音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】初星学園×紫雲清夏/カクシタワタシ この曲の意味とは?なんてねの言葉が誤魔化させているこの音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

初星学園×紫雲清夏
カクシタワタシ

について哲学的に考察していく。



 

初星学園×紫雲清夏「カクシタワタシ」MV

www.youtube.com


カクシタワタシの歌詞

臆病な手を何度も伸ばしたけど
離れるのが怖くて遠ざけた
誰かに合わせた仮面つけて
「私」を隠してた
傷つくことのないように
違う違う違う違う違う 違う
本音じゃないこと
誰か気づいて
本当は伝えたくって寂しくって
深い心の中
ねえ気づいて胸の奥
私以外も私なら
悩まずにいれるかな?
知らない
いつも信じたくて手を伸ばした
独りは怖くて
抱き寄せて掴んだら
受け止めて
いつか本当の「私」をねえ見つけて
隠すことになれた私は 
きっと傷つかずに済むと思い込んでた
でも
「誰か」の数だけ「私」がいて
その度に見失う
本当の「私」ってなんだっけ?
違う違う違う 違う違う違う
わからなくなる
誰か答えを教えて
思考はまた空回り
自分さえもわからない
いつ素直になれるの?
ねえねえねえ
本当は羨ましくて憧れた
無垢な白い花
もし願いがかなうなら
私もあんな
風にいつかはなれるかな?
知らない
本当は伝えたくって寂しくって
深い心の中
もし素直になれたなら
受け止めて
いつか本当の「私」をねえ
...なんてね


序論

少年
「この歌詞には、

“私”という存在が複数の層で

描かれている気がするんだ。

 

“誰かに合わせた仮面”をつけて

本当の自分を隠しているけど、

その一方で、自分すらわからなくなってしまう。

 

この”私”って一体何なんだろう?」

 

メロディウス
「興味深い問いだね、少年。

“私”とは何か。

 

それは哲学の歴史でも古代から

問われ続けてきたテーマだ。

 

君が気づいた通り、

この歌詞には”私”が幾層にも重ねられている。

 

“本当の私”、“隠された私”、

そして”他人の目に映る私”。

 

その間で揺れ動く葛藤が、

美しい言葉で表現されている。」


 

第1章 「仮面」と「本音」

少年
「最初に”誰かに合わせた仮面つけて”

というフレーズがあるよね。

 

この仮面って、自分を守るために付けるものだけど、

それが結果として”本音じゃないこと”を

言わせる原因になっている気がする。

 

どうして人は仮面をつけるんだろう?」

 

メロディウス
「仮面の本質は自己防衛だよ、少年。

 

人間は他者から

傷つけられることを恐れる存在だ。

 

社会の中で生きる以上、

私たちは自分を完全にさらけ出すことができない。

そのために仮面を付ける。

 

だが、この歌詞のように、

仮面をつけ続けると、

本来の自分を見失い、

自分が何者であるのか

分からなくなるジレンマに陥る。」

 

少年
「じゃあ、仮面を外せば本音にたどり着けるのかな?」

 

メロディウス
「それが単純な話ではないのだよ。

本音は、他者との関係性の中で

形成されることもある。

 

つまり、仮面を外しても、それだけで

自分の本音が明確になるとは限らない。

 

むしろ、本音すら他者に影響されていることがある。

『違う違う違う』という歌詞の繰り返しは、

その混乱と葛藤を象徴している。」


 

第2章 「本当の私」とは

少年
「“本当の『私』ってなんだっけ?“

というフレーズが、

すごく深い問いに聞こえるよ。

 

“私”は何かを探し求めているけど、

そもそも”本当の私”なんて存在するのかな?」

 

メロディウス
「鋭い指摘だね、少年。

“本当の私”という概念は一種の理想形だ。

 

私たちはいつも、自分自身を固定的で

一貫した存在として認識したいと思う。

 

しかし、“私”は流動的であり、

他者や環境との関係性によって常に変化している。

 

この歌詞で述べられる

『誰かの数だけ私がいる』というフレーズは、

その真理をよく表している。」

 

少年
「でも、それだと”本当の私”なんて

幻想ってことになるのかな?

 

それじゃあ、どうして歌詞の主人公は

”本当の私”を探しているんだろう?」

 

メロディウス
「幻想であっても、人間には”自分とは何か”

を定義したいという欲求があるのだよ。

 

その欲求は、他者から認められたい、

理解されたいという願望と深く結びついている。

 

この歌詞の主人公も、自分を見失う中で、

他者に自分を受け止めてもらうことで

”本当の私”を見つけようとしているのだろう。」


 

第3章 「素直さ」と「理想」

少年
「“本当は羨ましくて憧れた無垢な白い花”

っていう部分が印象的だね。

 

これって純粋な理想の姿を指しているのかな?」

 

メロディウス
「その通りだよ、少年。

“無垢な白い花”は、素直さや純粋さを象徴している。

 

だが、同時にそれは、

簡単には手に入らない理想だ。

 

この歌詞の主人公は、

素直でありたいと願いながらも、

それが難しい現実を痛感している。」

 

少年
「でも、どうして素直になるのが

こんなに難しいんだろう?」

 

メロディウス
「素直さは、自己の脆さを

他者にさらけ出すことでもある。

それは非常に勇気がいることだ。

 

仮面を捨て、本音を語ることで

傷つく可能性が高まるからね。

 

さらに、素直になれたとしても、

それを他者が受け止めてくれる保証はどこにもない。

 

だから、この歌詞では”受け止めて”

という言葉が繰り返されているのだ。」


 

結論

少年
「この歌詞を通して、

“私”って本当に複雑な存在だと分かったよ。

 

仮面をつけたり外したり、

本音と理想の間で揺れ動いたり…。

 

“本当の私”を探し続けること自体が、

“私”という存在の本質なのかもしれないね。」

 

メロディウス
「その通りだよ、少年。

“私”という存在は固定されたものではなく、

むしろ探求し続ける過程にこそ本質がある。

 

この歌詞の主人公もまた、

その探求の旅を続けている。

 

最後の『…なんてね』という締めの言葉は、

そんな不確実性を受け入れる軽やかさを

示しているのではないだろうか。」

 

少年
「なるほど。

つまり、“私”は完成形ではなく、

他者や世界との関わりの中で形を変えながら

生き続けるものなんだね。」

 

メロディウス
「その通りだ、少年。

この歌詞が語るように、

“私”を探す旅は孤独でありながらも美しい。

 

そして、その旅路の中で他者と

心を通わせることができれば、

いつか”本当の私”に近づけるかもしれないね。」