諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
にじさんじ
ファミリア
について哲学的に考察していく。
にじさんじ「ファミリア」MV
ファミリアの歌詞
確かめ合おう
さぁ、何度でも
まだ魔法は解けていないんだと
なんでもできる僕のこと
なんにでもなれた私のこと
透明が「色」に見えたこと
それも 視えなくなってしまったこと
冷たい世界を知って
知らないことも減って
ちょっとずつ
消えそうになる
あの景色にさぁ、
準備をして逢いに行こう
さあ、手を叩いて
高らかに出発のベルが鳴り響いたら
目を合わせあって急ぎながら
燻んだ世界の向こうを見に行こう
降りしきる雪を抜け
その気待ちが何処に在るかを見つけ出せる
あなたとなら探しに行こう
どこまでも
魔法をかけよう
あなただけに
予感していたんだ
偶然が僕たちを結ぶ
きっと神様も予想外嫌になるかも
普通も然も 飛び越えて
その手を掴んで出会えるまで
まだ凍えそうな日は続く
震える声の元へ
空想は線を宿して
色を纏って
君を抱きしめにきたんだ
高鳴る この鼓動を君に伝えよう
想像の旅をしてきたんだろう
幻想の海を泳いだんだろう
最高の友人が出来たんだろう
あの魔法も解けてしまったんだろう
さあ、見つめ合ってさあ、何度でも
透明な意味に名前をつけて
声に応えて呼び合えた
本当の今を「魔法」って呼ぶんだ
さぁ、歌おうか高らかに愛おしい
世界が煌めくから目を見つめあって
笑いながら淀んでいる
雲の向こうを見に行こう
降り注ぐ 光浴びて
この気待ちをなんて言うんだろう
新しい名前をつけて
呼び合おう そう何度でも
魔法をかけよう
さぁ、何度でも
序論
少年
これを読んで感じたんだ。
この歌詞って、魔法みたいなものを
信じていた頃の僕たちと、
現実に触れてその魔法が解けた後の
僕たちが交差する話じゃないかなって。
現実の厳しさと、心の中にある希望や夢。
それらがこの詩の中で「魔法」って
言葉に込められているように思うんだ。
僕たちにとって魔法って何なんだろう?
メロディウス
少年よ、「魔法」とはある種の象徴だ。
子どもが世界を鮮やかに感じ、
可能性に満ちているとき、
それが「魔法」として表現される。
しかし、成長するにつれて
「透明が色に見えたこと」が失われ、
冷たく複雑な現実を知ることで、
その感覚が薄れていく。
だが、この歌詞には、その魔法を
再び見出そうとする意志がある。
これを掘り下げよう。
第1章 魔法の持つ意味
少年
歌詞の「まだ魔法は解けていないんだと」
という部分が引っかかるんだ。
現実に失望しそうになっても、
心のどこかではまだ信じていたいって感じが伝わる。
現実と希望がせめぎ合う瞬間だよね。
この「魔法」って、
一体どこから生まれるものなのかな?
メロディウス
それは「信じる力」だろうな。
人は未知の可能性や、
自分を超えた力を信じることで、
現実を乗り越えられる。
「なんでもできる僕」
「なんにでもなれた私」という言葉には、
幼少期の無限の可能性への信頼がある。
だが、同時にそれが失われてしまう
悲しみも描かれている。
少年、君が感じたように、
この詩は希望と喪失の狭間に
立つ人間の姿を表している。
第2章 視点の変化と再発見
少年
「透明が『色』に見えたこと」
「それも視えなくなってしまったこと」。
これって、子どもの頃には
何気なく感じられたものが、
大人になると見えなくなることを示しているよね。
でも、どうして人は
そういう感覚を失ってしまうんだろう?
メロディウス
少年、それは「知識」と「経験」の重みだ。
冷たい世界を知ること、
つまり現実を理解することで、
かつて純粋だった感覚は薄れていく。
しかし、失ったものを再発見しようとする
行為こそが成長の証だ。
この歌詞で言えば、
「消えそうになる景色に逢いに行こう」
という部分がそれだ。
失われた魔法を追い求める意志が、
この詩全体を通じて流れている。
少年
確かに。歌詞の中で
「燻んだ世界の向こうを見に行こう」とあるけど、
これはただの現実逃避じゃなくて、
現実を越えた新しい可能性を探す
冒険のように思えるんだ。
メロディウス
その通りだ。
人は失ったものを取り戻すために
進むのではない。
新しい形で再びそれを創り出すために進むのだ。
この冒険の旅路は、少年、君が言うように
「幻想」や「空想」をも内包する。
そして、それが「本当の今を
『魔法』って呼ぶ」行為につながる。
第3章 共鳴と呼び合い
少年
歌詞の後半にある
「透明な意味に名前をつけて
声に応えて呼び合えた」
って部分が好きだな。
名前をつけるっていうのは、
曖昧だったものに形を与える行為だよね。
これって、何かを共有するために
必要なことなのかな?
メロディウス
その通りだ。
名前をつけることは、存在を明確化し、
それを他者と分かち合う行為だ。
この歌詞の中では、
共鳴の象徴として描かれている。
つまり、失われた魔法を再び発見するには、
他者とのつながりが必要だということだ。
少年、君が感じた通り、
「呼び合う」ことで孤独な探求が共鳴へと変わるのだ。
少年
「新しい名前をつけて呼び合おう」って
ところが希望に満ちているよね。
同じ景色を見て、同じ気持ちを分かち合う。
そんな瞬間こそが「魔法」なのかもしれない。
メロディウス
そうだな。
「魔法」とは、ただの幻想ではなく、
人と人とがつながり合い、
共に何かを創造する瞬間だ。
これがこの歌詞の核とも言える部分だろう。
結論
少年
結局、この歌詞が伝えたかったのは、
魔法っていうのは
現実を超えた何かじゃなくて、
僕たちが現実の中で
見つけるものだってことなんだね。
それが「愛おしい世界」だったり、
「新しい名前をつけて呼び合う」ことだったりするんだ。
メロディウス
その通りだ、少年。
魔法とは、純粋な可能性を信じる力、
そして失われた感覚を他者と共に再創造する行為だ。
この詩は、人生の中で喪失と
再発見を繰り返しながら、
それでも希望を捨てない
人間の姿を描いている。
だからこそ
「何度でも魔法をかけよう」と歌うのだ。
少年
うん、僕もこの詩みたいに、
何度でも魔法を信じて生きていきたいな。