音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】優里/DiNA この曲の意味とは?曲名のiがある本当の理由とは一体何?そのほかの言葉も哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

優里
DiNA

について哲学的に考察していく。


 

優里「DiNA」MV

www.youtube.com


DiNAの歌詞

靴下を脱ぎっぱなしにする癖も失くしたもの
すぐ私に聞く癖も
当たり前にどうせ感じていないのでしょう
思いとこ私が全部埋めておいたの
君が何処かの誰かと幸せに暮らしてるとして
私と暮らした遺伝子のおかげなんですね
君と暮らしたDNA
胸が痛くなる季節ね
幸せは今日も半分こ
復元できない君を探して
尻尾隠したDNA
本当は君が知ってるね
寂しさもきっと半分こ
復元できない私を思い出して
ただいまの後は手を洗い忘れて
約束は守ってなんて
喧嘩してきっといまごろはいい子にしてるんでしょう
悪いとこ私が全部埋めておいたの
君が何処かの誰かと同じように
喧嘩しちゃって
ほんの少し私を思い出して欲しいなんて馬鹿ですね
君と暮らしたDNA
胸が痛くなる季節ね
幸せは今日も半分こ
復元できない君を探して
尻尾隠したDNA
本当は君が知ってるね
寂しさもきっと半分こ
復元できない私を思い出して
背伸びしても届かない場所
あいつが置いたままだった
私ができないことを
簡単にやってのけたり
ああなんでもないなんでもない
なんでもないことなのになあ
君を思い出して苦しいや
思い出と言うDNAが
私にも残ってる
君と暮らしたDNA
胸が痛くなる季節ね
幸せは今日も半分こ
復元できない君を探して
尻尾隠したDNA
本当は君が知ってるね
寂しくなってちゃ負けだよね
復元できない私を思い出して
幸せは今日も半分こ
寂しさもきっと半分こ
新しい私になりたいよ
生まれ変わるならDNA


 

序論

 

この歌詞には
「DNA」という
科学的な言葉が
使われているのに、
内容はとても感情的で
人間らしいんだね。

まるで科学と感情が
織り交ざっているみたいだよ。

この歌詞のストーリーは、
愛と別れの記憶を
追いかける人間の
心の動きが描かれているように感じる。

特に、DNAという
言葉にどんな意味が
込められているのか、
考えたいな。

少年、それは
興味深い視点だ。

この歌詞は一見、
個人的な失恋の物語だが、
深く掘り下げると、
愛の記憶が
私たちの存在の根幹に
どのように刻まれているか
というテーマを
語っているようにも思える。

DNAという言葉が
選ばれた理由、
そして曲名に小文字の
「i」がある理由も含めて、
これから一緒に考えてみよう。


 

DNAという言葉の選択

 

歌詞の中で
「君と暮らしたDNA」と
繰り返される部分が
印象的だね。

DNAって、
生命の設計図みたいなものだよね。

それが「君と暮らした」と
結びつけられるのは
どういうことなんだろう。

確かに、DNAは
物理的な遺伝情報を指す
科学的な概念だが、
ここでは比喩として
用いられているようだ。

歌詞の中で「君」との
記憶や時間が、
まるで体の中に
刻み込まれたかのように
描かれている。

それは、人間が誰かとの
関係性の中で
形作られていく
存在であることを
示唆しているのではないか。

愛の記憶がまるで
遺伝情報のように
自分の一部になっている、
と言っているのだろう。

 

なるほど。
そう考えると、
「復元できない君」
という言葉も、
DNAの不可逆性と
結びついているのかな。

一度失われた関係は
二度と同じ形では戻らない。

それがこの歌詞の
切なさにつながっているんだね。


 

半分こされる幸せと寂しさ

 

「幸せは今日も半分こ」
「寂しさもきっと半分こ」
っていう歌詞、
なんだか
矛盾しているようにも思えるよ。

幸せも寂しさも
「半分こ」できるなんて、
本当にそんなことがあるのかな?

面白い視点だね。
ここで言う「半分こ」は、
実際に分け合うことではなく、
愛する人と過ごした時間が、
喜びも悲しみも
共有されるということを
象徴しているのだと思う。

愛は一方通行では
ないからこそ、
別れた後もその影響が
残り続ける。

幸せだった記憶が、
寂しさを際立たせる。

それは一種の
表裏一体とも言えるだろう。

 

そうか。
つまり、この歌詞では
「半分こ」という言葉を使って、
愛の残像が今も
自分の中に生き続けていることを
表現しているんだね。

それが嬉しくもあり、
辛くもあるということなんだ。


 

小文字のiに込められた意味

 

ところで、
曲名の「DiNA」に
小文字の「i」が
入っているのって、
どうしてだろう?

普通に「DNA」でも
良かったはずだよね。

良い着眼点だね。
小文字の「i」は、
個人(individual)や
内面(inner self)を
象徴しているのではないかと思う。

この曲ではDNAという
普遍的な概念を用いながら、
歌詞全体は非常に個人的な
愛の物語を語っている。

そのギャップを示すために、
小文字の「i」を加えることで
「私」の存在を強調しているのだろう。

 

確かに、「私」が
いなければ「君」との
関係も存在しなかったわけだし、
DNAに「i」が入ることで、
個人としての経験が
刻まれているように感じるね。


 

復元できない君と新しい私

 

でも、歌詞の最後に
「新しい私になりたいよ」と
あるのが気になる。

愛や記憶がDNAに
刻まれているなら、
新しい自分になることなんて
できるのかな?

少年、それが
この歌詞の希望でもあり
矛盾でもある部分だろう。

確かに、記憶や経験は
完全に消し去ることはできない。

しかし、愛が
人を変える力を
持っているように、
別れや喪失もまた人を
成長させる力を持っている。

「新しい私」というのは、
愛の記憶を受け入れ、
それを乗り越えて再生する
意思の表れなのではないか。

 

なるほど。
つまり、DNAに
刻まれた記憶は
変わらないけれど、

それを基盤にして
新しい自分を作り上げることは
可能だということか。


 

結論

 

この歌詞は、
愛の記憶が人間の中に
深く刻まれていることを、
DNAという言葉を使って
象徴的に描いていたんだね。

そして、小文字の「i」は
その中に存在する
「私」の個別性を示している。

その通りだ。
この歌詞は、
科学的な言葉を借りながらも
非常に人間的で詩的だ。

愛と別れという
普遍的なテーマを通じて、
人間がどのように
過去の経験を受け入れ、
新しい自分へと
変わっていくのかを
問いかけている。

そして、その問いかけは、
歌詞の中で答えを
出すというよりも、
聴き手に考えさせる
余韻を残しているのだ。