諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
初星学園,フロクロ、篠澤広
メクルメ
について哲学的に考察していく。
「メクルメ」MV
メクルメの歌詞
めくる見つめるそっと唱える
触れるくずれるちょっとひらける
はずす ゆらいでく なにかひらめく
意識は巡る不思議は眠る
それがメクルメ
落下していく電波
しょせん箱庭の実験(あーあ)
繰り返しのサイン波が
そっと数字を減らしてるそびえ立った世界観で
反響する産声
この清らな檻から連れ出して!
だって
溶けた甘い甘い妄想解けない
この熟れた古い古い本能離れない
でも秘める深い深い衝動 暴きたい
だから
青い
熱い
痛い
遠い
季節を
待ち侘びたりして
満ち足りないまま
独りでここにいた
旅した
春夏秋また
眠たくなるまま別世界
孵化待っているβ
まだ見ぬ何かと
交わりたい また
窓に爪を立てる
嘯く
割れた鏡も愛おしい
世界/私
どっちか壊れてるみたい
素敵な流刑地ね
ここは白無地の惑星(あ一あ)
右手のスケッチは新解釈の可能性
ありきたりな世界観も
断面は疑問形
狭い皮膚の中抜け出して
動かすほどに遠ざかる
身体はぶれて重なって定まらないけど
積極的に虚ろになったら
ひらいた手でまだ結べるねって
心臓の拍動に抗うように歌った
心臓の拍動に抗うように踊った
心臓の拍動に抗うように笑った
心臓の拍動に抗うように叫んだ
心臓の拍動に抗うように歌った
心臓の拍動に抗うように踊った
心臓の拍動に抗うように笑った
心臓の拍動に抗うように叫んだ
割り切れないまま
溶け合いたいから
嘘を指でなぞる
振り向く
瞬きするたび
波打つ景色は別世界
孵化待っていた...
季節は
待ち侘びたと
いまさざめき出し
解く密のフィロソフィア
旅した
春夏秋また
目の眼差すまま新世界
孵化/開花する銀河
におい、かたち、光、
私に触れるすべてが
エコーするときめく
返す波々も眩しい
世界/私
まだ語り合えるみたいね
序論
この歌詞…
『メクルメ』って
どういう意味だと思う?
言葉の一つひとつが
引っかかるんだ。
でも、全体像がつかめなくて。
興味深い問いだね、少年。
この歌詞は、
個人の内的世界と
外的世界が交錯する様子を
描いているように感じる。
「メクルメ」という言葉が
示唆しているのは、
おそらく「めくる」ことで
新たな視点を得ること、
そしてその過程で生まれる
揺らぎや不安定さだろう。
さあ、一緒にこの歌詞を
紐解いていこうか。
変化と揺らぎの中にある自己
最初の部分、
「めくる 見つめる
そっと唱える」って、
何か慎重な動作の
連続のように感じる。
でも、「触れる くずれる
ちょっとひらける」
と続いて、
何かが壊れるような
イメージに変わる。
自己の変化の瞬間みたいだ。
その通りだ、少年。
この動作の連続は、
自己と世界との関係性を
象徴しているのかもしれない。
「めくる」ことで
新たな視界が開け、
「触れる」ことで自己が揺らぐ。
そして、「ひらける」ことで
意識が新たな地平に向かう。
このプロセスは、
自己の再発見、
あるいは再構築と
言えるだろう。
だが、「くずれる」という
言葉には、不安定さや
自己喪失の可能性も
暗示されている。
確かに。
「意識は巡る
不思議は眠る」って、
変化が続く中で、
不思議さや未知が
隠れていく感じがある。
でも、それが「メクルメ」
だって言ってる。
つまり、変化そのものが
本質なのかな?
そうだね。
変化と揺らぎが、
この歌詞全体を通じて
一貫したテーマだ。
「メクルメ」という
言葉が示唆するのは、
自己の探求における
終わりなき
プロセスかもしれない。
そこでは、安定を
求めるのではなく、
むしろ不安定さを
受け入れることが重要だと
示唆されているようだ。
箱庭の中での問いかけ
次に出てくる
「しょせん箱庭の実験」って、
どういうことだろう?
自分たちの世界が、
ただの仮想現実
みたいなものだって
言ってるのかな?
面白い視点だ、少年。
「箱庭の実験」
という表現は、
閉ざされた環境の中で
繰り返される試行錯誤を
示しているように思える。
人間の生は、
宇宙規模で見れば
些細なものだが、
その中で私たちは
絶えず意味を探し、
問いかけ続けているのだろう。
この歌詞が
問いかけているのは、
果たしてその意味が
どこにあるのか、
という根源的な疑問では
ないだろうか。
「繰り返しのサイン波」
って表現も、
不安定な状態を
感じさせるよね。
同じ波を繰り返しながらも、
どこかに違いがあるような…。
その通りだ、少年。
このサイン波のイメージは、
生命の律動、
つまり心臓の鼓動や
呼吸のリズムを
象徴しているのかもしれない。
それは単なる繰り返しではなく、
少しずつ変化しながら進んでいく。
世界の基盤は
一見安定しているように
見えるが、
実は絶えず揺らぎ、
変化している。
この微細な変化が、
私たちの存在を
新たな地平へと導くのだろう。
心臓の拍動に抗う存在
後半に繰り返される
「心臓の拍動に
抗うように歌った」とか
「踊った」って、
なんだかすごく力強い
表現だよね。
でも、どうして
拍動に抗うんだろう?
興味深いね、少年。
心臓の拍動は、
生命そのものを象徴している。
拍動に抗う行為は、
定められたリズムや
運命への挑戦を
意味しているのかもしれない。
歌い、踊り、笑い、叫ぶ
という行為は、
人間が自己を
超越しようとする試みだ。
それは生命のリズムに
従うだけではなく、
新たな可能性を
切り開こうとする
意志の表れだろう。
でも、
拍動に抗うことって、
危険でもあるよね。
自分の限界を超えすぎると、
壊れてしまうかもしれない。
でも、この歌詞では
壊れることさえ
受け入れているように感じる。
その通りだ、少年。
「割れた鏡も愛おしい」
という表現が象徴しているのは、
壊れた状態もまた
美しいという哲学だ。
完全性を求めるのではなく、
不完全さや矛盾を
受け入れることで、
私たちは本当の自由を
得られるのかもしれない。
結論
結局、この歌詞全体が
言おうとしているのは、
変化や揺らぎ、
不完全さを恐れるなって
ことなのかな?
その通りだ、少年。
この歌詞は、
自己と世界の間に存在する
矛盾や揺らぎを受け入れ、
それを超えていこうとする
精神を象徴している。
「メクルメ」という言葉は、
未知への扉を開く合言葉だ。
変化し続ける世界の中で、
私たちもまた
変わり続ける
存在だということを、
この歌詞は示している。