諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
iri
Faster than me
について哲学的に考察していく。
- iri「Faster than me」MV
- Faster than meの歌詞
- 序論
- 第1章 時間が書き換える思い出と愛の不確かさ
- 第2章 当然の存在と失うことの後悔
- 第3章 愛の形と自己の投影
- 結論 触れ合いと心の形
iri「Faster than me」MV
Faster than meの歌詞
過ぎゆく日々が書き換えた思い出
あなたの背中ばかり浮かぶの寂しいときは
なぜか早く歩こうとしないで
分かれ道ほどあなたのそばにいたいから
涙溢れないようにこの指で塞いでいた
心満たす愛が二度と離れないように
あなたに触れて初めて知った
この気持ちは今もこの体の中で覚えている
いつもこうしていたいと想像する毎日
いつも後悔なんて滅多にないのに
君が当然いると思っていたよ毎日
だから振り向かないで私の前で
序論
少年
僕はこの歌詞を読んで、
何だかとても胸が
締め付けられるような気持ちになったよ。
過ぎ去る時間、書き換えられる思い出、
そして誰かの背中が浮かぶ寂しさ――
すごく切ないのに、それが美しいとも感じるんだ。
メロディウス
なるほど、少年。
君の言葉から、時間と記憶、
そして愛というテーマが浮かび上がる。
人はなぜ思い出に寂しさを覚えるのか。
それはおそらく、過ぎ去った日々の中にある
「触れることのできない存在」に対する
渇望なのだろう。
第1章 時間が書き換える思い出と愛の不確かさ
少年
「過ぎゆく日々が書き換えた思い出」
という歌詞、時間が思い出を
変えてしまうというのはどういうことだろう?
メロディウス
少年、時間は絶対的だが、
思い出は主観的だ。
人の記憶は常に揺らぎ、
時間と共に変容していく。
例えば、かつての愛は美しく記憶され、
時には悲しみが増幅されることもある。
それは「今」の自分が「過去」の
思い出に何らかの意味を求めるからだ。
時間が書き換えるのではなく、
私たちが自分自身を通して書き換えていくのだ。
少年
なるほど。でも、それって切ないな…。
今ここにいる人との時間だって、
やがては変わってしまうってことだろう?
メロディウス
その通りだ。
だが、だからこそ「今」という
瞬間はかけがえがないのだ。
人は過去にすがりたくなる生き物だが、
本当に大切なのは「今、ここにある愛」なのだろう。
少年
「あなたの背中ばかり浮かぶ」という
部分も気になるんだ。
どうして人は大切な人の
「背中」ばかり思い浮かべるんだろう?
メロディウス
それは、背中が
「遠ざかる存在」の象徴だからだ。
君が言う「背中」は、
相手が去ろうとする瞬間を捉えたものだろう。
そこには追いかけたい気持ちと、
追いつけない現実が同居している。
そして、人生には必ず分かれ道が存在し、
その瞬間ほど人は相手の側にいたいと願うのだ。
少年
分かれ道――確かに、
それは二人の距離が測られる場所だね。
でも、どうして人は涙を堪えようとするんだろう?
「涙溢れないようにこの指で塞いでいた」
という表現がすごくリアルで…。
メロディウス
涙を堪える行為は、
人間の誇りと愛情のせめぎ合いだ。
涙は感情の解放だが、
それを抑え込もうとするのは
「離れたくない」という気持ちを
自分自身に隠すためでもある。
そしてここで重要なのは、
「心満たす愛が二度と離れないように」
というフレーズだ。
この愛は触れ合うことで
初めて得られたもの――
つまり、真実の愛の発見だ。
第2章 当然の存在と失うことの後悔
少年
「君が当然いると思っていたよ毎日」――
この部分が心に刺さったんだ。
どうして人は、近くにいる人を
「当然」と思ってしまうんだろう?
メロディウス
人は慣れによって「大切な存在」を
日常に溶け込ませてしまうからだ。
存在が当たり前になると、
その価値に気づくことが難しくなる。
そして、失ったときに初めて、
その「当たり前」が奇跡だったことに気づく。
少年
「いつも後悔なんて滅多にないのに」――
これも、失うことで初めて後悔が生まれるってこと?
メロディウス
そうだ。後悔は過去に対する未練だが、
逆に言えば、それほど愛が深かった証でもある。
だからこそ、愛に気づいた瞬間、
人は「振り向かないでほしい」と願うのだろう。
それは、愛する人に前だけを向いてほしい――
つまり、自分の存在が
相手の重荷になりたくないという
自己犠牲的な愛の形でもある。
少年
「だから振り向かないで私の前で」
という歌詞は、
愛しながらも自分を
押し殺すような切なさを感じるよ…。
第3章 愛の形と自己の投影
少年
メロディウス、
「あなたに触れて初めて知ったこの気持ち」
という部分をもっと考えてみたいんだ。
触れることで生まれる感情って、
どうしてこんなにも特別なんだろう?
メロディウス
触れるという行為は、
他者を自分の存在に引き寄せ、
心を重ねることだ。
言い換えれば、相手という
「鏡」に映った自分自身の心を見ることでもある。
人は触れ合うことで相手に自分を投影し、
その中に自分の本当の感情や願いを発見するのだ。
少年
「触れることで知る愛」っていうのは、
単に相手を愛するだけじゃなくて、
自分自身を知ることでもあるんだね…。
だからこそ、
その愛が離れてしまうことが怖いのか。
メロディウス
そうだ。愛は他者と繋がることで
自分を映し出すが、
同時にその繋がりが絶たれたとき、
人は自分の一部を失ったような喪失感に苛まれる。
「心満たす愛が二度と離れないように」
という言葉には、
その切実な願いが込められている。
少年
それでも人は、愛を求めるんだね…。
怖くても傷ついても、触れたいと願うんだ。
メロディウス
その通りだ、少年。
それが「愛の形」だ。
完全ではなく、不確かで傷つきやすい――
だがそれでも人は愛に手を伸ばす。
そこにこそ、人生の意味があるからだ。
結論 触れ合いと心の形
少年
メロディウス、この歌詞は結局、
何を伝えようとしているんだろう?
「わかっていても傷つく愛」って…。
メロディウス
少年、この歌詞は、
触れ合うことで初めて知る愛の尊さと、
その愛を失うことの儚さを描いているのだ。
愛は不確かで傷つきやすいものだが、
それでも人は愛することでしか
自分の本当の形を知ることはできない。
そしてドラマ『わかっていても』の
登場人物たちもまた、
愛に不器用ながら手を伸ばし、
苦しみながらも真実の心を見つけ出そうとしている。
愛は傷つくものだが、
その痛みさえも生きる証となる――
それが、この物語と歌詞が共鳴するテーマだろう。
少年
じゃあ、僕も…怖がらずに誰かに触れてみたいな。
そしてその瞬間、
自分の本当の気持ちや愛の形を見つけられるなら――。
メロディウス
少年、それこそが愛だよ。
人は愛し、愛されることで初めて
自分という存在を真に理解するのだから。