音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】Omoinotake(オモイノタケ)/アイオライト この曲の意味とは?ブルボンアルフォートのCMのように甘い幸せを描いた音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Omoinotake
アイオライト

について哲学的に考察していく。


 

Omoinotake「アイオライト」MV

www.youtube.com


アイオライトの歌詞

君と同じ世界線
産まれたこと出逢えたこと
きっとね僕の一生分の運を
全部使ったけれど
それでいいんだよ
あのね 消えたい夜の闇さえ
君の常夜灯みたいな
愛しい笑顔に照らされて
今日まで生きて来れた
止められない
想いが溢れ出す輝く
心の青い場所
君とだから見つけれた
左ちょっと上
はじめて気づけた幸せの在り処を
喜怒哀楽の2つを溶かし
2つをくれるほとんど君は魔法だ
飾るとこ困るくらい
君から貰った感情のコレクション 
それが僕のね
原動力で推進力で
道標になって手も使わないで
背中押すこの世で一人のひと
鳴り止まない
心が跳ねる音苦しいくらい
青いメロディ
君とだから重なった
3度ちょっと上
これ以上
上擦らないように抱えて
ねえどんな顔をいま
浮かべているの逢えなくても
君がどこかで 
ただ笑顔でいるなら
強くなれる僕の胸
止められない
想いが溢れ出す輝く
心の青い場所
かけがえない 
君がいま生きてる鼓動
僕が探してた幸せの在り処だ


序論

少年: 
メロディウス、

この歌詞を読んでいると、

何か心の深いところが震えるんだ。

 

「幸せの在り処」を探し、

見つけたような感じがする。

 

でも、それが具体的に何を意味するのか、

僕にはまだはっきりとわからない。どう思う?

 

メロディウス: 
少年よ、この歌詞には

「愛」と「存在」の本質が描かれている。

 

歌い手は、誰かと出逢ったこと、

そして共に生きていることに感謝し、

その感情を深く吟味しているのだ。

 

この対話を通じて、

「幸せの在り処」とは何かを、

一緒に考えてみよう。


 

第1章 出逢いと偶然の意味

少年: 
歌詞の冒頭、

「君と同じ世界線

産まれたこと出逢えたこと」

という言葉があるね。

 

これって、

「偶然」に対する感謝の表れなのかな?

 

メロディウス: 
そうだな。

世界線」という言葉から、

歌い手は無数の可能性の中で

出逢えた奇跡を強調しているように見える。

 

偶然は、哲学的には「必然」と

対になるものだ。

 

しかし、この歌詞では、

偶然を感謝と運命のように捉えている。

それが「一生分の運を全部使ったけれど、

それでいいんだよ」と続く部分に現れている。

 

少年: 
つまり、この出逢いが

偶然でありながらも、

自分の存在にとって

不可欠なものになった、

と歌い手は感じているんだね。

 

メロディウス: 
その通り。

そしてこの偶然を「いいんだよ」と

受け入れることで、

歌い手は人生の意味を

一部発見しているのかもしれない。


 

第2章 闇と光の対比

少年: 
次の部分、

「消えたい夜の闇さえ、

君の常夜灯みたいな

愛しい笑顔に照らされて」とあるけど、

ここには「闇」と「光」の対比が見えるよね。

 

これはどう解釈すればいい?

 

メロディウス: 
闇は、人生の苦しみや孤独を象徴している。

 

一方で「君」という存在は、

光としてその闇を照らしている。

 

この対比は、古代から多くの

哲学者が論じてきたテーマだ。

 

プラトンの「洞窟の比喩」を

思い出してみるといい。

 

洞窟の暗闇から抜け出した者は、

初めて光の真実に気づく。

 

この歌詞では、

「君」がその光として描かれているのだろう。

 

少年: 
なるほど。

 

でも、この光は

ただ「救う」ものじゃなくて、

歌い手が「今日まで生きてこれた」

と語るように、

存在そのものを支えているように感じる。

 

メロディウス: 
よく気づいたな。

その光は一時的な癒しではなく、

継続的な力を与えるものだ。

 

そして、それは歌い手に

とって生きる意味そのものを

構成しているように思える。


 

第3章 感情の「コレクション」と存在の証明

少年:
 「君から貰った感情の

コレクション」という部分が興味深いよ。

 

感情を「コレクション」と

表現するのは、

ちょっと変わった視点だよね。

 

メロディウス: 
確かにユニークだ。

 

感情は、一見すると儚く、

一時的なものだと思われがちだ。

 

しかし、この歌詞では、

それが「原動力」や「推進力」として、

歌い手の存在を形作っていることが

示されている。

 

感情の積み重ねが、

人生そのものの軌跡を作るのだ。

 

少年: 
でも、感情って目に見えないものだよね。

 

それを「コレクション」する

ということは、

歌い手にとって感情が

どれほど具体的で

リアルなものかを表しているんじゃないかな?

 

メロディウス: 
その通りだ。

「感情のコレクション」は、

歌い手が人生を通じて築いた

「存在の証明」とも言える。

 

ここでは、主体的な生き方と

他者との関係性が強調されている。


 

第4章 幸せの在り処と共鳴するメロディ

少年: 
それじゃあ、歌い手が探していた

「幸せの在り処」って何なんだろう?

 

「君がいま生きてる鼓動」と

歌詞にあるけど、

これはどういう意味?

 

メロディウス: 
これは「他者との共鳴」に

よる幸せだと考えられる。

 

哲学者マルティン・ブーバー

「我と汝」という概念で、

人間関係の本質を論じた。

 

歌い手にとって「君」という存在は、

ただの他者ではなく、

「生きている鼓動」を共有する関係だ。

 

その共鳴が、歌い手にとっての

「幸せの在り処」なのだろう。

 

少年: 
じゃあ、「心の青い場所」とか

「青いメロディ」っていう表現は、

この共鳴から生まれる

何か特別なものを象徴しているの?

 

メロディウス: 
そうだな。「青」という色は、

希望や憧れ、時には孤独を表すが、

ここでは君との関係性の中で

見出した特別な感情や場所を指しているのだろう。

 

その感情は、

歌い手が一人では

見つけられなかったものだ。


 

結論 幸せと存在の共鳴

少年: 
メロディウス、

この歌詞を通じて

わかったことがあるよ。

 

「幸せの在り処」は、

自分一人で見つけるものじゃない。

 

誰かと共に歩む中で、

生まれるものなんだね。

 

メロディウス: 
その通りだ、少年。

歌詞の中で語られる

「君」という存在は、

単なる他者ではなく、

歌い手の存在を照らし、

推し進め、共に生きる存在だ。

 

「幸せの在り処」とは、

そうした関係性の中で

初めて見つかるものだと、

この歌詞は教えてくれる。