諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
MIKOLAS/SKY-HI
LALALALALALALALALALA TOKYO Version
について哲学的に考察していく。
- MIKOLAS/SKY-HI 「LALALALALALALALALALA」MV
- LALALALALALALALALALA TOKYO Versionの歌詞
- 序論 自由の宣言としての「LALALALALALALALALALA」
- 第1章 拒絶と自己肯定―「I don’t give a single fuck」の哲学
- 第2章 終わりの美学―「Bella Ciao」が示す解放の象徴
- 第3章 他者との断絶と個の確立
- 第4章 無関心の力―快楽主義と虚無主義の間
- 第5章 消費文化とアイデンティティの軽薄さ
- 結論 自己を貫くためのラララ
MIKOLAS/SKY-HI 「LALALALALALALALALALA」MV
LALALALALALALALALALA TOKYO Versionの歌詞
I don’t give a single f**k (don’t give a f**k, nah nah nah)
俺は一切気にしない (どうでもいい、nah nah nah)
Don’t say you’re sorry
謝るなんて言うな
I be out up in the club (yeah yeah yeah)
俺はクラブで騒いでる (yeah yeah yeah)
Don’t need nobody
誰も必要ない
We are done, bella ciao
俺たちは終わりだ、ベラチャオ
I want out, had enough (yeah)
抜け出したい、もうたくさんだ (yeah)
F**k your lalalalalalalalalala
お前の「ラララ」にうんざりだ
Coming up 気分上々(aha)(yeah)
テンション上がってくる(aha)(yeah)
インスタの寂しいアピ お好きにどうぞ(aha)(どうぞ)
インスタで寂しさアピール、お好きにどうぞ(aha)(どうぞ)
趣味悪いIceをスワイプ Left, Right, Left
ダサいアイスを左スワイプ、右スワイプ
出てってくれそのBed
そのベッドからさっさと出てけ
Yeah もういいってその目
ああ、もうその目も見飽きた
戻る気なんてねぇ Oh I don’t
戻る気なんてない Oh I don’t
I don’t give a single f**k (nah nah nah)
俺は一切気にしない (nah nah nah)
Don’t say you’re sorry
謝るなんて言うな
I be out up in the club (手あげろ) (up in the club)
俺はクラブで騒いでる (手をあげろ)
Don’t need nobody
誰も必要ない
We are done, bella ciao I want out, had enough
俺たちは終わりだ、ベラチャオ 抜け出したい、もう十分だ
F**k your lalalalalalalalalala
お前の「ラララ」にうんざりだ
Fuck your lalalala Baby we are done (yeah)
クソくらえ、そのラララ 俺たちは終わりだ (yeah)
Lalalala So long bella ciao
ラララ さようなら、ベラチャオ
毎日がParty ばっちりタイミング
毎日がパーティー、タイミングばっちり
俺に乗っかる乗馬みたいに
まるで乗馬みたいに俺に乗っかってくる
また跨り Enzo Ferrari
再びフェラーリにまたがって
転げてくすぐり合うのが愛
転がりながらくすぐり合う、それが愛だ
Went from Left, Right, Left
Left, Right, Left と動いて
出てってくれそのBed
そのベッドからさっさと出てけ
Yeah もういいってその目
ああ、もうその目も見飽きた
戻る気なんてねぇ
戻る気なんてない
I don’t give a single fuck (don’t give a f**k, nah nah nah)
俺は一切気にしない (どうでもいい、nah nah nah)
Don’t say you’re sorry
謝るなんて言うな
I be out up in the club (up in the club)
俺はクラブで騒いでる (クラブで)
Don’t need nobody
誰も必要ない
We are done, bella ciao I want out, had enough
俺たちは終わりだ、ベラチャオ 抜け出したい、もう十分だ
She got the grip 20k bit
彼女はがっちり掴んでる、20K(2万ドル)分
Slide in the DMs like Tokyo Drift
DMに滑り込む、まるで「東京ドリフト」
ヤバすぎ ガチ無理
やばすぎる、ガチ無理
もう何もできることなんてない
もう何もできることはない
I hit from Left, Right, Left
Left, Right, Left と攻める
出てってくれそのBed
そのベッドからさっさと出てけ
Yeah もういいってその目
ああ、もうその目も見飽きた
戻る気なんてねぇ
戻る気なんてない
F**k your lalalala Baby we are done (Baby we done)
クソくらえ、そのラララ 俺たちは終わりだ (終わりだ)
Lalalala So long bella ciao (So long bella ciao)
ラララ さようなら、ベラチャオ (さようなら)
F**k your lalalala I think I had enough now
クソくらえ、そのラララ もう十分だ
F**k your lalalalalalalalalala
お前の「ラララ」にうんざりだ
Baby we are done (oh nah nah nah)
俺たちは終わりだ (oh nah nah nah)
Lalalala So long bella ciao
ラララ さようなら、ベラチャオ
F**k your lalalala I think I had enough now
クソくらえ、そのラララ もう十分だ
F**k your lalalalalalalalalala
お前の「ラララ」にうんざりだ
※ネット翻訳のためご了承ください
序論 自由の宣言としての「LALALALALALALALALALA」
「LALALALALALALALALALA」は、
ただの軽薄なリズムに見えるかもしれない。
しかし、歌詞の底には
「他者への期待からの脱却」
「自由の主張」
「個の確立」というテーマが浮かび上がる。
この楽曲は、ニーチェの
「神は死んだ」という宣言を想起させる。
古い価値体系からの解放は、
自己の新しい価値創造を必要とするが、
それは同時に
「何ものにも縛られない自己決定」の苦悩でもある。
第1章 拒絶と自己肯定―「I don’t give a single fuck」の哲学
「I don’t give a single f**k」
というフレーズは、
カントの「実践理性批判」における
自己決定の概念に通じる。
他者の期待に迎合することなく、
自らの行為の価値を判断する態度は、
まさに道徳的主体としての人間の姿だ。
「他人にどう思われようと関係ない」
という姿勢は、
サルトルの「実存は本質に先立つ」
という思想を想起させる。
実存主義では、人間は自らの選択によって
自分自身を形作り、他者の評価は無意味となる。
第2章 終わりの美学―「Bella Ciao」が示す解放の象徴
「Bella Ciao」は
イタリアのパルチザン・ソングとして、
抑圧からの解放を歌ったものだ。
この曲が引用されることで、
個人間の関係においても
「自由への脱却」が強調される。
ヘーゲルの「主従関係」における
闘争が示すように、
人間は他者との対立を通じて自己を確立する。
ここでの「We are done」という宣言は、
関係の終焉を否定的に捉えるのではなく、
新たな自己の目覚めの契機として肯定されている。
第3章 他者との断絶と個の確立
「戻る気なんてねぇ」
という言葉に込められた拒絶は、
デリダの「差異」の概念を彷彿とさせる。
自己と他者の間には、
決して埋められない裂け目があり、
他者と完全に融和することは不可能である。
この断絶を受け入れることで、
人間は初めて「自己」という
存在を意識するようになるのだ。
第4章 無関心の力―快楽主義と虚無主義の間
「Fuck your lalalala」というフレーズは、
ニヒリズム的な諦念と
エピクロス的な快楽追求の狭間に位置している。
無意味なものに対して無関心であることは、
虚無主義の一形態とも言えるが、
それは同時に「他人の評価」によって
自分の快楽を妨げられないという
エピクロスの教えに通じる。
ここでは、外的な価値に対する否定が
「内的な幸福」を追求する力となっている。
第5章 消費文化とアイデンティティの軽薄さ
「インスタの寂しいアピ」や
「趣味悪いIceをスワイプ」といった歌詞は、
現代社会における
消費的な性質を批判している。
ここでは、ジジェクの消費文化批判が参考になる。
彼によれば、
自己表現は商品化され、
SNSによる「自己アピール」は
人間の本質を空虚なものにしてしまう。
この楽曲は、そうした軽薄な社会に対する
拒絶として「F**k your lalalala」を繰り返す。
結論 自己を貫くためのラララ
「LALALALALALALALALALA」
という繰り返しは、
単なる音遊びに留まらない。
これは、ニーチェの「運命愛」にも似た、
生の軽やかさを受け入れる態度だ。
あらゆる価値判断から解放され、
自己を生きることの楽しさを象徴している。
人生の不確実性や他者との
断絶を「ラララ」という軽妙な響きで
乗り越える姿勢は、
まさに現代を生き抜く哲学的態度といえる。
このように、
「LALALALALALALALALALA」は、
一見軽薄に見える中に
深遠な哲学的洞察を含んでいる。
それは、無関心と自己決定、
自由と解放の間で揺れる
人間の姿を描き出しているのである。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。