諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
なきそ
化けの花 feat.初音ミク
について哲学的に考察していく。
- なきそ「化けの花」MV
- 化けの花の歌詞
- 序論 「化けの花」という寓意の解読
- 第一章 自己否定と「まなざし」の呪縛
- 第二章 咲き誇る偽りの美 — 存在と虚構
- 第三章 取り返しのつかない変容と「つぼみ」への郷愁
- 第四章 理解されない未来 — 存在の矛盾と罰
- 結論 生の終焉と救済なき帰結
なきそ「化けの花」MV
化けの花の歌詞
なにその目
やっぱその目
はじめましてじゃないね
なにその目もうやめて
可愛いだけなのに罪の味
ずれる ずれる 崩れる
ずれる気が触れる
秘密ひとつで崩れる壊れる
ごめん
見ないで理解出来ないでしょう?
まるで咲いてしまった
化けの花
なにも言えない
かき消せない
どんなに醜く映る化粧
見ないで理解出来ないでしょう?
まるで咲いてしまった
化けの花
つぼみにはもう戻れない
なにその目やっぱその目
だったら消えて
みーんないなくなれ
いなくなれ
いなくなれ
いなくなれ
そばに居て
見ないで理解出来ないでしょう?
まるで咲いてしまった
化けの花
なにも言えないかき消せない
どんなに醜く映る化粧
未来で理解されないのなら
此処でさっさと消えて
化けの花
生まれた罰を終わらすように
呼吸を止めて
あーもういいや
序論 「化けの花」という寓意の解読
この歌詞に登場する
「化けの花」という表現は、
変容した自己の姿を暗示し、
自己受容と自己否定の間で
揺れる内面を象徴している。
これはジャン=ポール・サルトルが語る
「他者のまなざし」による自己認識に通じる。
「私とは他者によって
定義される存在である」と述べたように、
人は他者の目を通して
自己のアイデンティティを構築するが、
そこには自己否定の危険が潜む。
この「化けの花」は
美を追い求めるが、
その美は偽りに過ぎず、
結果として自己崩壊を引き起こす。
第一章 自己否定と「まなざし」の呪縛
「地獄とは他人である。」
「なにその目」という冒頭の言葉は、
他者のまなざしがもたらす
評価への不安を表現している。
歌詞の語り手は「やっぱその目」
という繰り返しによって、
他者からの視線が自己の心を
蝕む経験を訴えている。
ここには、
ミシェル・フーコーが指摘した
監視の権力構造が見て取れる。
視線とはただの受動的な観察ではなく、
人の行動を規制し、自己に対する監視を内面化させる。
第二章 咲き誇る偽りの美 — 存在と虚構
「人間はただ存在するだけではない。
常に何者かになろうとする。」
「どんなに醜く映る化粧」という
フレーズに込められたのは、
美が本質ではなく虚構の産物である
という悲劇である。
ニーチェが語る
「仮面」や「虚構の自己」と同じく、
この歌詞の語り手は
「咲いてしまった」
自分自身に虚しさを抱く。
偽りの美を演じることによって咲いた
「化けの花」は、自己欺瞞の象徴として顕在化する。
第三章 取り返しのつかない変容と「つぼみ」への郷愁
「成長とは、
もはや後戻りできないことを知ることだ。」
「つぼみにはもう戻れない」
という言葉が示すのは、
かつての純粋な自己への郷愁だ。
ここには、ヘラクレイトスが指摘する
「不可逆な変化」の宿命が反映されている。
人は過去に戻ることを願うが、
それは叶わない。
変容とは人間の不可避な本質であり、
一度咲いた花が再びつぼみに戻ることは決してない。
第四章 理解されない未来 — 存在の矛盾と罰
「この世界で理解されることを望むならば、
理解されないことも受け入れよ。」
「未来で理解されないのなら、
此処でさっさと消えて」という歌詞は、
理解されることの困難と、
それに伴う苦悩を表現している。
この箇所には、存在そのものが
罰であるという感覚が滲んでいる。
マルティン・ハイデガーの言う
「現存在」は、
未来に向けた投企として存在するが、
その投企が理解されないことで
無意味に感じられる。
この無意味さが「消える」
という欲望へと転じるのだ。
結論 生の終焉と救済なき帰結
「呼吸を止めて」「あーもういいや」
という言葉は、
絶望の果てにある放棄を示唆する。
『シーシュポスの神話』において、
カミュは
「不条理に直面したとき、
人はそれでも生きることを選ぶべきだ」
と述べたが、
この歌詞の語り手は、
その選択肢すらも放棄している。
救済なき自己の終焉は、
人間が持つ根源的な孤独の象徴である。
終わりに
この分析を通して、
「化けの花」とは、
自己否定の果てに咲いた
虚構の美であり、
他者のまなざしに支配された
存在の寓意であると結論できる。
その咲き誇りは、
もはや戻れない変容を象徴するが、
その終焉には救済の兆しが見えない。
「消える」という選択を通して、
語り手は存在の不条理と向き合い、
ついにはそのすべてを拒むのである。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。