諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
Eve
さよならエンドロール
について哲学的に考察していく。
Eve「さよならエンドロール」MV
さよならエンドロールの歌詞
あぁさっきまで笑っていたのは何処へやら
辛いこと思い出して毎度のこと泣いて帰ってさ
未開の才能知ったこっちゃないこちとら
明日生きられるだけの泡銭だわ hahaha
Sunday マンデーちゅーずでい?
今日は何曜日とかそんなことどうでもええわ
今日の昼ごはんすら
先の未来も愛も私には無関係だわ
だから鼻で嗤え お前の顔は覚えとくからさ
そんな本音も言えない関係なんで
目なんて見て話せないよなんで?
なんでお前に気遣ってやんなきゃ無駄な時間
億劫な世の中になってしまったな また明日
痛いのは内緒にして突き刺さったまま抜けなくて
ありのままでは生きられなどしない
普通に戻れないねへへ
外野からは届かない
伝え方が見つからない
凡人にはない才脳内衰退
誰も見ちゃいないぜ
君だけが対等に話してくれる心の在り処はここだけ
今になって憐れむのかい情けなんて必要ない
お前には一生理解できない
そうさ 手を繋いで輪になって手を繋げない人はどうして?
この痛みは誰もわかっちゃくれないみたい
僕の価値を推し量らないで頂きたい
ああもう時間が来たみたいね
狂っていたのは僕の方なのかそうかそうだ
ただ話を聞いてほしかっただけ
少しだけ幸せになりたかっただけ
夢みていたかっただけ
この光は僕と君の奪われることのない宝物
善も悪も意味をなさない
歪な想いと愛を知るまでは
信じぬくことが何よりも誰も知らない
この物語を夢なら覚めないで
ああさっきまで泣いていたのはどこへやら
溜息1つ溢しくしゃっと笑ってみせた また明日
序論
さっきまで笑っていたのに、
気づけば泣いていた。
どうしてこんなに
感情は揺れ動くのだろう。
人生はこんなにも不確かで、
時に理不尽だ。
この歌詞は、まるで
僕の心そのものみたいだ。
笑い、涙し、迷いながら
生きることを描いている。
でも、これって結局
何を意味しているんだろう?
興味深い問いだ。
人間の感情は実に複雑で、
多くの場合、
それ自体が矛盾を孕んでいる。
この歌詞は、
個人の孤独や無力感、
そしてそれを
越えようとする
心の葛藤を
象徴しているのだろう。
特に、感情が刻一刻と
移ろいゆく様は、
人生の一瞬一瞬が持つ
儚さを感じさせる。
感情の移ろいと孤独
最初の部分、
笑いが涙に
変わる場面があるね。
明日生きるための
泡銭だけが頼りだって、
何だか寂しい気がする。
でも、それが
現実だとも思うんだ。
この部分って、
僕らが抱える
孤独や不安
そのものじゃないかな?
そうだな。
この歌詞は、
現代社会における
人間の孤独と
経済的なプレッシャーを
描いているように思える。
「泡銭」という
言葉が示すのは、
安定しない基盤の上で
生きることの危うさだ。
それでも笑うことを選ぶのは、
人間が持つ一種の
防衛本能かもしれない。
ここで描かれる孤独は、
誰しもが一度は
感じるものだが、
それをどう受け入れるかが
問われている。
それに、
「今日は何曜日とか
そんなことどうでもええわ」
って、時間の感覚すら
無意味に感じる瞬間があるよね。
僕もそんな風に
思うことがあるよ。
だけど、どうして
僕らはそう感じるのかな?
それは、現代の社会が
もたらす時間感覚の喪失だろう。
生きる目的や意味を見失い、
日々のルーティンに
埋もれてしまう。
しかし、
その中で立ち止まり、
「今」を
意識することは可能だ。
問題は、そこに価値を
見出せるかどうかだ。
他者との関係性
「本音も言えない
関係なんで目なんて
見て話せない」って、
僕にも思い当たることがある。
他人との関係って、
どうしてこんなにも
難しいんだろう。
自分を隠してまで
付き合う必要があるのかな?
これは実に
根本的な問いだ。
他者との関係は、
人間にとって
祝福であり呪いでもある。
本音を言えない
関係が多いのは、
自己防衛や
社会的な役割が影響している。
しかし、ここで
問われているのは、
そんな関係が本当に必要なのか、
ということだろう。
この歌詞は、
人間関係の表層的な
側面に疑問を投げかけている。
それに、
「痛いのは内緒にして
突き刺さったまま抜けなくて」
って、自分の痛みを
誰にも伝えられないことがある。
それでも、
そうしなきゃいけないのは
どうしてだろう?
それは、
他者の目を気にする
人間の性質によるものだ。
痛みを表現することで、
弱さを露呈するのを
恐れているのかもしれない。
しかし、その痛みを
共有することで
得られる救いもある。
問題は、それを
信じられる相手が
いるかどうかだ。
自己と他者を超えて
「君だけが対等に
話してくれる
心の在り処はここだけ」
って部分、これが唯一の
救いのように感じられる。
誰か一人でも対等に
接してくれる人がいると、
生きる意味が変わるのかな?
その通りだ。
他者との真の対話は、
人間が孤独を
超越するための鍵となる。
ここで「君」が
象徴しているのは、
ただの個人ではなく、
理解し合える存在、
あるいは心の中の
理想かもしれない。
対等な関係は、
自分自身を見つめ直す
鏡のようなものだ。
でも、最後の
「ただ話を聞いてほしかっただけ」
って、少し悲しいよね。
人は本当に、ただ話を
聞いてもらうだけで
救われるのかな?
話を聞いてもらう
という行為は、
自己を確認する
行為でもある。
誰かが自分を
認めてくれる瞬間に、
人は孤独から解放される。
歌詞の中では
それが叶わなかったように
見えるが、その痛みすらも
人生の一部だと
捉えることができるのではないか。
結論
この歌詞を
考えれば考えるほど、
僕らが生きることの
難しさが浮き彫りになるね。
でも、そこには
微かな希望もある。
「この光は僕と
君の奪われることのない宝物」
って、すごく温かい言葉だと思う。
そうだ。
この歌詞は、
孤独と絶望の中にも
希望の光が
差し込むことを示している。
それは、たった一人の
理解者かもしれないし、
自分自身が持つ
小さな願いかもしれない。
「善も悪も意味をなさない」
という言葉は、
価値判断を超越した
世界の可能性を示唆している。
そして、その中で
信じ続けることの
尊さを語っているのだ。
また明日、って
言葉が最後に出てくるけど、
これが繰り返される
日常の中で
僕らが見つけるべき
何かがあるってことかな?
その通りだ。
この歌詞は、
苦しみの中にも
希望を見出し、
日々を繰り返しながらも
新しい価値を
探し続けることを
教えてくれている。
人生の物語はまだ終わらない。
夢の中でさえ、
僕らは何かを求め続ける。
その姿こそが、
人間の本質なのかもしれない。