音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】Awesome City Club/シャラランデヴー 歌詞の雨と愛の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Awesome City Club
シャラランデヴー

について哲学的に考察していく。

Awesome City Club「シャラランデヴー」MV

www.youtube.com

シャラランデヴーの歌詞

雨傘とワルツと
鳴り止まぬスコール
もっと大人気ない愛を
注ぎあったら
ところで今何をしているの
電話越しざわめくまま
暮れる街を歩けば
ふっと鏡に映るこんな猫背な私
「じゃあね」
君の声で変われる気がするの
ガラスの外
移り気な秋空泣いてる
何気ない二人じゃ
いられなくなっても
アイラヴユーでもいいでしょ
楽しみましょう 
もっとぎゅっと大
人気ない愛を注ぎあったら
踊る雨傘とワルツと
鳴り止まぬスコール 
おっと流せない気持ちが
夜をつたってく
はしゃいでクタクタになることも
忘れて二人
濡れてた眠る街の片隅で
捨てられない傘は
きっと意味をなさないなら
何もいらない君以外全て
争う日々 
綺麗な言葉を並べても
埋まらない心に
降り止まない愛を
不揃いでもいいでしょ
楽しみましょう 
もっとぎゅっと大人気ない
愛を注ぎあったら
祝福の雨音
刻みましょう 
もっといっそ
滴るこの愛に溺れてしまえば
踊る雨傘とワルツと
鳴り止まぬスコール 
おっと流せない気持ちが
夜をつたってく

 

序論 愛と未熟さのパラドクス

「もっと大人気ない愛を注ぎあったら」

という言葉には、成熟を求めつつも、

その逆である未熟さが持つ

純粋な情熱への渇望が感じられる。

 

ここに生じるパラドクスは、

フリードリヒ・ニーチェが語った

「未完成こそが人生である」という

言葉を思い起こさせる。

 

完璧を求めるのではなく、

未熟さの中に真実を見出そうとする

態度が本楽曲の核である。

 

第1章 猫背の自己―存在と変化の狭間

「ふっと鏡に映るこんな猫背な私」

という自己像は、

ハイデガー「ダス・マン(世人)」

通じるものがある。

 

日常の中で自分を見失い、

世俗的な存在へと縮こまっていく

自己が映し出される。

 

しかし、

「君の声で変われる気がする」

という一節には、

他者との関係性がもたらす

存在の変容が示唆されている。

 

この「声」は、

レヴィナスが説く「顔」の倫理を想起させ、

他者が自己を呼び覚ます可能性を孕んでいる。

 

第2章 鳴り止まぬスコール―感情の流動性

「鳴り止まぬスコール」は、

感情が静まることなく

次々と襲いかかる様を表している。

 

ヘラクレイトス

「万物は流転する」という思想のごとく、

感情の世界もまた常に変化し続ける。

 

ここでは、感情を固定しようとする

試みが無意味であることが示唆され、

感情の流動性を受け入れる態度が問われている。

 

第3章 大人気ない愛―「成熟」を超える価値

「大人気ない愛」とは、

通常の愛に対する規範から逸脱した形である。

 

それはフロイトエス(衝動)」

表面化したものであり、

理性に基づく「成熟」とは相容れない。

 

しかし、プラトン『饗宴』で語ったように、

愛は常に理性と狂気の間にある。

 

この愛の形は、

むしろ「不完全性」において真実を宿す。

 

第4章 不要な傘と不可欠な存在―所有と無の逆説

「捨てられない傘はきっと意味をなさないなら

何もいらない君以外全て」という言葉には、

 

サルトル存在と無の哲学が読み取れる。

 

所有物に依存する

生は虚無に直面するが、

他者という存在によって

その無が意味を得る。

 

ここでは、所有を超えて存在の価値を

見出すことが語られている。

 

第5章 祝福の雨音―愛の持続と不確実性

「祝福の雨音」は、

愛が一瞬の感情ではなく、

長く響き続けるものであることを暗示する。

 

しかし、その持続には確実な基盤が

あるわけではない。

 

キルケゴール

「愛とは恐れとともに歩む」という

言葉が示すように、

愛は不確実なものとして受け入れられるべきである。

 

結論 不揃いな愛の肯定

「不揃いでもいいでしょ」という一節は、

愛が常に均整を

欠くものであることを肯定している。

 

これはニーチェ

「アモール・ファティ(運命愛)」

思想に通じ、

欠けた部分も含めて愛するという

態度の重要性を示している。

 

本楽曲は、未熟さや不完全さを恐れず、

愛そのものに没入することの尊さを伝える。

 

この楽曲『シャラランデヴー』は、

愛の形が一つに定まるものではなく、

未完成であるからこそ価値を持つことを教えてくれる。

 

哲学者たちの言葉を借りながら、

この楽曲の歌詞を通して、

我々もまた未熟で不揃いな

愛のあり方を見つめ直すべきなのだ。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。