諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
マルシィー
願いごと
について哲学的に考察していく。
マルシィー「願いごと」MV
願いごとの歌詞
いつからか芽生えていた
苦くて甘い恋心
いつまで待てば咲くかな
悪戯に笑うその笑顔
誰も彼もが好きになる
その誰よりも好きになってる
革新めいた感情に確信を憶えてる
独占したい
君の全部をずっと
どれだけ痛くても失ってもこの恋は手放さない
どれだけ掛かっても迎えにいくよ
大人になってもどんな未来でも
君を守るのは僕なんだよ
繋いでいたい君の右手を
君にとって僕は何かな
僕にとって君っていう人は
どんな言葉でも足りないくらい
想ってしまう初めての人
もし神様がいるのならば
一生に一度の願いは
君の恋人になれますように
迷うこともなくそう願うよ
独占したい
君の全部をずっと見ていたい
他の誰にも譲りたくないよ
いつも追いかけて
届かなくて
渡せずじまいの言葉が
何度だって胸を締め付けてる
誰も見ないで僕を見てよ
どんな雨も雷も晴らしてみせるから
抱きしめたいよ
ねえ会いたいよ
見てるだけじゃ耐えられないよ
眩しく降り注ぐ朝日をいつか君と
どれだけ痛くても失っても
この恋は手放さない
どれだけ掛かっても迎えにいくよ
大人になってもどんな未来でも
君を守るのは僕なんだよ
繋いでいたい君の心を
序論
この歌詞は僕の胸に
まっすぐ刺さるんだ。
特に「君を守るのは
僕なんだよ」っていう
ところが心に響く。
だけど、どうしてこうも
強い感情が芽生えるのか、
恋って何なのか
考えずにはいられない。
少年よ、恋という感情は、
単なる個人的な経験ではなく、
人間存在そのものを
浮き彫りにする鏡でもある。
この歌詞に描かれる恋は
一見個人的なものに見えるが、
その奥には普遍的な
テーマが潜んでいる。
それを一緒に考察してみよう。
芽生えと苦悩の矛盾
「いつからか芽生えていた
苦くて甘い恋心」って、
恋って最初はなんだか
曖昧で掴みどころがないよね。
だけど、苦さと甘さが
同時にあるって、
なんだか変じゃない?
どうして人はそんな
矛盾した感情を抱くんだろう?
少年、それは恋が
ただの喜びではないからだ。
恋は自己を超えた
存在に心を向ける行為だ。
そして、
その「甘さ」と「苦さ」は、
恋が持つ本質的な
二面性を象徴している。
甘さは幸福、期待、
自己拡張の感覚を表し、
苦さは不安、欠如、
そして自分では
制御できない状況を映し出す。
この矛盾こそが、
人間が成長するための
土壌になるのだよ。
じゃあ、「苦い」って
部分がなかったら
恋は成り立たないのかな?
おそらくそうだろう。
なぜなら、苦しみや
葛藤がなければ、
恋はただの自己満足で
終わってしまう。
しかし、苦しみがあるからこそ、
恋は深みを持ち、
自分自身の限界を試すものになる。
独占と自由の狭間
「独占したい
君の全部をずっと」って、
ものすごく真っ直ぐな想いだけど、
ちょっと怖くも感じるよ。
独占することって、
相手の自由を
奪うことにならないのかな?
鋭い指摘だ、少年。
この歌詞が描く「独占」は
確かにエゴに見える。
しかし、それは「恋」に伴う
自然な欲望でもある。
人は、愛する者を失う
恐怖に直面すると、
相手を支配したいと思うものだ。
けれども真の愛とは、
相手の自由を尊重しながら
その存在に寄り添うことだ。
つまり、独占の欲求と
自由への配慮、
この二つのバランスが
恋愛における難題だと言える。
じゃあ、この「独占したい」
という感情は未熟なものなの?
必ずしもそうではない。
この歌詞が描くように、
「独占」は恋の純粋さの
一部でもある。
しかし、その欲望が成長し、
成熟した愛に変わる
過程こそが重要だ。
歌詞が示唆するように、
この恋心もまた、
大人になることで変化し、
深みを増す可能性がある。
愛と祈りの本質
「もし神様がいるのならば
一生に一度の願いは
君の恋人になれますように」って、
これってすごく切実だよね。
だけど、恋って
神頼みするものなのかな?
興味深い視点だ、少年。
この願いは、恋という
感情がいかに人間の力を
超えたものに感じられるかを
示している。
恋人になりたいという
願いは単なる
自己満足ではなく、
宇宙や運命にまで
訴えかける深い祈りだ。
これは、自分の力だけでは
どうしようもないことに対する、
人間の根源的な無力さを
表現しているのだよ。
じゃあ、恋って
人間の力じゃ
叶わないものなの?
時にそうだろう。
しかし、その無力さを
受け入れながらも
行動し続けることで、
人間はより強く、
より深く愛することが
できるようになる。
この歌詞の主人公もまた、
そのような葛藤の中で
自分を成長させようと
しているのではないだろうか。
未来への誓いと自己超越
「どれだけ掛かっても
迎えにいくよ
大人になってもどんな未来でも」
って、ものすごく力強い
決意だよね。
だけど、
大人になったら恋の形も
変わっちゃうんじゃないのかな?
その通りだ、少年。
大人になるということは、
恋愛の理想と現実に
向き合うことでもある。
しかし、この歌詞の
「どんな未来でも」
という表現には、
恋が単なる
感情の高ぶりではなく、
自己を超えた存在への
献身に進化していく
可能性が描かれている。
これは、恋愛が
個人の欲望を超えて、
人生そのものの方向性を
形作る力を持つという
メッセージでもある。
じゃあ、
「守る」っていう言葉は、
単に相手を守るだけじゃなくて、
自分自身を守ることにも
繋がるのかな?
その通りだ。
「守る」という行為は、
相手と自分の両方を
包括するものだ。
つまり、この歌詞の
主人公が語る
「守りたい」という願いは、
自分の成長や存在意義を
確立するための
一歩でもあるのだよ。
結論
この歌詞を通して、
恋って単に相手を
想うだけじゃなくて、
自分自身を見つめ直す
旅でもあるんだね。
その通りだ、少年。
この歌詞が伝えているのは、
恋が持つ力強さと不完全さだ。
そして、その二面性を
受け入れることで、
人は成長し、
人生を豊かにする。
恋は感情の爆発で
あると同時に、
魂の鍛錬でもあるのだよ。
この歌詞が描く物語は、
恋という人間の本質的な
営みの縮図と言えるだろう。
なるほど、だからこそ
僕たちは恋に惹かれるんだね。