古着のシャツの
彼が朝方家を訪ねてきて
私の枕で眠る
「おかえり」「ただいま」
3分でできる
彼を満たすものでも
3分じゃ足りないの
私を満たすのは
夜になっても側にいてほしい
私は朝が嫌い
知らない間にいなくなっても
ちゃんと鍵はポストの中
なんだか悔しくなるの
他にも帰る場所が
ある気がしてから
回ってそこから
何も手につかない
予告のない帰宅だから
できるだけ家に居たくなる
そうして何度
独りで過ごしたんだろう
連絡はしないの
私なりの抵抗でも
結局は全部したいの
いつだって待っているの
連絡はしないの
私なりの抵抗でも
結局は全部したいの
いつだって待っているの
夜になったら明日が怖い
私は朝が嫌い
いつかの夢は
この部屋にもちゃんと
彼の鍵ができること
始発列車の音
それが私の目覚まし
寝癖を整えて
わざとらしくまた眠る
ベルが鳴るのを待つ 
期待で踊るこの胸
会いたい醜い そんな朝が嫌い
夜になっても側にいてほしい
私は朝が嫌い
知らない間にいなくなっても
ちゃんと鍵はポストの中
私の夢は叶わないらしい
この恋は死にかけてる
知らない間に
忘れてしまって
いつかもっと素敵な
そんな朝になれ

 

メロディウスと少年の考察

少年:

「この歌詞の主人公は、朝が嫌いなんだね。

夜が終わって朝になると、

彼がいなくなってしまう

かもしれないって考えるからかな?」

 

メロディウス:

「そうだね、少年。

ここには人間の『儚い愛』に対する

深い不安が込められているように感じるよ。

 

夜が続けば二人は共にいられるのに、

朝が来ることでその時間が儚く消えてしまう。

その象徴的な朝の到来を恐れる姿が描かれているね。」

 


 

少年:

「愛って、なんだか難しいね。

なんで人は恋に悩むんだろう?」

 

メロディウス:

「それはおそらく、

恋が人間の存在にとって

本質的に欠けた何かを埋めようとする

行為だからだろうね。

 

哲学者プラトンも、

愛は自分に欠けた部分を相手に

見出す行為だと語っていた。

 

しかし、この主人公は愛によって

完全に満たされることはない。

 

彼女が求めているのは

『常に共にいる』という安心感だけれど、

彼が『別の場所にも

帰るべき場所がある』ことに気づき、

また孤独に戻されてしまう。

 

つまり、彼女の恋には常に

欠落がつきまとっているんだ。」

 

少年:

「3分で彼を満たすけど、

自分が満たされるには足りないっていうのも、

なんだか切ないね。

 

愛って、対等じゃないのかな?」

 

メロディウス:

「うむ、少年。

そこに現れるのは、

まさに『愛の不均衡』だ。

哲学者サルトル

『他者の存在は時に自分を不完全に感じさせる』

と語っていたように、

愛する相手が満たされている

一方で自分が空虚に感じることがある。

 

彼女にとって、

彼が帰る家は他の誰でもなく

『自分のものであってほしい』

という欲求がある。

 

しかし、それが叶わない現実が

あるからこそ彼女は自分の愛に悩む。」

 


 

少年:

「夜が明けると

彼がいなくなるかもしれない…

 

それなら、ずっと夜のままだったら

いいのにって思ってるのかな。」

 

メロディウス:

「そうだろうね、

夜の中での時間は彼女にとって

『永遠に続く幻想』を感じさせるものだろう。

 

しかし、朝が来ることでその幻想が壊れ、

現実が彼女に突きつけられる。

 

そして、始発列車の音が

彼女を再び現実へと引き戻すんだ。

 

まるで『夢から覚める瞬間』のように、

彼女はもう一度孤独と

向き合わねばならないんだよ。」

 

少年:

「この歌の主人公は、

どこか諦めているみたいだね。

『私の夢は叶わないらしい』って。

 

でも、諦めながらも

まだ期待しているのがわかるよ。」

 

メロディウス:

「そこに人間の

『悲しいまでの執着』が現れているね。

 

彼女は、叶わないかもしれない

夢にしがみついている。

 

この期待と絶望の狭間で

揺れ動く姿は、

人間の弱さでもあり強さでもある。

 

ニーチェが言うように、

『人は夢を失ってしまったら

生きることができない』

 

それゆえに、彼女はまだ

その夢を手放すことができないんだ。」

 


 

少年:

「それでも、もしかしたらいつか

彼が朝にいなくならなくなるって、

期待して待ってるんだね。

 

悲しいけど、なんだか美しい気もするよ。」

 

メロディウス:

「そうだ、少年。

この愛の形は悲しみに満ちているけれど、

それでも彼女が愛にしがみつき、

朝が来るたびにまた夜を願う姿は

『人間の深い欲望と愛の美』だよ。

 

愛とは、時に不完全で、

苦しみを伴うものだが、

その儚い希望こそが人生に深みを与えるものなんだ。」

 

こうして、少年と哲学者メロディウスは

愛のもろさや希望について語り合い、

愛が人をどれだけ傷つけても、

そこにどこか美しいものがあると感じながら

夜を見つめ続けるのだった。

 

 

【歌詞考察】WILD BLUE/Bubbles 恋愛と泡を掛け合わせた意味を徹底解釈!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

WILD BLUE
Bubbles

について哲学的に考察していく。


 

WILD BLUE「Bubbles」MV

www.youtube.com


Bubblesの歌詞

You and I were meant to be 
You and I were meant to be
Oh oh
You and I were meant to be
Ah yeah Ah yeah
目の前で君が弾けた

まるでBubblesみたいに
もしも夢だったら
これで終わるの?
運命の
イタズラにDancing
何故だか引き寄せるから
出会いは突然のように
甘酸っぱいストーリー Yeah
2度目ましての恋
WoW WoW
WoW WoW
揺れ動くFeeling Feeling
またどこかへ行ってしまう前に
Softly Softly
手を伸ばすよ
淡いFirst Love First Love
あの日の気持ちはそのままに
Let's be together
ずっとずっと Like forever
Bubbles Bubbles Bubbles.......
You and I
Bubbles Bubbles Bubbles....
このまま
Bubbles Bubbles Bubbles......
You and I
Let's be together
宙を舞うBubbles Bubbles
隣で君が笑った
まるでCouplesみたいに

心の中では何を願うの?
すべてが
恋に落ちるTiming
不思議と求め合うのさ
交差する
特別な想い
少しのIm sorry Yeah
初めましてのような
WoW WoW
WoW WoW
溢れ出すFeeling Feeling
弾け飛んで消えてしまう前に
Gently Gently
包み込むよ
声にMy love My love
過去も未来も抱きしめて
Let's be together
ずっとずっと Like forever
目の前に君がいることが
奇跡なのさ一緒に、
この一瞬を、
心に刻むストーリー
大切にしよう
Feeling Feeling
またどこかへ行ってしまう前に
Softly Softly
手を伸ばすよ
淡いFirst Love First Love
あの日の気持ちはそのままに
Let's be together
ずっとずっと Like forever
Bubbles Bubbles Bubbles....
You and I
Bubbles Bubbles Bubbles....
このまま
Bubbles Bubbles Bubbles....
You and I
Let's be together
宙を舞うBubbles Bubbles
目の前で君が弾けた

まるでBubblesみたいに

 

序論 泡の寓意―儚さに宿る永遠の夢

「Bubbles」という言葉が暗示するのは、

私たちの日常に潜む一瞬の美である。

 

その泡は、

触れれば消え、漂えば弾ける。

 

ここで思い出されるのは、

ヘラクレイトスの言葉

「同じ川に二度入ることはできない」だ。

 

愛もまた、

時間の流れの中で常に変化し続け、

再び同じ瞬間を取り戻すことは不可能である。

 

WILD BLUEの歌詞は、

このような泡のように儚く、

しかし鮮烈な「今」の美しさを語っている。


 

第一章 瞬間と永遠―「Bubbles」に見る愛の時間性

歌詞の中の「淡いFirst Love」や

「ずっとずっと Like forever」

というフレーズは、

一見矛盾する概念を提示する。

 

儚い一瞬の感情が、

どうして「永遠」とつながるのだろうか?

この矛盾を解くヒントは、

アウグスティヌス

「現在という時間は魂の記憶にこそ宿る」

という洞察にある。

 

ここで語られる「First Love」は、

過去に生まれたものではなく、

記憶と共に再構築され続ける

現在の中に息づくものである。

 

第ニ章 偶然の出会いと運命―ダンスする偶然

「運命のイタズラにDancing」という

歌詞が示すのは、

偶然性と必然性の交錯である。

 

フリードリヒ・ニーチェは、

「運命を愛せ」と語った。

 

偶然の出会いは

一見無秩序に見えるが、

それを運命として受け入れることで

初めて私たちの存在が肯定される。

 

歌詞に描かれる「突然の出会い」は、

ただの偶然ではなく、

運命に彩られた舞踏である。

 

第三章 消えゆくものの美―一瞬の儚さと感情の響き

「弾け飛んで消えてしまう前に」

というフレーズは、

森羅万象の無常を思い起こさせる。

 

ここで想起されるのは、

禅の教えに見られる諸行無常の思想だ。

 

すべてのものは流転し、

永続するものはない。

 

しかし、この無常の中にこそ、

私たちは美しさを見出すのだ。

 

バブルが弾ける瞬間、

それが消えるからこそ、

その一瞬はより輝いて見える。

 

第四章 関係性の持続―心を包み込む「Softly」の力

「Softly Softly 手を伸ばすよ」

という歌詞は、

愛の本質にある「やさしさ」の

重要性を示唆している。

 

マルティン・ブーバー

「我と汝」の関係においても、

真の関係とは、相手を包み込むような

やさしさの中に成立するという。

 

ここでの「Softly」は、

儚い泡のような愛を壊さぬよう、

そっと手を差し伸べる姿勢を象徴している。

 

第五章 未来と過去を抱きしめる―「今」に刻まれる永遠

「過去も未来も抱きしめて」という言葉は、

ハイデガー存在と時間における

「現在」の捉え方と通じる。

 

私たちの「今」は、

単に流れ去る瞬間ではなく、

過去と未来を統合した

「存在そのもの」である。

 

歌詞において

「この一瞬を心に刻むストーリー」と

述べられるように、

「今」を抱きしめることこそが、

愛の永遠性を生む鍵なのだ。


 

結論 「Bubbles」と生きることの意味

WILD BLUEの「Bubbles」は、

愛の一瞬がどれほど儚くても、

その瞬間にこそ永遠が

宿るという真理を歌っている。

 

ヘーゲルが語ったように、

「全体とは過程のうちにある」

 

泡のような一瞬一瞬の

出来事が織りなす関係性の中にこそ、

私たちは生の全体を見出すのである。

 

この歌は、儚いものを恐れるのではなく、

むしろその儚さの中に宿る美しさを

抱きしめることの大切さを教えてくれる。

 

終わりに

「Bubbles」とは、

ただ消えゆくものではない。

 

それは、私たちが出会う

一瞬一瞬の愛、関係、記憶を象徴する。

 

儚い泡が消える前に、

それをしっかりと抱きしめよう。

 

「Let’s be together」という言葉に

込められた想いは、

まさにそのことを伝えているのである。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞考察】GARNiDELiA/極楽浄土 曲中の狂い咲きの意味とは?哲学的に徹底解釈しました!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

GARNiDELiA
極楽浄土

について哲学的に考察していく。


 

GARNiDELiA「極楽浄土」MV

www.youtube.com


極楽浄土の歌詞

月明り昇る刻灯る赤提灯
祭囃子の合図 ふわり 
蝶が誘い出す
(ちょいと覗いて見てごらん)
迷い込めば抜け出せない
(楽しいことがしたいなら)
おいでませ極楽浄土
歌えや歌え心のままに
アナタの声をさぁ聞かせて
踊れや踊れ 時を忘れ
今宵共にあゝ狂い咲き
美しく咲く花も 
いつか散りゆくもの
それならこの一夜を 
もっと熱く愛したい
(ちょいと「いいこと」
いたしましょう)
これは夢か幻か
(嘘も真も無い世界)
ゆきましょう 極楽浄土
歌えや歌え心のままに

乱れる髪、息も気にせず
踊れや踊れ時を忘れ
今宵共にあゝ狂い咲き
(ちょいと「いいこと」
いたしましょう)
(嘘も真も無い世界)
ゆきましょう 極楽浄土
歌えや歌え心のままに
アナタの声をさぁ聞かせて
踊れや踊れ時を忘れ
今宵共にあゝ狂い咲き
今宵アナタと狂い咲き

 

序論 祭囃子の彼岸へ誘う蝶

この歌詞の冒頭に登場する

「赤提灯」と「祭囃子」は、

異世界への入り口としての暗喩である。

 

仏教的な極楽浄土とは、

本来はこの世を超越した

安らぎの場所を指すが、

ここでは幻想的な遊戯空間に変貌する。

 

人を迷わせる「蝶」の誘いが

示唆するのは、

自由意思と誘惑が曖昧に

交錯する瞬間である。

 

プラトンが『国家』で述べたように、

「人間の魂は光と影の狭間で真実を求める」

 

しかし、この歌詞における

極楽浄土は、光でも影でもなく、

虚構と真実の狭間にある。

 

「ちょいと覗いて見てごらん」

というフレーズは、

自己探求を装った

欲望への招待と解釈できる。


 

第1章 「迷い」と「楽しさ」―遊戯の中の存在論

1 ニーチェの「永遠回帰」と祝祭の哲学

「迷い込めば抜け出せない」

という表現は、

ニーチェ永遠回帰の思想と響き合う。

 

人生は何度も繰り返され、

私たちはその瞬間を肯定するしかない。

 

歌詞の中で誘われる「楽しいこと」は、

一度きりの享楽に見えるが、

実際には永遠に繰り返される可能性を孕んでいる。

 

2 「覗いて見てごらん」―自ら囚われに向かう自由

人はなぜ、自ら「迷い」に

踏み込むのか?ここにおいて、

サルトル「自由の刑」について

考えざるを得ない。

 

自由に選択することは

自己の囚われをも生む。

 

「楽しいことがしたいなら」という

条件付きの自由は、

快楽に向けた誘導と同時に、

そこからの解放が望めないことを暗示している。

 

第2章 「夢か幻か」―現実と虚構の解体

1 デリダの「差延」と真偽の境界

「嘘も真も無い世界」とは、

ジャック・デリダが述べる

差延

体現する空間である。

 

そこでは、あらゆる意味や

価値が遅延し、

決して一つの真実に到達しない。

 

「夢か幻か」という

問い自体が無意味となる世界で、

歌詞は私たちに幻想と

現実を超えた遊戯的な存在を示唆する。

 

2 真実なき「極楽浄土」―欺瞞の快楽か、解放か

この「極楽浄土」は、

伝統的な救済の場とは異なり、

虚構が人々を自由にする空間である。

 

ベケットが言うように、

「人間は待ちながら生き、

何も来ないことを知りながらも希望する」

 

この場所における歌や踊りは、

何も求めないことによって

自由に達することを象徴する。


 

第3章 咲いて散る花の宿命と一夜の愛

1 「刹那」の生とハイデガーの死への存在

「美しく咲く花も、いつか散りゆくもの」

という言葉は、

ハイデガー「死への存在」

思い起こさせる。

 

人間は、自らの有限性を

意識することで、

今この瞬間を真に生きることができる。

 

「それならこの一夜を

もっと熱く愛したい」という言葉は、

まさに有限性の受容と、

それを超える愛の肯定だ。

 

2 一夜の愛―無常への挑戦としての踊り

この一夜の愛は、

無常への挑戦であり、

私たちの儚い存在への祝祭である。

 

仏教的な諸行無常

教えに従うならば、

あらゆるものは変わりゆく。

 

それゆえに、変わらぬものなど存在せず、

ただ今を愛することが唯一の真理である。  

 

第4章 「時を忘れる」狂乱の踊り―自由な自己表現

1 ベンヤミンの「今-時間」と祝祭的瞬間

「時を忘れ今宵共に狂い咲き」

という表現は、ベンヤミンの言う

「Jetztzeit(今-時間)」に通じる。

 

これは、過去や未来を超えて、

現在そのものが解放される瞬間である。

 

踊りという行為は、

この「今」を永遠化する手段であり、

自己の解放である。

 

2 時間を越える踊り―カーニバルとしての自己解放

ミハイル・バフチン

カーニバル理論において、

踊りは日常の秩序を破壊し、

自己を解放する祝祭的行為である。

 

ここでの「狂い咲き」は、

社会の枠組みを一時的に超えた

自由の表現であり、

時を忘れた「極楽浄土」の象徴である。


 

結論 狂い咲きとしての生―虚構と共に舞う歓喜

「今宵アナタと狂い咲き」という

言葉で終わるこの歌詞は、

虚構と現実の境界を超えた歓喜の表現である。

 

ニーチェが言うように、

「人生とは芸術作品であり、

踊ることこそその本質である」

 

私たちは、時に真実を求めることをやめ、

幻想の中でこそ真に自己を表現できる。

虚構と遊ぶこと、これこそが

人間の生に内在する最高の自由である。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【考察】ポルノグラフィティ/ヴィヴァーチェ 歌詞の意味を徹底解釈!音楽の旋律を描いた曲を哲学的に解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

ポルノグラフィティ
ヴィヴァーチェ

について哲学的に考察していく。


 

ポルノグラフィティ「ヴィヴァーチェ」MV

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ヴィヴァーチェの歌詞

パントマイムの壁の中に
囚われたのは君
二の足を踏む音が
ノイジー耳を覆ってる
解放の合図知らせるのは
誰だ首をふって探す
君自身で心踊る音を鳴らせ
自分だけに届けたらいい
限界まで熱く 
ヴィヴァーチェ
昂る鼓動が奏でるメロディー
曇り空でも晴れやか歌え
誰かと寄り添っている方が
安心なんだろうなら
誰かと足を引っ張りあっても
泣き言を言うな
抜け出す術は思っているよりも
シンプルなものだ
君の立ち位置を
少しずらしてみたら
目の前は広くなるでしょう
それが今君のステージ 
スポットを当てて輝かせたら
全力でその場所を愛せよ
もっとお気楽に力抜いていけよ
だって強張ったままじゃ響かない

君の声は君の奏でる旋律が
あぁ美しい命の滴が踊るように
誰かへと届くヴィヴァーチェ
君が思うより優しい世界が
あるはずだから信じて歌え

 

序論 見えない壁を超えて

「ヴィヴァーチェ」という楽曲は、
閉ざされた自己からの解放と、
自由な自己表現の探求をテーマにしている。
 
「壁に囚われる」という比喩は、
他者の視線や自己の不安に
縛られる現代人の葛藤を象徴する。
 
この歌詞は、
哲学者たちの思想と交差しながら、
自己表現の重要性や他者との
関わりについての洞察を与える。

 

第一章 パントマイムの壁と自己囚縛の寓意 – サルトルの自由

「パントマイムの壁に囚われたのは君」
という言葉は、
自らの限界に閉じ込められた
状態を暗示している。
 
「人間は自由の刑に処されている」
と述べ、
自由とは選択の責任を伴うものであり、
逃れられないものであると説いた。
 
我々は自らの恐怖や不安に
よって作り出した
「見えない壁」に囚われることがある。
 
しかし、その壁を打ち破るのもまた、
自らの選択にかかっているのだ。
 

第二章 ノイズと頽落 – ハイデガーの「本来的な生」

「ノイジーな音が耳を覆う」
という歌詞は、
ハイデガー「頽落(たいらく)」という
概念を想起させる。
 
頽落とは、日常の雑事に囚われ、
自分自身を見失うことを指す。
 
ノイズに満ちた世界の中で
自己を見つけ出すには、
本質に立ち返る「本来的な生」が
求められる。
 
自らを覆う音から解放されることで、
初めて自己の真の声を聴くことができるのだ。
 

第三章 解放の鍵は自らの手に – カントの自己啓発

「解放の合図を知らせるのは誰か?」
と問いかけるこの歌詞は、
カントの「啓蒙」の精神に響く。
 
カントは「啓蒙とは、
人が自分の理性を用いて
未成年状態から抜け出すこと」と述べ、
自分自身を解放するのは
外部の助けではなく、
自己の理性であると説いた。
 
待つのではなく、
自ら「心踊る音」を奏でることこそが
解放への道である。
 
外部に救いを求めるのではなく、
内なる声に耳を傾けよ。
 

第四章 心踊る音と美の衝動 – ニーチェの芸術論

「君自身で心踊る音を鳴らせ」
というメッセージは、
ニーチェの「生の美的肯定」を連想させる。
 
ニーチェは、「アポロ的秩序」と
ディオニュソス的狂気」
統合した芸術が、人間を解放し、
生を肯定すると述べた。
 
自己表現の音楽は、
自らの生命力を解放する手段であり、
それが他者に届くとき、
新たな共鳴が生まれる。
 
「心踊る音」は、
個人の喜びを超えて、
生命の美を表現するものなのだ。

 

第五章 依存と他者との関係 – レヴィナスの倫理

「誰かと寄り添っている方が安心」
という歌詞には、
レヴィナス「他者性」
概念が映し出される。
 
レヴィナスは、他者との関係が
人間の倫理の根幹であると述べ、
他者は我々の理解を超える存在だとした。
 
他者との関わりは安らぎを与えるが、
同時に依存や葛藤も伴う。
それでも、この関係こそが
我々を倫理的存在として成り立たせる。
 

第六章 視点の転換と新たな可能性 – ハイデガーの世界内存在

「君の立ち位置を少しずらしてみたら
目の前は広くなる」という歌詞は、
ハイデガー「世界内存在」を象徴する。
 
人間は世界の中に存在し、
その視点を変えることで、
新たな可能性を発見できる。
 
自己の立ち位置を変えることは、
世界そのものの見え方を変える行為だ。
 
固定された視点から解放されることで、
新しい自己のステージが開かれる。

 

結論 響きと信頼の世界を信じて

「君が思うより優しい世界が
あるはずだから信じて歌え」
という結びの言葉は、
「意味への意志」に通じる。
 
どれだけ困難な状況にあっても、
我々は自らの声を信じ、
世界への希望を持たなければならない。
 
「人生に意味があると信じる者にとって、
いかなる苦難も耐えうる。」
 
終わりに
「ヴィヴァーチェ」は、
自己の限界を超え、
他者と響き合うことの大切さを
教えてくれる詩的な哲学の探求である。
 
我々は見えない壁を超え、
自分自身の心の旋律を奏でることで、
新たな自由を手にすることができるのだ。
 
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞考察】與真司郎/Kizuketa 真の愛や自分に気づけた曲の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

SHINJIRO ATAE(與真司郎)

Kizuketa

について哲学的に考察していく。


 

SHINJIRO ATAE(與真司郎)「Kizuketa」MV

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Kizuketaの歌詞

倒れたベッドに残る
ムスクの香りが
口付けの感触
今もまだ残ったまま
君がいたあの時間に
また戻れるなら
気づけば仕事も
手につかないこのままじゃ
部屋を飛び出し
ハンドル握りしめたまま
君の居る場所へ
離れて初めて気づけた
あの笑顔が忘れられない
こんなにも君の事だけ
愛してる訳
初めて気づけた
I feel like
I'm ready for
I feel like I'm ready for
こんなにも君の事だけ
愛してる訳
初めて気づけた
夜が来る途端に
君を思う毎日
連絡無いだけで不安に
もう会えないと
思ってしまいそう
君の側で笑って居たい
中途半端な自分を投げ出し
会って何も言わず
抱きしめたいんだ
今君の居る場所へ
離れて初めて気づけた
あの笑顔が忘れられない
こんなにも君の事だけ
愛してる訳
初めて気づけた
I feel like I'm ready for 
I feel like
I'm ready for
こんなにも君の事だけ
愛してる訳
初めて気づけた
やっと気づけたんだ
素直に伝えたい

 

序論 愛と自己の真実―告白の意義

『Kizuketa』の歌詞は、

失った存在への気づきを通じて、

愛の真実と自己理解に至る物語である。

 

同時に、歌の背景には

與真司郎が自らの

セクシュアリティを公表した

事実が影を落としている。

 

告白という行為は、

単なる言葉の表明を超えた

自己実現の過程であり、

フーコーが『性の歴史』で語った

「真実を語る勇気(パレーシア)」

一形態である。

 

真実を語ることは、

自己の本質を「他者」の前にさらし、

新しい関係性を生み出す力を持つ。


 

第一章 愛と自由の相互作用―サルトル的「他者の眼差し」からの解放

「こんなにも君の事だけ

愛してる訳 初めて気づけた」

という言葉は、

愛を通じた自己解放の瞬間を表している。

 

サルトル存在と無において、

他者の眼差しによって人間は

「物」として固定される危険があるとした。

 

しかし、自己を隠さず

愛を告白することは、

その固定化からの脱却を意味する。

與真司郎の告白もまた、

「他者がどう見るか」という制約から解放され、

真の自由に向かう行為と捉えられる。

 

ここで愛は、

単に他者への感情を表すだけでなく、

自由を取り戻すための革命的な行為となる。

 

第二章 不安と受容―キルケゴールが語る「愛することの恐れ」

歌詞中、

「連絡無いだけで不安に

もう会えないと思ってしまいそう」

という表現は、

キルケゴールが述べた

「不安とは可能性のめまい」

あることを想起させる。

 

愛することは、

相手を失う可能性を伴うため、

不安を避けて通ることができない。

 

だが、キルケゴールはまた、

愛が人間を自己の限界を超えて

成熟させると指摘する。

 

與真司郎が公表した告白もまた、

未知への恐怖を受け入れ、

自らを新たな関係に開くことである。

 

愛は不安を伴いながらも、

自己を拡張する道であるのだ。

 

第三章 「君のいる場所へ」―存在論的回帰としての他者との出会い

「離れて初めて気づけた

あの笑顔が忘れられない」

というフレーズは、

 

ハイデガー

「現存在(ダス・ザイン)」

想起させる。

 

私たちは、他者がいない時にこそ、

その存在の重要さに気づく。

 

與真司郎の人生における

自己の告白もまた、

失われた関係性の修復を求める行為といえる。

 

ハイデガーの言葉を借りれば、

「人はただ存在するのではなく、

誰かと共にあることで意味を発見する」

 

他者との再会に向かう行動は、

存在の意味を再び問い直す営みである。

 

第四章 ムスクの香りと記憶―ベルクソンの「持続」論に見る感覚の力

「ムスクの香りが 口付けの感触

今もまだ残ったまま」という詩的表現は、

ベルクソン「記憶の持続」という

概念に深く結びつく。

 

ベルクソンは、

記憶は単なる過去の再生ではなく、

感覚を通じて現在に生き続ける

「持続」であると述べた。

 

この歌詞でも、感覚の残り香が

過去の時間を今に引き寄せ、

語り手を愛する相手との再会へと駆り立てる。

 

感覚を通じた記憶は、

人間にとって未来への行動を導く力となるのである。


 

結論 素直さに向き合う勇気

「やっと気づけたんだ 素直に伝えたい」

という最後の一節は

愛の本質的な到達点を示している。

 

フロムは『愛するということ』で、

愛は「自己を投げ出し、

他者に完全に心を開くこと」と述べた。

 

素直さに向き合うことは、

単に感情を言葉にする以上の行為であり、

自己の存在そのものを賭ける行為である。


與真司郎の告白もまた、

彼自身の素直な姿を世に示す

勇気ある行動であり、

愛と自己実現が交差する地点に到達した証である。

 

『Kizuketa』は、愛、告白、

そして不安を伴う自己の解放

についての物語である。

 

哲学者たちの視点から見れば、

愛とは単なる感情にとどまらず、

自己理解の過程であり、

自由と真実に向かう勇敢な行為である。

 

與真司郎が自らの

セクシュアリティを公表したように、

真の愛は自分を偽らず、

素直に他者に向き合うところに存在するのだ。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞和訳考察】BMSG POSSE · SKY-HI · CHANGMO · Novel Core/ZOOM 曲の意味について哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

BMSG POSSE · SKY-HI · CHANGMO · Novel Core

ZOOM

について哲学的に考察していく。


 

「ZOOM」MV

www.youtube.com

 

ZOOMの歌詞

IPhone カメラ
すっぴんだよやめな 
No way!
It's my private time
あいつらには関係ない 
No way!
Now we party up
出す物出しな
24/7 価値が勝手に出ちゃうのがMy life
どこ行ってもパシャパシャ 
うっせーよ
コンビニ 部屋まで数十m
レジ袋の中身はチューペット
一生当たらん そのルーレット
ジャスティン・ビーバーじゃ
あるまいし
でも ヘイリーを探しに
百何里さらぴん 
真っ白で履くNike

でもドンキで買っちゃうアルマーニ

 

뒤통수를 내어 주면 안 돼 바로 그림자 같은 놈들이 통수치니
後頭部を見せたらだめだ、すぐに影のような奴らが裏切るから

 

실제로 침 그나마 남자 놈들이지 사실 죄다 숨어가지고 키보드치니
表では男らしいが、実はみんな隠れてキーボードを叩いている

 

나는 페라리니 람보르기니 다신 안 타 번호판까지 싹 찍히니
フェラーリランボルギーニももう乗らない、ナンバープレートまで撮られるから

 

Celebrity같지만 아냐 연예인이 내 진짜 직업은 창모 재산 지킴이
セレブみたいだが違う、俺の本当の仕事はチャンモの財産管理人だ

 

Money daisuki
I'm on it, hit me up later
I'm on it, shut 'em out right now
後ろ狙ってるカメラ
I'm on, 
I'm on, I'm on, 
I'm on my way
TV, Magazine, Paparazzi
"Zoom in, Zoom in, Zoom"
IG, FB, TikTok
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
I'm on everything that you see
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
Run away, 
Run away, 
Run away
"Zoom in, 
Zoom in, Zoom"
小さな頃から
目立ちたがり
山あり谷あり頭にハチマキ
危ないのしないでも 
目がパキパキ
寝不足すやすや寝させる 
マジ ガチ!
口から出まかせ吹かせて
また風任せ?
生まれ育って
普通にしてたってもう派手なだけ
あんまり必要がない
ハイブランドにICE
マックみたくゼロ円のスマイルにつく
見た事ないプライス

 

Oi master 나마비루 쿠다사이
マスター、生ビールください

 

취한 내가 뭘 하는지 Don’t give a fuck about my matsuri life
酔った俺が何をしていようと、祭りみたいな人生なんか気にしない

 

내가 원할 때가 아님 Get out of my sight
今は俺が望む時じゃない、視界から消えろ

 

허나 내가 찬 Watch 사츠에에와 0kay
でも俺の腕の時計は撮影OKだ

 

누가 뭘 해 뭐 사는지 사나이는 신경 안 써 난 나만 신경 쓰는 타입
誰が何を買おうが男は気にしない、俺は自分のことしか気にしないタイプだ

그래 I love my life, aight

I'm on it, hit me up later
I'm on it, shut 'em out right now
後ろ狙ってるカメラ
I'm on, 
I'm on, 
I'm on, 
I'm on my way
TV, Magazine, Paparazzi
"Zoom in, Zoom in, Zoom"
IG, FB, TikTok
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
I'm on everything that you see
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
Run away, 
Run away, 
Run away
"Zoom in, 
Zoom in, Zoom"
電話がくる プルプルプル
ぶるぶる 夏でもここ雪降る
首元にくくるのは
ネクタイより冷たい氷のチェーン 
ぐるぐる
全員グル 外野はぶく
ぶつぶつうるさい 野次馬 クズ
俺の仲間なら超カラフル
パニくるカメラクルーも
ダーツならブル
ライツカメラアクション
ステージデビューなら14
中坊からブルーロックな
人生乗り遅れるなよ 急行
ルートは作るのさ 
You know?
異常が通常ブートから中央 
ずっとバッタもんさ
蹴っ飛ばしたバースで優勝
I'm on it, hit me up later
I'm on it, shut 'em out right now
後ろ 못 참겠어 カメラ
I'm on, 
I'm on, 
I'm on, 
I'm on my way
TV, Magazine, Paparazzi
"Zoom in, 
Zoom in, Zoom"
IG, FB, TikTok
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
I'm on everything that you see
"Zoom in, 
Zoom in, 
Zoom" 
Run away, 
Run away, 
Run away
"Zoom in, 
Zoom in, Zoom"

 

序論 自己の露出とプライバシーの相克

「ZOOM」という楽曲において、

芸能界やSNS時代の

自己表現がプライバシーを奪う

現実が描かれている。

 

歌詞には

「カメラ」「パパラッチ」「Zoom」など、

個人の境界が侵される状況が強調され、

ミシェル・フーコー

パノプティコンを連想させる。

 

彼が言うように、

「権力の作用は、監視することにより、

行為の制御をもたらす」のである。

 

この曲が提示する問いは明確だ。

 

見られ続ける世界で、

我々はどこまで「自己」を保持できるのか。


 

第一章 デジタル監視社会と自由の境界

「他者の目の中に私が見出すのは、

私自身に向けられた他者の目である。」
ジャン=ポール・サルトル

 

歌詞に登場する

「TV, Magazine, Paparazzi」というフレーズは、

デジタル社会における

全方位的な監視を表している。

 

SNSにおける「Zoom in」は、

個人を商品化し、

私生活の露出が価値に転化する

現代の現実を映し出す。

 

この「自由な露出」においても、

歌詞が叫ぶように

「It’s my private time」は儚い夢に過ぎない。

 

サルトルが述べたように、

我々は他者のまなざしの中で存在を規定され、

逃れられない「視線の地獄」に囚われているのだ。

 

第二章 虚栄と実存の間のアイデンティティ

歌詞では

ジャスティン・ビーバーじゃ

あるまいし」「Nike」「アルマーニ」と

いった象徴的なブランドが登場するが、

その背後には自己存在を証明しようとする

無数の虚栄心が見える。

 

マルティン・ハイデガー

言葉を借りれば、

「人は『世間』のなかで没落し、

自分の本来性から逸脱する」

 

ブランドやラグジュアリーアイテムを

追い求める行為は、

自己の本質からの逃避であり、

外部の価値基準に依存した不自由を意味する。

 

第三章 欲望、ブランド、消費社会への批判

「人間は欲望する存在であり、

自己の欠如を他者や物で満たそうとする。」

ジャック・ラカン

ハイブランドにICE」

「ゼロ円のスマイル」といったフレーズは、

資本主義社会が生むアイロニーを示している。

 

歌詞の主人公は消費とブランドを

一方では嘲笑しつつも

、他方ではその誘惑に抗えない。

 

ラカンによれば、

人は常に満たされない欲望に駆られ、

「欲望の対象」を追い求めることで

自己を確認しようとする。

 

しかし、こうした追求は

決して終わらない。

 

「一生当たらん そのルーレット」

が示すのは、

幸せが常に手の届かない場所にある

という虚無感である。


 

第四章 カメラが切り取る虚像と真実

「Zoom in」という反復は、

SNSやメディアによる瞬間的な切り取りが、

本来の「自己」をどれだけ

正確に表現できるかを問う。

 

プラトンの洞窟の比喩において、

人間は「影」を真実と錯覚する。

 

「どこ行ってもパシャパシャ」という

歌詞が象徴するのは、

カメラが切り取るのはあくまで影であり、

自己の本質とは異なる虚像である。

 

カメラのレンズ越しの自己表現は、

洞窟の壁に映る影のように

真実の代替物に過ぎない。

 

第五章 「祭り」の哲学と自由の追求

「祭りは日常からの解放であり、

社会の規範を一時的に超越する。」
ミハイル・バフチン

歌詞の「matsuri life」や

「Run away」というフレーズは、

非日常への憧れと社会規範からの

逃避を表している。

 

バフチンによると、

祭りは個人が普段のルールや

秩序を超越し、

解放される時間である。

 

しかし、「I’m on my way」と

繰り返されるように、

この祭り的な解放も一時的であり、

人は再び日常へと戻らざるを得ない。

 

自由の追求は、

永遠の逃避と回帰の循環である。


 

結論 逃避、自己主張、そして自己受容

この楽曲の核心は、

「監視されること」「欲望」「逃避」といった

テーマの中にある自己の受容の必要性にある。

 

「I’m on everything that you see」

というフレーズは、

他者の視線や社会の規範の中でも

自己を見失わない決意を示している。

ニーチェが言うように、

「自分自身になれ。それが、

君が成し遂げるべきすべてのことだ」

 

ZOOMの歌詞は、

見られることに悩む現代人に対し、

自分自身を肯定する勇気を呼びかけているのだ。

 

この楽曲は、

単なるエンターテインメントにとどまらず、

現代社会の中で生きる

我々の姿を鋭く問いかける。

 

監視される社会、

消費のループ、そして祭り的な解放。

 

これらのテーマは、

哲学的な思索を通じて一層深まる。

 

我々は、他者の視線に囚われつつも、

それを超えて自己を肯定し、

生きる術を見出さねばならない。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞和訳考察】SooYoung(スヨン)/Unstoppable 止まらない人生の意味とは?哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

SooYoung(スヨン
Unstoppable

について哲学的に考察していく。


 

SooYoung(スヨン) 「Unstoppable」MV

www.youtube.com

 

Unstoppableの歌詞/和訳

Let’s bring it back
さあ、もう一度始めましょう

 

Uh
You know who I am
私が誰か、わかってるでしょ?

 

果てしないMystery

You know my history
零れるpiece of me
私の歴史を知ってるでしょ? 

こぼれ落ちる私の一片

 

拾い上げては磨きまたtry again
立つの 何度でも

 

EEEY
しなやかなbody and soul

 

EEEY
真似できないthe way | walk、

 

Look at me now
今の私を見て 

 

軽やかに魅せても

 

Check it out
鮮やかな足跡
見て、私が残す鮮やかな足跡を

 

私が選ぶstory
どう転んでもwon’t be sorry
私が選ぶ物語 どう転んでも後悔なんてしないわ

 

今以上の私は居ないの

 

立ち止まる言い訳なんていらない

光をただひたすら探すの溶けていく蜃気楼

こだまするあの声も

 

I’mma let, I’mma let you

know You know that I…
響くあの声も、私は伝えるわ 

わかってるでしょ? 私が…

 

I’m unstoppable
私は止まらない

 

One life 変えていく時代
どんな明日でも私次第ね

 

You know that I’m unstoppable
my mind以外の価値観は要らない
わかるでしょ? 私は止まらない 

 

自分の心以外の価値観なんていらないわ

 

You know that I
I’m unstoppable
わかるでしょ? 私は止まらない

 

Yeah I bring it back to the beat uh
ビートに乗せて、また戻ってくるわ

 

You know? 失敗と成功のData
描く最高の放物線


追い求めるの理想

 

bring the girls and boys out
みんなを連れ出しましょう

 

夢のままにしてたなら
幸せって思う時もきっとあるから

But 叶えると決めたのは私だから

 

One life 変えていく時代
どんな明日でも私次第ね

 

You know that I
I’m unstoppable
わかるでしょ? 私は止まらない

 

my mind以外の価値観は要らない
私の心以外の価値観なんていらないわ

 

You know that I…
I’m unstoppable
わかるでしょ? 私は止まらない

 

I-I’m unstoppable yeah
Ya they know I’m untouchable yeah
私は止まらない 

そう、彼らもわかってるわ 私に触れられないことを

 

I-I’m unstoppable yeah
孤高な日々でも輝くmy mind
私は止まらない

 

I-I’m unstoppable yeah
Ya they know I’m untouchable yeah
私は止まらない 

彼らは知ってるわ、私に触れられないことを

 

I-I’m unstoppable yeah
私は止まらない

 

One life 変えていく時代
どんな明日でも私次第ね

 

You know that I
I’m unstoppable
わかるでしょ? 私は止まらない

 

my mind以外の価値観は要らない

 

You know that I
I’m unstoppable
わかるでしょ? 私は止まらない

 

I-I’m unstoppable yeah
Ya they know I’m untouchable yeah
私は止まらない 

彼らは知ってるわ、私に触れられないことを

 

I’m unstoppable yeah
孤高な日々でも輝くmy mind
私は止まらない 

 

I-I’m unstoppable yeah
Ya they know I’m untouchable yeah
私は止まらない 

彼らもわかっているわ、私に触れられないことを

 

I-I’m unstoppable yeah
私は止まらない

 

※単語等和訳をしてない部分があります。

 

序論 自己の解放と「Unstoppable」の宣言

この歌は

「私は止まらない(unstoppable)」

という力強い宣言から始まり、

自己の解放を描くものである。

 

ヘーゲル

「自由とは自己を意識する精神のことだ」

と語ったように、

歌詞全体は自由に自己の可能性を

追求する精神を通して

形成される新しい自己の物語である。

 

ここで「自由」とは他者の評価に

縛られない絶対的な内面の自己である。


 

第一章 前人未到の旅路 – 「未知」への探求

「私は探究の中にある限り生きている。」

― アルベルト・カミュ

 

冒頭で述べられる

「果てしないMystery」と

前人未到な景色」は、

人間が未知なるものへと挑む存在で

あることを示している。

 

カミュが語るように、

私たちの生は「不条理」の中にあり、

意味のない現実に対して

どのように立ち向かうかが試される。

 

主人公は未知への探究の過程で

失敗と成功を経験するが、

その両者を「Data」として捉え、

次の挑戦へと繋げていく。

 

この態度は、

フリードリヒ・ニーチェが提唱する

「運命愛」の精神とも共鳴する。

 

第二章 試行錯誤の連鎖 – 自己鍛錬の弁証法

「倒れてもなお立ち上がれ。

そこに人間の尊厳がある。」

ヴィクトール・フランクル

「拾い上げては磨きまたtry again」

という歌詞は、

困難に直面しながらも

繰り返し挑戦し続ける姿を示している。

 

ここには、

フランクルの言葉が指し示すように、

人間の尊厳が困難な状況の中で

見出されるという洞察がある。

 

自己鍛錬は一回で終わるものではなく、

ヘーゲル弁証法のように、

否定と克服を通して次なる段階へ進んでいく。

 

第三章 価値観の独立 – 内面の絶対性

「他者の目が私を決定するのではなく、

私が私を決定するのだ。」サルトル

歌詞にある

「my mind以外の価値観は要らない」

という表現は、

ジャン=ポール・サルトル

実存主義に通じる。

 

人間は他者の評価に左右されることなく、

自らの意思で自己を形成していく。

 

これは、外部の価値体系からの脱却を目指し、

自己決定の主体としての在り方を示している。

 

彼女にとって明日の姿は「私次第」であり、

主体的な生き方が強調されている。

 

第四章 孤高と輝き – 個の力学と内的自由

「孤独こそが真の自由の始まりだ。」

ショーペンハウアー

 

「孤高な日々でも輝くmy mind」

というフレーズには、

他者との比較を超えた内面の輝きが強調される。

 

ショーペンハウアーの言葉が示すように、

孤独とは単なる疎外ではなく、

自らの内面に向き合い、

真の自由を手に入れる契機である。

 

この自由の中で自己の物語が選択され、

どのように展開しても

「won’t be sorry」という達観が現れている。


 

結論 「Unstoppable」という生の哲学

この歌は単なるポジティブな

メッセージにとどまらず、

哲学的に深い意味を含んでいる。

 

失敗を受け入れ、未知を探求し、

価値観を独立させ、

孤独の中で自己を輝かせるという生き方が、

「Unstoppable」の本質である。

 

まさに、フランクルが言う

「人間の最後の自由である、

自分の態度を選ぶ自由」が貫かれている。

 

ここに描かれるのは、

時代を変え、

未来を切り開く自己決定の哲学であり、

どのような状況であれ

「私は止まらない」という

不屈の精神そのものである。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞考察】KEIJU/Money Baby ft. Awich お金の背景にある意味とは?哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

KEIJU
Money Baby ft. Awich

について哲学的に考察していく。


 

KEIJU「Money Baby ft. Awich」MV

www.youtube.com


Money Babyの歌詞

Yea I'm just gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby
Yea I'm just 
gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby
次男坊 生意気なんだ俺
鼻につく動き 君悩ませ
家を出りゃ誰も知らぬ行方
でも持って帰ってくるデカい金
悪りいよ諦め手癖当然
汚ねぇ奴らと話す宿命
金金うるせぇって
言われてもお前の為
だって怒ってる顔も綺麗
弱さから強がりでひねくれ
こんな俺愛せるわけないね
寂しけりゃ裸の金と寝てるのさ
愛した女は1人だけ
だから
geting money money baby
ノッてるぜ 高額納税者
弱気になるくらいなら死ぬのがマシだって
横で言ってくれ
Yea I'm just 
gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby
Yea I'm just 
gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby
デカく気持ちが膨らんでく
モロさ儚さ飛ぶ風船
今宵どこかで会えたら抱きしめて
愛はお金じゃ買えないねん
大金積んでいく机
島からの生意気娘
試される本性を見る目
いつもハイリスクを取る勧め
色々見てきたのこの目で
出会い、
別れい、
Drug money love sex
女の一人や二人くらい
gotta try
君も必要だよね経験
信じてるyou gon be a big man
私も描いてるbig plan
不安な夜は君を真っ先に呼ぶから
朝まで抱きしめて
ずっと
You know why I love you baby
ステージの裏の闇も全て
怖気付いたって仕方ない普通じゃない世界
でも君never run away
Yea I'm just 
gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby
Yea I'm just 
gettin money, money baby
今まで他にない前例
いつか家とか買えちゃう田園調布
だからMo money baby

 

序論 貨幣の実存的意義

KEIJUの「Money Baby」は、

現代における貨幣が持つ

象徴的な力をテーマにした歌詞だ。

 

ここで描かれるのは、

単なる成功の物語ではなく、

金銭が人間の存在とどのように

絡み合うかという問いである。

 

ジャン=ポール・サルトルが述べたように、

「人間は自由の刑に処せられている」

つまり、我々は常に選択を迫られ、

その結果に責任を負う。

 

歌詞において

「Mo money」という表現は、

自由を象徴するように見えつつも、

その背後には社会的制約や

精神的な重荷が潜んでいる。


 

第一章 欲望と成功の追求 - モチベーションの両義性

「人は生きるために何かを欲し、

欲することで自らを形作る。」

スピノザ

 

この章では、

成功の追求が個人にとって

どのような意味を持つかを考える。

 

「今まで他にない前例」という

フレーズが示すように、

KEIJUは過去に縛られない

新しい道を切り開こうとする。

 

その過程で「田園調布の家」という

成功の象徴が語られるが、

ここで問われるのは果たして

欲望の終着点は何か、

ということである。

 

金銭の追求は自己実現の道なのか、

それとも「欲望の奴隷」(ホッブズ

としての姿に過ぎないのか。

 

第二章 家族・愛と金銭の緊張関係

「愛は、交換を拒むものだ。」

レヴィナス

 

「金と愛」というテーマは

本質的に対立するものであり、

この歌詞でも「愛はお金じゃ買えない」

という認識が語られる。

 

主人公は「生意気な次男坊」として、

家族や恋人との関係において

複雑な感情を抱えている。

 

愛する者のために

「金金うるせぇ」と言われるほど

金を稼ごうとする姿は、

どこかカミュが語った「不条理」を思わせる。

 

愛を失いかけるたびに、

「裸の金」と寝るという孤独は、

貨幣が決して心の欠乏を

満たさないという事実を露呈する。

 

第三章 モノとしての金と内面的な欠乏 - 価値とは何か

「貨幣は、あらゆる関係を交換価値に還元する。」

マルクス

KEIJUの歌詞は、

金銭を手段として扱いながらも、

その裏にある虚しさを見逃さない。

 

「モロさ儚さ飛ぶ風船」という表現は、

貨幣が持つ脆さを象徴する。

 

いくら大金を積んでも、

最も大切なもの

たとえば愛や誠実さは手に入らない。

 

この視点から、マルクスの言う

「疎外」が浮かび上がる。

 

金銭が人間関係や自己価値の

基準になることで、

人間は自分自身からも他者からも遠ざかるのだ。

 

第四章 リスクと自由 - 選択の代償

「自由とは、常に自己の責任で選択することだ。」

サルトル

この章では、

「ハイリスクを取る勧め」

という歌詞の

一節に焦点を当てる。

 

主人公はリスクを恐れず

挑戦する生き方を選ぶが、

その選択には代償が伴う。

 

「弱気になるくらいなら死ぬのがマシ」

と語られるように、

ここには自由への執着が見える。

 

しかし、選択の果てに待つものが

孤独や虚無であったとしても、

人は挑むことをやめられない。

 

カミュ『シーシュポスの神話』におけるように、

「運命を愛する」態度こそが人間の生き方なのだ。


 

第五章 未来と不確実性 - 「ビッグプラン」の倫理

「未来は常に不確かであるが、

その不確実性が希望を与える。」

ガブリエル・マルセル

KEIJUとAwichは

「ビッグプラン」を描き、

成功への希望を示唆する。

 

未来が不確実であるからこそ、

人は希望を持ち続け、計画を立てる。

 

この歌詞の中で

「普通じゃない世界」に

生きることの困難が語られるが、

それでも「never run away」という

決意が貫かれている。

 

この態度は、

実存主義者マルセルが説いた

「創造的希望」の一種だ。

 

人は未来に保証がなくとも、

その不確実性を抱きしめて

前に進まなければならない。

 

終わりに 貨幣の彼岸にあるものとは

「人は、意味を求めて生きる動物だ。」

フリードリヒ・ニーチェ

「Money Baby」は、

貨幣が人間の生き方に与える

複雑な影響を描いた歌である。

 

金銭は確かに力を与えるが、

それだけで人生の意味が得られるわけではない。

 

ニーチェの言う「超人」のように、

我々は自らの生に意味を見出し、

貨幣を超えた価値を求めなければならない。

 

KEIJUとAwichの語る

「モチベーション」は、

単なる成功への道ではなく、

自己の存在を賭けた戦いである。

 

その戦いの果てに何が待つのか、

それは、貨幣の先に広がる

未知の領域にこそ見出されるのだ。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞考察】清水美依紗/TipTap 人生という舞台で踊る!曲の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

清水美依紗
TipTap

について哲学的に考察していく。


 

清水美依紗「TipTap」MV

www.youtube.com

TipTapの歌詞

Ah!! 
人生は奇想天外や
なんて超奇々怪界なのでしょう
これじゃこれじゃ
持て余しちゃうわ
薔薇色の真実なんて
マジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap, Tip Tap
Tip ap, Tip Тар, Tip Tap
人生は蜉蝣(カゲロウ)
栄光は蜃気楼
そんなんじゃつまんない
お気楽に生きましょう
電脳煩悩洗脳
窮屈なんて退屈
I wanna, I wanna, 
I wanna be free
移ろう時代に
運命の糸
今ここで断ち切ろうか
Ah!! 
人生は奇想天外やなんて
奇々怪界なのでしょう
これじゃこれじゃ
持て余しちゃうわ
薔薇色の真実なんてマジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap,

Tip Tap Tip Tap,

Tip Tap, Tip Tap
背徳感の味を覚えたら
非日常からもう帰れないの
順序よく進めていた
純情の面影は
どこにどこに忘れたの?
不測の異常事態
居心地のいい
今このままも悪くない
Ah!! 
人生は素晴らしいなんて
誰がそう言い出したのでしょう
それはそれは半分違うわ
薔薇色の人生なんて要らないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
ユラユラ揺れるままにフラフラしたって構わない
ラクラ 
するほど移ろいやすいから
Ah!! 
人生はこんなに
難解でそれでいて
単純なのでしょう
滑稽だわ
薔薇色の真実なんてマジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
死ぬまで踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap,

Tip Tap Tip Тар,

Tip Tap, Tip Tap
Ah!! 人生

 

序論 奇想天外なる人生の舞台

「Ah!! 人生は奇想天外やなんて

奇々怪界なのでしょう」という冒頭は、

人生が予測不能であり、

混沌とした舞台であるという認識を示します。

 

ここにおいて、

哲学的視点からの問いは

次のように浮かび上がります。

 

人生は果たして

意味のある秩序を持つのか、

あるいはただ偶然の連続なのか。

 

カール・ユングは言います。

「偶然は神が匿名で行動する手段である」と。

 

この奇妙な世界の理不尽さこそが、

私たちを生の核心へと誘うのです。


 

第一章 「人生は蜉蝣」:無常と幻影の美学

「人生は蜉蝣、栄光は蜃気楼」

という歌詞は、

存在の無常さと栄光の儚さを強調します。

 

仏教における「無常」の

教えを想起させるこのフレーズは、

万物が常に変化し、

持続するものは何もないという

真理を示しています。

 

ヘラクレイトスもまた

「同じ川に二度入ることはできない」と述べ、

流動する存在の本質を見事に表現しました。

 

ここで問題となるのは、

私たちがこの無常の中で

いかに生を肯定するかということです。

 

蜉蝣(カゲロウ)の一瞬の輝きにこそ、

生の真実が隠されているのかもしれません。

 

第二章 電脳と煩悩:自由への渇望

「電脳煩悩洗脳、窮屈なんて退屈」

という一節には、

現代社会における

テクノロジーと精神的束縛への

反発が込められています。

 

ここでは、

ジャン=ジャック・ルソー

「人間は自由なものとして生まれたが、

至るところで鎖につながれている」

という言葉が浮かびます。

 

欲望と規範の狭間に揺れる現代人は、

外的な自由のみならず、

内的自由をも希求します。

 

「I wanna be free」という

言葉にこめられた切望は、

サルトルの言う

「人間は自由の刑に処されている」

という実存の苦悩を反映しています。

 

第三章 白黒の選択:存在と意志の力学

「今夜こそねえ白黒つけましょう」

という宣言は、曖昧な状態を拒絶し、

明確な選択を求める意思の表れです。

 

この二項対立は、

ニーチェ善悪の彼岸

指摘したように、

道徳的規範に縛られた判断を

超越する挑戦にも見えます。

 

決断の瞬間は存在

そのものの確認であり、

カール・ヤスパースの言う

「限界状況」に相当するものです。

 

私たちは

「選択しないこともまた選択である」

というアンガジュマン(責任ある行動)を

担う存在として、

白黒をつけることが求められています。

 

第四章 非日常の甘美と純情の忘却

「非日常からもう帰れない」

「純情の面影はどこにどこに忘れたの?」

という一節では、

現実逃避の誘惑と

その中で失われる純粋さの葛藤が

浮き彫りにされています。

 

プラトン

「享楽の快楽は一時的なものであり、

真の幸福は魂の充実にある」と語ります。

 

しかし、この楽園の喪失は

必ずしも悲劇ではありません。

 

ヘーゲル

「精神は自己を失い、

再びそれを取り戻す運動によって成長する」

と述べ、喪失の中にも

成長の契機があることを示しています。


 

結論 薔薇色の幻想を拒む生の肯定

「薔薇色の人生なんて要らないわ」

という拒絶には、

自己欺瞞から解放された

生の肯定が見出せます。

 

シモーヌ・ヴェイユ

「真実の愛は幻想の死によってのみ得られる」

と述べ、幻想を捨てたときにこそ、

私たちは本物の生を見いだせると説きました。

 

滑稽でありながらも

単純であるこの人生を踊り続けること,

それこそが真の自由かもしれません。

 

「死ぬまで踊りましょう」という言葉は、

アルベール・カミュ

「不条理の中で諦めず生きる者は英雄である」

という思想を体現しています。

 

終わりに

この分析を通じて、

『TipTap』は、無常の中で踊り続けること、

甘美な幻想を拒みつつも楽しむこと、

そして自由を追求することを

私たちに促していることが明らかになりました。

 

人生とは、その意味を捉えきれぬほど

複雑でありながら、

踊るようにシンプルなものであるのです。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。

 

【歌詞考察】M!lk/エビバディグッジョブ 時間と仕事が表す意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

M!lk
エビバディグッジョブ!

について哲学的に考察していく。

[:contents]  


 

M!lk「エビバディグッジョブ!」MV

www.youtube.com


エビバディグッジョブ!の歌詞

Everyboby put your hands up!!! (Hoo!)
(Churu churu choo choo choo 
Churu churu choo choo)
エビバディ モーニング!
決して止まないアラーム
現在かなりヤバい
門外不出な顔のIt's me
途中経過はスワイプして
完成形でどう?
あと5分で遅刻です
サマーディ 着いただけで
アセ、アセスノーディ 
静電気でイタタタタタタ
思いたる節なんてない
その注意下げた頭ん中 
今日のご飯(What?)
減らないToDoリスト 
終わらないミーティング
誰かねえ助けてほしい
甘くない時代これって何世代?
Everyboby put your hands up!!! (Hoo!)
ブラボー ブラボーブラボー
おつかれさま
いいことは大概明日にあるんだ
愛はまだいっぱい待機中(Hey)
希望をぎゅっぎゅっぎゅっ
Everyboby put your hands up!!! (Hoo!)
笑い笑い笑い泣いてまた笑い
門にはだいたい 福がいるんだ
アイディアがいっぱい旋回中 (Hey)
夢見てぐうぐうぐう
Everybody very Good job!!! (Hoo!)
(Churu churu choo choo)
(One weekday go)
終電乗って深夜やっと家についた
鍵はどこ行った?
あった!なんだ、そっか。
待って、スマホがないな
いつものパターン 
チックタックタック
今何時?グダる1時 
チックタックタック
今何時?ソファで2時 
チックタックタック
今何時?グダる3時 
チックタックタック
早く歯を磨け(Hoo!)
しゃあないしゃあないしゃあないなんだかんだオーライ
夜更かしは毎回なんとかなるんだ
相も変わらないブルーライト中 (Hey)
世界へVroom vroom vroom
Everybody very Good job!!! 
(Hoo hoo! Hoo hoo!)
思い通りなんて
いかないもんだって
そんなセリフ聞き飽きたんだって

清く、楽しく、ゆるく歩いていこう

たまには走ろう
この休憩は長めにとろう
(ワン、トゥー、スリー、フォー、ファイブ)
ブラボー ブラボーブラボー
おつかれさまいいことは
大概明日にあるんだ (Hoo!)
愛はまだいっぱい待機中(Hey)
希望をぎゅっぎゅっぎゅっ
Everyboby put your hands up!!! (Hoo!)
笑い笑い笑い泣いてまた笑い
門にはだいたい 福がいるんだ
アイディアがいっぱい旋回中 (Hey)
夢見てぐうぐうぐう
Everybody very Good job!!!
アイはきっといつも Beside you
夢見てぐうぐうぐう(Hoo!)
(Churu churu choo choo choo 
Churu churu choo choo)

 

序論 日常のカオスと音楽の哲学

M!lkの「エビバディグッジョブ!」は、

現代人のカオスに満ちた

日常を描写しつつも、

そこに希望と笑いを見出す楽曲である。

 

この楽曲は、反復する時間、

終わらないタスク、

そして休息の価値を問いかける。

 

本稿では、この歌詞に

内包された哲学的な問いを解き明かし、

哲学者たちの視点を通じてその意味を探る。


 

第1章 反復される日常の意味

1. 時間の流れと「チックタック」―ベルクソンの「時間の哲学」

「今何時?」という問いが

何度も繰り返される歌詞は、

ベルクソン「持続の時間」

概念を思い起こさせる。

 

ベルクソンにとって、

時間は単なる時計の刻みではなく、

内的に感じる持続である。

この楽曲の「チックタック」

という表現は、機械的時間の束縛と

内的時間との乖離を暗示する。

 

2.終わらないタスクと責務―ハイデガーの「世界内存在」

「減らないToDoリスト」と

「終わらないミーティング」は、

ハイデガー「世界内存在」としての

人間を象徴している。

 

我々はタスクに追われ、

存在そのものが何かに巻き込まれる。

 

「助けてほしい」と叫ぶその瞬間、

我々はハイデガーが言う「不安」の中にいる。

 

第2章 希望と「アイディアの旋回」

1. ブルーライトの向こう―プラトン的理想界の再解釈

「相も変わらないブルーライト中」

というフレーズは、

プラトンの洞窟の比喩を連想させる。

 

現代の我々は、ブルーライトのスクリーンに

映る影に囚われている。

 

しかし、アイディアが「旋回中」であるように、

理想の世界への到達もまた試みられているのだ。

 

2. 明日への希望―カントの「目的の王国」

「いいことは大概明日にあるんだ」

という歌詞は、

カントの「目的の王国」の概念に通じる。

 

カントは、倫理的な行動は未来への

希望と結びついているとした。

 

いかなる困難があろうと、

我々は未来に向かって歩む存在なのである。

 

第3章 笑いと涙の哲学

1. 「笑い泣いてまた笑い」―ニーチェの「アモール・ファティ」

「笑い笑い笑い泣いてまた笑い」

という歌詞は、

ニーチェ「アモール・ファティ」に重なる。

 

我々は人生のすべて

喜びも悲しみもを受け入れ、

愛するべきである。

 

人生とは、

予期しない出来事の連続であり、

それを笑い飛ばすことが生きる知恵となる。

 

2. 門にいる「福」の存在―東洋的幸福観と老荘思想

「門にはだいたい福がいるんだ」

という表現は、

東洋思想の無為自然に通じる。

 

老荘思想においては、

無理のない自然体の中に幸福が宿るとされる。

 

幸福とは、何かを追い求めるものではなく、

既にそこに在るものなのだ。

 

第4章 自由と休息の倫理

1. 夜更かしと自由意志―サルトルの「実存は本質に先立つ」

「夜更かしは毎回なんとかなるんだ」

という歌詞には、

サルトル「実存は本質に先立つ」

という思想が見て取れる。

 

夜更かしをすることは、

一見すると無駄のように思えるが、

実存を享受する自由な選択である。

 

我々は常に自己のあり方を選び取っていくのだ。

 

2. 休息を取る勇気―アリストテレスの「メソテース」

「この休憩は長めにとろう」

という言葉には、

アリストテレス「中庸」の哲学が

反映されている。

 

休息は怠惰ではなく、

活動と休息のバランスの中に美徳が見出される。

 

無理をしないこともまた、人生の知恵である。


 

結論 「Everybody Good Job!!!」の解釈

M!lkの「エビバディグッジョブ!」は、

日常の混沌の中にも希望と自由を

見出すことの重要性を教えている。

 

この楽曲は、ニーチェの運命愛、

カントの目的の王国、

そして老荘思想無為自然といった

哲学的概念を体現している。

 

我々は、笑いと涙の両方を抱きしめ、

日常の中にある幸福を

見逃さないように生きていくべきなのだ。

 

「Everybody Good Job!!!」という言葉は、

すべての努力に価値があることを肯定し、

未来への希望を示すエールである。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。