音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】AKASAKI(アカサキ)/ルーツ(Roots) この曲の意味とは?世界の果て(起源)まで踊る美しさの理由を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

AKASAKI
ルーツ

について哲学的に考察していく。


 

AKASAKI「ルーツ」MV

www.youtube.com

 

ルーツの歌詞

繋いだこの手が
冷たく儚くても
私は踊るよ貴方と果てまで
青く白い温もりを見てさ
意味もなく期待を抱いたの
目に映る古びた希望すら
貴方のために
淡い街並みで二人で
叫ぶのぎこちなくても大丈夫
さらにときめいて
新しい景色眺めてよ
ため息なんていらなくて
ひたすら踊り明かして
弾け飛ぶルーツも淫らに美しく
ため息なんていらなくて
二人だけのステップして
煌びやかなライトが私達を包む
赤く白い街並みを見てさ
意味も無く涙を流したの
目に映る華やかな愛すら
貴方のために
繋いだこの手が
冷たく儚くても
世界の終わりが
すぐそこに来るまでは
貴方の悔やみも
過去も今も包むの
私と踊ろう世界の果てまで
ため息なんていらなくて
ひたすら踊り明かして
弾け飛ぶルーツも淫らに美しく
ため息なんていらなくて
二人だけのステップして
煌びやかなライトが私達を包む


序論

少年:

僕はこの歌詞を読むと、

何か儚さと美しさが入り混じった

世界を感じるんだ。

 

冷たく儚い手を繋ぎながら踊る…

これは一体どういう感情なんだろう?

 

メロディウス:

少年よ、この歌詞が描き出すのは、

終焉に向かう世界の中で、

それでもなお踊り続ける人間の姿だ。

 

そこにあるのは「諦め」と「希望」、

そして「美」の同時存在だと思わないか?

 

まずはこのテーマを紐解いていこう。


 

第1章 冷たく儚い手を繋ぐ意味

少年:

「繋いだこの手が冷たく儚くても」

という一節に引っかかるよ。

 

冷たい手というのは、

死や消滅を象徴しているのかな?

 

メロディウス:

確かに、冷たい手は死や絶望を

象徴していると解釈できるだろう。

 

しかし、それが「儚い」

という言葉と組み合わさることで、

ただの絶望ではなく、

そこに一抹の美しさが漂う。

 

「儚さ」とは瞬間の輝きだ。

 

人間が有限性を抱えながらも、

なお互いの手を取り合う姿に美があるのだ。

 

少年:

でも、儚いものって

どうして美しいんだろう?

永遠のものの方が安心できる気がするけど。

 

メロディウス:

それは有限だからこそ、

そこに価値を感じるのだよ。

 

永遠の中では、

何も特別ではなくなる。

 

儚いものは、消えゆく瞬間に意味を宿し、

我々に生きる喜びと悲しみを同時に教えるのだ。


 

第2章 踊るという行為の哲学

少年:

次に出てくる

「私は踊るよ貴方と果てまで」

踊るって何か特別な意味が

あるのかな?ただの比喩かな?

 

メロディウス:

踊りは人間の本能的な表現だ。

 

言葉を超えた身体の動きが、

感情や意志を伝える。

 

ここでは、踊りは「生きること」

そのもののメタファーだろう。

 

世界の果て、つまり終わりに

向かいながらも踊ること。

 

それは、生の美しさや喜びを

忘れずに生き続ける姿勢を示している。

 

少年:

終わりが近いなら、

普通は恐れたり悲しんだりするよね。

 

でも、この歌詞の語り手は

踊り続けてる。それは何でだろう?

 

メロディウス:

そこにあるのは一種の受容だ。

 

「世界の終わり」が避けられないのなら、

それを嘆くのではなく、

その中で意味を作り出す。

 

それが踊るという行為だ。

これは実存主義的な視点にも通じる。

 

サルトルの言葉を借りれば、

「人間は自由の刑に処されている」。

 

その中でどう行動するかが問われるのだ。


 

第3章 ため息はいらない、という意志

少年:

「ため息なんていらなくて」って

繰り返されてるけど、

これにはどんな意志が込められているの?

 

メロディウス:

ため息は後悔や疲労、諦めを象徴する。

 

ここでの「ため息なんていらなくて」は、

それらの感情に屈しないという

強い意志を示している。

 

世界がどうであろうと、

自分たちのペースで踊り続ける。

その姿勢こそが、彼らの生き方なのだ。

 

少年:

でも、悲しい時には

ため息も必要じゃないの?

 

無理に明るく振る舞うより、

自分の感情を受け入れることも大事だと思うけど。

 

メロディウス:

確かにそうだ。

しかし、この歌詞で語られる

「ため息はいらない」という言葉は、

感情を否定しているわけではない。

 

むしろ、ため息に囚われることなく、

未来を見据えるための決意を表している。

 

感情を超えた先にある

「踊り」こそが重要なのだ。


 

第4章 街並みの変容と記憶

少年:

「青く白い温もり」

「赤く白い街並み」って

具体的にどんな情景なんだろう?

 

メロディウス:

これらの色彩は、

時間や感情の移り変わりを

象徴しているのではないか。

 

青と白の静謐さから、

赤と白の情熱へ。

 

これは、人生や関係性の変化を

表現しているのだろう。

 

少年:

それでも「意味もなく涙を流した」

とあるけど、どうして涙を流したんだろう?

 

メロディウス:

涙はしばしば感情の純粋な表現だ。

 

「意味もなく」とあるが、

それは言葉では説明できない

深い感情に触れた瞬間を示している。

 

美しさ、切なさ、失われるものへの愛惜。

 

その全てが交錯する瞬間に、

人は涙を流すのだ。


 

結論 世界の終わりまで踊り続ける理由

少年:

最後に、この歌詞全体が

伝えたいことって何だろう?

 

メロディウス:

この歌詞が描くのは、

終焉の中でもなお人間が紡ぎ出す「美」だ。

 

世界が終わりに向かう中で、

冷たく儚い手を繋ぎ、

意味のない涙を流しながらも踊り続ける。

 

それは、人間の存在そのものの詩的な描写だ。

 

有限性を受け入れ、

そこから何かを創り出す力。

これが人間の本質なのだろう。

 

少年:

そうか、踊ることは生きること。

ため息に囚われず、

美しい瞬間を紡ぎ出す。

 

僕もそんな風に生きてみたいな。

 

メロディウス:

そうだ、少年よ。

人生の終わりは避けられない。

 

しかし、踊り続ける限り、

そこには意味と美しさがある。

 

その一歩一歩が、君の物語を形作るのだよ。