諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
L'Arc〜en〜Ciel
YOU GOTTA RUN
について哲学的に考察していく。
- L'Arc〜en〜Ciel「YOU GOTTA RUN」MV
- YOU GOTTA RUNの歌詞
- 序論 「走る」という存在の意味
- 第一章 境界の向こうへ:挑戦と自由の弁証法
- 第二章 迷いと自己:内なる敵との闘い
- 第三章 流星のように:瞬間と永遠の交錯
- 第四章 絶望を超えて希望を見つける―救済の哲学
- 第五章 心と身体の調和:「走る」ことの本質
- 結論 加速する心と存在の到達点
L'Arc〜en〜Ciel「YOU GOTTA RUN」MV
YOU GOTTA RUNの歌詞
あらたなる境界
立ち塞がる未来
掴み取りたい世界
Burn it up! Burn it up!
奴らの視線に
君は少しひるんだ
跳ね返そうぜ眼光
Burn it up!Burn it up!
不可能に見えた
fight to the edge
Shout it out!
君は乗り越え迎える
No more doubt!
目に見えない最大の敵は
Deep in your heart
君は走る迷いも切り裂いて
放つ閃光流星のように
君を見つめ希望を見つけ出す
僕を救う
Getting closer to the top
To be with you
垣間見た空雲の向こうに
確かにある自由
Burn it up! Burn it up!
踏み切れない僕君は少し笑って頂点を指さした
Burn it up! Burn it up!
無くしたはずの spirit inside Shout it out !
導火線の火が暴れる
No more doubt!
できるかどうか考えてないで
Go with your heart
君は走る迷いも切り裂いて
放つ閃光
流星のように
無数の傷をものともしないで
君は駆ける
Getting closer to the top
You always do
君は走る迷いも切り裂いて
放つ閃光流星のように
君を見つめ希望を見つけ出す
僕を救う
Getting closer to the top
大地蹴って加速してゆく
心燃やすように君よ走れ
You gotta run
序論 「走る」という存在の意味
「YOU GOTTA RUN」は、
単なる疾走のメタファーに留まらず、
人生における挑戦、自己超越、
そして存在の意味を問いかける作品である。
ここで問われるのは、
我々がどのように「走る」べきか
それは「目に見えない最大の敵」が潜む
「Deep in your heart」という
言葉に示されるように、
外的ではなく内的な葛藤を越える営みでもある。
「人間は投げ込まれた存在」であると述べた。
我々は自ら選んだのではない
境遇に放り込まれ、
それでもなお未来へと
向かって走らねばならない。
「YOU GOTTA RUN」は
まさにその存在の「投企」を描き出している。
第一章 境界の向こうへ:挑戦と自由の弁証法
「あらたなる境界 立ち塞がる未来」は、
我々の前に立ちはだかる挑戦を示す。
この境界を超えることで、
人間は自己の自由を発見するが、
それは一筋縄ではいかない。
「自由とは自己の他者性を克服すること」なのだ。
「雲の向こうに確かにある自由」を
見出す行為は、挑戦を受け入れ、
それを跳ね返す過程にほかならない。
「困難を抱擁する者こそ、より高く登る」
と語ったように、挑戦こそが人間を高みに導くのである。
第二章 迷いと自己:内なる敵との闘い
歌詞に登場する「迷いも切り裂いて」
というフレーズは、
「悪い信仰」を連想させる。
我々はしばしば自己欺瞞によって
自らの可能性を制限し、逃避する。
しかし、真の自由を獲得するためには、
この内なる敵と対峙し、
自己を解放する必要がある。
歌詞にある
「できるかどうか考えてないで
Go with your heart」という言葉は、
キルケゴールの「主体的真理」への
呼びかけを想起させる。
合理的な思考ではなく、
情熱をもって行動することが、
我々の実存を豊かにするのだ。
第三章 流星のように:瞬間と永遠の交錯
「放つ閃光 流星のように」という表現は、
一瞬の輝きがもたらす永遠性を示唆する。
『時間と自由意志』において、
「瞬間はそれ自体が持続の断片である」
と述べたように、
一瞬の行動には無限の意味が宿る。
走るという行為は
刹那的でありながらも、
未来へと向かう持続の運動である。
カミュが『シーシュポスの神話』で
語るように、
「闘争そのものが人間の心を満たす」のであり、
結果ではなくその過程が我々を意味へと導く。
第四章 絶望を超えて希望を見つける―救済の哲学
「君を見つめ希望を見つけ出す 僕を救う」
という歌詞には、
絶望の先に見える希望が描かれる。
ヤスパースは「限界状況」において、
人間は真の自己に目覚めると述べたが、
希望はまさにその限界を越えた場所に存在する。
この救済の瞬間は、
他者との関係性において実現する。
「君を見つめ」ることで、
「僕を救う」という相互作用は、
レヴィナスの「他者への応答責任」を想起させる。
他者の存在が我々を高みに引き上げ、
共に未来を目指す道筋を示すのだ。
第五章 心と身体の調和:「走る」ことの本質
歌詞に登場する
「心燃やすように君よ走れ」
というフレーズは、心と身体が一体となった
行為を象徴している。
『知覚の現象学』において、
身体を単なる物理的な存在ではなく、
世界との関わりにおける
「生きられた身体」として捉えた。
走るという行為は、
理性を超えた身体的な直感によるものであり、
我々が世界とどのように関わるかを示す
一つの現象である。
この直感は「導火線の火が暴れる」
とあるように、
制御を超えた情熱そのものだ。
結論 加速する心と存在の到達点
「大地蹴って加速してゆく」
という言葉は、
存在の到達点に向けて
心と身体が調和し、
加速する姿を描いている。
これは、自己を超えた地点へと向かう
「存在の飛躍」を意味する。
ヤスパースが言うように、
「人間は自己超越する存在」であり、
その超越は決して終わらないプロセスなのだ。
「YOU GOTTA RUN」のメッセージは、
走ることそのものが我々を救済し、
自己実現へと導くという点にある。
たとえ無数の傷を負っても、
我々は走り続け、
「Getting closer to the top」という
理想へ向かうべきである。
それは決して静止することのない、
生きることそのものの象徴である。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。