諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
ずっと真夜中でいいのに。
虚仮にしてくれ
について哲学的に考察していく。
- ずっと真夜中でいいのに。「虚仮にしてくれ」MV
- 虚仮にしてくれの歌詞
- 序論 虚仮の美学と日常の崩壊
- 第1章 罪と救済の境界 ― ドストエフスキーの影
- 第2章 欲望と衝動の弁証法 ― スピノザとフロイトの視点
- 第3章 記憶の暴力 ― ベルクソンの持続と現在の殴打
- 第4章 苔の存在論 ― ハイデガーの「日々を喰らうこと」
- 第5章 廃墟の庭園 ― 明るさと廃墟の共存
- 結論 神なき時代の生と祈り
ずっと真夜中でいいのに。「虚仮にしてくれ」MV
虚仮にしてくれの歌詞
はやく伝えよう痕跡
見つかる前に
わかっているのに
喉の奥が怖気付く
罪は冷たく
ここに留まるんだよ
優しく触って
呼吸ができてるけど
君の血の噴き出る音が
好きでした
時折透ける無邪気さが
突き刺すんだ
ふつうの暮らしを
夢見たせいだからかな
温かいほど衝動抑えられない
こんなに名前を読んだり
振り向いたりしちゃだめだよ
僕は僕を
虚仮にしてくれと
そうやって落ち着けたんだ
そう願うんだ
肩を組んで歩いてく
ゆらゆらと泳いでるみたいな
心地がほら慰めてしまう
鳴き虫だってこと
離れてからいつも思うこと
雨は紅く
羽は止まる
違うから
これで終わりじゃないってまだ
槌の子になって
掘り返してしまうから
いつだってそうだよ
煌めきだけじゃ儚いよ
其処彼処で思い出が
殴るんだよ
なんでもっと、ってなんて
蹴ったりは、しないよ
柔らかな昼下がり
作ったお弁当食べよう
ほっとかれて増えてゆく
苔が僕だとよかった
そうやって日々を喰ったんだ
こんなに名前を呼んだり
振り向いたりしちゃだめだよ
僕は僕を虚仮にしてくれと
そう願うんだ
そうやって神しばいたんだ
一枚の羽天使は見当たらない
今日は弱って
撫でる力しかなかった
明るい廃墟にしたくて
庭園の白は薄明の空へと続き
野原がテクノに揺れている
序論 虚仮の美学と日常の崩壊
「虚仮にしてくれ」というフレーズは、
言葉通りには
「愚かなふりをしてくれ」
という意味であるが、
ここではさらに深いレイヤーでの
自己否定と受容が交錯する。
主人公は、自分自身を
虚仮にされることに落ち着きを見出す。
それは他者からの理解や評価を放棄し、
「無意味」であることに安息を求める態度だ。
「他人の眼差し」に囚われた不安を逆転させ、
あえて愚かであることで
自由を獲得する試みといえる。
第1章 罪と救済の境界 ― ドストエフスキーの影
「罪は冷たくここに留まるんだよ」という歌詞は、
罪というものが不可避であり、
存在し続けることを示唆している。
『罪と罰』の中で描かれるように、
人間は罪を犯すと同時に、
それからの救済を追い求めるが、
それは決して簡単に叶わない。
「優しく触って呼吸ができてるけど」
という表現は、救済の錯覚のもとで
罪が冷たく潜む状態を暗示している。
第2章 欲望と衝動の弁証法 ― スピノザとフロイトの視点
「温かいほど衝動抑えられない」
という歌詞は、
人間の内在する衝動が抑圧されることなく、
むしろ感情の熱によって
促進される様子を描いている。
スピノザの『エチカ』では、
感情(アフェクト)がどのように
行為の原動力となるかを説くが、
ここでは「温かさ」によって欲望が加速する。
フロイトもまた、
無意識に潜むエロスと
衝動として噴出することを指摘している。
第3章 記憶の暴力 ― ベルクソンの持続と現在の殴打
「其処彼処で思い出が殴るんだよ」
という歌詞は、
過去の記憶が単なる懐古ではなく、
現在に暴力的な影響を及ぼすことを示している。
ベルクソンは、
時間とは単なる線的な流れではなく、
持続として過去と現在が重なり合うと述べた。
この歌詞は、持続する記憶が主人公に
苦痛をもたらし続けることを表現している。
第4章 苔の存在論 ― ハイデガーの「日々を喰らうこと」
「ほっとかれて増えてゆく
苔が僕だとよかった」という歌詞は、
存在することそのものの無意味さを
受容する姿勢を示す。
「世界内存在」として人間が日常の中に
投げ込まれていることを説いたが、
ここではその日常を「苔」に
象徴させることで、無価値な生の持続が
逆説的に肯定される。
第5章 廃墟の庭園 ― 明るさと廃墟の共存
「明るい廃墟にしたくて」
というフレーズは、
廃墟という象徴的な場所に希望を重ねている。
廃墟は過去の崩壊を物語るが、
同時に新しい可能性が芽生える場でもある。
ニーチェの
『ツァラトゥストラ』における
「超人」の概念のように、
崩壊を経た後に新しい価値が
創造されることを暗示している。
結論 神なき時代の生と祈り
「そうやって神しばいたんだ」
という歌詞は、
神の不在を自ら選び取る姿勢を描く。
これは、ニーチェの
「神は死んだ」という宣言を彷彿とさせ、
人間がもはや超越的な存在に頼ることなく、
自らの生を築く必要があるという
思想を反映している。
「一枚の羽天使は見当たらない」という
歌詞が示すように、
天使のいない世界では、
自らの弱ささえも抱きしめることが必要とされる。
このように、
『虚仮にしてくれ』の歌詞は、
罪と救済、欲望と記憶、崩壊と
再生のテーマを通じて、
現代人の内面の葛藤を
哲学的に描き出している。
それは、神なき時代における
人間の生の意味を問う一つの祈りでもあるのだ。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。