諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
tuki.
孤独の鯨
について哲学的に考察していく。
tuki.「孤独の鯨」MV
孤独の鯨の歌詞
優しい人もいるわ
魅力的な人もいるわ
でも同じメロディーを歌ってくれたのは君だけ
lalalalalalala...
歌うように君の名を呼ぶ
孤独な鯨のように
君を歌っている
寂しさに慣れる夜はなく
月の夜に吠える
戸惑うこともあるわ
心が解けることに
忘れかけたメロディーを思い出せるのはもう僕だけ
lalalalalalala…
今日もただ君の名を呼ぶ
孤独な鯨の夜に
誰が歌っている
寂しさに慣れてしまうなら
月の夜も飛べる
lalalalalalala...
孤独な鯨のように
君を歌っている
寂しさに慣れる夜はなく
月の夜に吠える
lalalalalalala…
序論
この歌詞を
読んでみたんだ。
孤独な鯨が「君」を
歌い続ける話みたいだけど、
何だかただの
恋の歌っていうより、
もっと深いものを感じるんだ。
どう思う?
少年、それは
素晴らしい着眼点だ。
この歌詞には
確かに個人的な感情を超えた
普遍的なテーマが
秘められている。
孤独、共鳴、そして記憶―
それらが交錯しているようだ。
では、この歌詞を
紐解きながら、
孤独とは何か、
歌うことの意味とは
何かを考えてみよう。
孤独と共鳴
「孤独な鯨」って言葉が、
この歌詞の核だと思うんだ。
でも、鯨って
普通群れで
生きているよね。
なのに、この鯨は
一人きりで歌っている。
どうしてだろう?
少年、孤独というのは
物理的に一人でいる状態を
指すだけではない。
それは、他者との
「共鳴」を
失ったときに感じるものだ。
この鯨は、周囲と同じ
「周波数」で
歌えない
存在なのかもしれない。
自分の歌が届かない、
その感覚が孤独を生んでいるのだ。
そうか。
だから歌詞に
「同じメロディーを
歌ってくれたのは君だけ」
って書いてあるんだね。
その「君」とは、
共鳴できる
唯一の存在なんだ。
でも、それでも鯨は
まだ孤独を
感じているんだね。
そうだ。
その「君」との共鳴は
一瞬のものか、
あるいは記憶の中にだけ
存在しているのかもしれない。
孤独とは、共鳴を
渇望する魂の状態だ。
この鯨が「君」を
歌い続けるのは、
その共鳴を永遠に
求めているからだろう。
歌うことの意味
でも、孤独なままなら、
歌うことに
意味はあるのかな?
もし誰にも届かないなら、
歌うのをやめた方が
楽になるんじゃない?
興味深い問いだ、少年。
しかし、歌うこと
そのものが意味を持つ
場合もあるのだ。
この鯨にとって、
歌うことは単なる
コミュニケーションではなく、
自分自身を保つ
行為でもあるのだろう。
歌は、孤独の中で
自己を見つめ直し、
存在を確かめる
手段になっているのだ。
そうか…。
だから歌詞に
「歌うように君の名を呼ぶ」
ってあるのか。
歌うことで、
鯨は自分の存在を
確かめているのかもしれないね。
その通りだ。
さらに「孤独な鯨の夜に
誰が歌っている」
と問う部分は、
歌う行為が
他者と自己の境界を
曖昧にすることを示している。
鯨は自分を歌いながら、
同時に「君」を歌っている。
この二重性こそが歌の本質だ。
記憶と時間
でもさ、歌詞には
「忘れかけたメロディーを
思い出せるのはもう僕だけ」
ってあるよね。
これって、時間の流れの中で
孤独が深まっているってこと?
そうだ。
時間は記憶を風化させるが、
その一方で、
記憶を守る責任を強調する。
この鯨は「君」との
共鳴を忘れたくないのだろう。
しかし、
記憶は次第に曖昧になる。
それでも歌うことによって、
鯨はその共鳴を
再現しようとしているのだ。
記憶って厄介だね。
忘れたくないのに、
勝手に薄れていく…。
だからこそ、
鯨は「lalalalalalala…」と
繰り返しているのかな。
その通りだ、少年。
この反復は、
記憶を繋ぎ止めるための
呪文のようなものだ。
そして、反復することで、
鯨は孤独と向き合いながらも、
それを超越しようとしているのだ。
結論
この歌詞って、
ただの孤独を
嘆く歌じゃないんだね。
歌うこと、思い出すこと、
それが鯨にとって
生きる意味そのものなんだ。
その通りだ、少年。
この歌詞は孤独を
テーマにしながらも、
歌うことの力、共鳴の奇跡、
そして記憶の儚さを語っている。
孤独は避けられないが、
それを歌うことで、
自分を保ち、
他者に届く可能性を探し続ける。
それが「孤独な鯨」の
生き方なのだろう。