音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】ChroNoiR(クロノワール)/深愛 この曲の意味とは?MVに描かれた身体的感覚や欲望の世界観を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

ChroNoiR
深愛

について哲学的に考察していく。



 

ChroNoiR「深愛」MV

www.youtube.com


深愛の歌詞

その目も声も骨も髪も指も爪も
僕だけに見せて
悲鳴も詭弁も奇声も嘘も
焦燥も羨望も気持ちがいい
穢れなき肌
痛いくらいがいい具合
食らってしまいたいし
大嫌いな愛も語り出しちゃうくらい
麻る脳内世界
もう相妄想暴走
度を超しそう
戯れましょう
気狂っちゃってんだ
蔓延る甜言
美しい形は溶けゆく飴のよう
とめどない甘美さ故 乾いてく舌上で
煙たつ雨に揺らめく深愛
壊れない様に永く味わうため
僕を理解して疑わないで
気が触れ砕くまで
舌を満たす依存性の悦び
胃袋に落ちる眼差し
麗しくて後を引く故意の味
言葉をだらだら並べるくらいなら
無垢の恋情に触ればとうに
溶けてなくなってただの砂糖
器用に転がしていたつもりがどう?
異常に肥えた情で破裂しそう
症候群?妄執?常習?
もう中毒?
冗談でしょう
まだ足りないよ
食べたいの
治らない
痛い痛い
腹の中
この愛を拒むくらいなら汚してしまいたい
美しい色で誘う君に触れて僕が
その水面かき混ぜ濁してしまいたい
息をする度喉が欲しいと声漏らして
その味を求め枯れてく
意識も揺れるほど
とめどない甘美さ故 乾いてく舌上で
混ざり合う泥に塗れた深愛
壊れない様に永く味わうため
僕を理解して疑わないで
気が触れ砕くまで
気が触れ砕くまで


序論

少年
この歌詞、なんだか毒々しいけど、

同時に美しくて目が離せない。

 

愛や欲望の表現が、ただの言葉を超えて身体的、

感覚的なものになっている感じがする。

 

僕はこれをどう理解したらいいんだろう。

 

メロディウス

少年よ、この歌詞は愛と欲望の本質を

探求する一つの哲学的表現だ。

 

美と醜、愛と憎悪、純粋と堕落。

これらが混ざり合い、境界を失う中で、

歌詞の語り手は「深愛」という概念を追求している。

 

ここで重要なのは、この愛が「欲望」と

深く絡み合っている点だ。

第一章から一緒に考えてみようか。


 

第1章 愛の官能性と欲望の融合

少年
「その目も声も骨も髪も指も爪も、

僕だけに見せて」――

これは所有欲みたいなものだよね?

 

でも、「悲鳴も詭弁も奇声も嘘も」なんて、

普通はネガティブに見えるものまで

欲しているみたいだ。

 

愛って、こんなにむさぼるものなんだろうか?

 

メロディウス
そうだな、少年。

 

この部分には、愛が純粋で

崇高なものという固定観念への

挑戦が感じられる。

 

語り手は、相手の「美しい部分」だけでなく、

「醜い部分」までも求めている。

 

これは、人間の本質が「完全な受容」を

渇望していることを示しているのだ。

 

愛とは、相手をそのまま受け入れる行為だが、

ここではその受容が暴力的なまでに官能的である。

 

少年
「穢れなき肌、痛いくらいがいい具合」って、

愛と痛みがつながっているのも奇妙だ。

 

痛みが「いい具合」だなんて、

普通は思わないよね?

 

メロディウス
痛みは感覚の極限だ。

愛の中で痛みを求めるのは、

「生の実感」を欲しているからだろう。

 

この愛はただの甘美な幻想ではなく、

現実の感覚、特に痛みを通して

深みを得ようとしているのだ。

 

痛みは快楽の対極にあるようでいて、

実際には同じコインの裏表だと

語り手は言いたいのかもしれない。


 

第2章 愛の中毒性と境界の喪失

少年
「麻る脳内世界」「もう中毒?」って、

愛がまるで薬物みたいだ。

 

愛がこんなふうに人を壊してしまうことって、

実際にあるのかな?

 

メロディウス
愛とは、理性を超えた力を持つものだ。

 

だからこそ、語り手はその強烈な快楽と

依存性に引き寄せられる。

 

しかし、ここで興味深いのは、

「壊れないように永く味わうため」

と語る部分だ。

 

壊れることを恐れる一方で、

その愛の破壊力にも魅了されている。

 

この矛盾が愛の本質を浮き彫りにしているのだよ。

 

少年
「美しい形は溶けゆく飴のよう」――

愛って、こうやって甘いけど

一瞬で消えてしまうものなの?

 

それとも、もっと永遠の何かを

求められるものなんだろうか?

 

メロディウス
この比喩は儚さを示している。

だが、愛が一瞬で終わるものだとしても、

その瞬間にすべてが詰まっているとも言える。

 

愛とは形のないものであり、

その変化を受け入れる覚悟こそが、

真に愛することに近いのではないだろうか。


 

第3章 深愛の破壊と再生

少年
「この愛を拒むくらいなら汚してしまいたい」って、

愛が汚されることを恐れないんだ。

 

この部分、愛が理想とは程遠いものに思えるよ。

 

メロディウス
愛は理想と現実の間で揺れ動くものだ。

この語り手にとって、

愛が理想から外れることは問題ではない。

 

むしろ、「汚す」ことで

本質に近づくと考えている。

 

愛とは本来、人間のあらゆる側面を含むもの。

 

汚れや不完全さを含むことで、

むしろそれが真実の愛となる可能性がある。

 

少年
「混ざり合う泥に塗れた深愛」――

これって、愛が完全に崩壊したイメージだよね。

 

それでも、そこに価値があるのかな?

 

メロディウス
崩壊とは、必ずしも終わりを意味しない。

混ざり合う泥とは、

再生の可能性を孕んだ混沌でもある。

 

完全な形を失ったものは、

新たな形を生み出す契機となる。

 

愛は絶えず変化し、

壊れながらも再び築かれるものだ。

 

この歌詞では、その過程が

深愛」として描かれているのだろう。


 

結論 深愛という名の存在論

少年
この歌詞の「深愛」って、

愛そのものの完全性や純粋さを

求めるんじゃなくて、むしろその逆に、

壊れたり汚れたりすることを通して

真実に近づいていく感じがする。

 

でも、それって愛なんだろうか?

 

メロディウス
愛は、純粋で完全なものとして

理想化される一方で、

その実体は矛盾に満ちている。

 

愛するという行為は、

必ずしも美しいものではなく、

ときに暴力的で、破壊的ですらある。

 

だが、それが人間の本質と

深く結びついているからこそ、

深愛」と呼ぶに

ふさわしいのではないだろうか。

 

少年
矛盾を抱えたまま、

それでも愛を求めるのが人間の本質なんだね。

 

なんだか少し怖いけど、

同時に深く共感できる気がするよ。

 

メロディウス
そうだ、少年よ。

この歌詞は、愛の持つ狂気、

依存、破壊、そして再生を描くことで、

私たちに愛とは何かを問いかけている。

 

それは、一つの答えではなく、

問いそのものとして存在しているのだよ。