音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】Official髭男dism/Same Blue歌詞の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Official髭男dism

Same Blue

について哲学的に考察していく。

 

 

Official髭男dism「Same Blue」MV

www.youtube.com

Same Blueの歌詞

気持ちの整理が
つかないままの朝に
散らかったそれを
鞄に詰め込んだ
やっぱり僕は
あなたの前の僕は
渡したい言葉なんて
渡せないまま
1人の夜に中身を
広げようとして
胸の奥がひりついて
たまらなかった
好きな想いが
あなたを好きという
想いがあまりにも
嵩張ってたから
近くて遠い日々に
眩量がした落ち込んで
浮かれての寒暖差に
染められて増えていた
この重みを
絶対に離したくないと
胸は痛いくせに
そう叫んでしまっていた
春の中 
あなたを見た見惚れていた
夏模様の中で
移ろう街と
逆に青のまま募る心
秋の空雪が混じった
その全てが
とても似合っていた
よそ見する暇もない
忙しい世界を走るように
恋をしている
あなたという季節の中で
足りないものを
少しでも減らそうとして
力んで余計に
いくつも増えたりして
やっぱり僕じゃ
あなたを好きな僕じゃ
釣り合いたがる資格もないよなぁ
あれだけ用意した
伝えたかったこと
色んな自分に邪魔をされた
鞄の中で揺れ拗れて
さらに膨れ傷跡にさえなれずに 
隠し持った想いたちが
溢れることを
選んだ日はちゃんと届けたい
あなたの心の中へ
春の中 
あなたを見た見惚れていた
夏模様の中で
移ろう街と逆に 
青のまま募る心
秋の空雪が混じった
その全てがとても似合っていた
よそ見する暇もない忙しい
世界を走るように恋をしている
青のまま濁って
澄んで大きな未熟さを背負って
明日も息を切らしたい
あなたの居る
目まぐるしい世界で
あなたという季節の中で

序論

『Same Blue』は、

個人の感情と他者との関係を、

季節の移ろいとともに描く作品である。

 

この歌詞には、

我々が日常の中で抱える感情の重み、

不完全な言葉による表現の限界、

そして自己と他者との間に

存在する不可避の距離が、

哲学的に問いかけられている。

 

ここでは、哲学者たちの知恵を引用しつつ、

この歌詞を深く読み解いていく。

 

 

第一章 季節と感情の交錯:心の移ろい

歌詞の中で描かれる春夏秋冬は、

主人公の感情の移ろいを象徴している。

 

特に「青のまま募る心」という表現は、

ハイデガー存在と時間」における「投企」

概念を思い起こさせる。

 

彼はこう述べている

「人間は常に未来へと向かって存在し、

自己の可能性を実現しようとする存在である。」

 

季節の変わり目に揺れ動く感情は、

この存在としての「投企」、

すなわち未来へと向かう心の動きそのものである。

 

春に「見惚れ」、

夏に「募る心」、

秋に「雪が混じった空」

を見上げる感情の動きは、

まさに人間が時間の中で感じる希望や焦燥、

そして不安を映し出している。

 

「あなたという季節の中で」という表現は、

他者との関わりが自身の存在を

規定することを暗示している。

 

第二章  「好き」という重み:愛の存在論

「好きな想いが嵩張ってたから」という

フレーズには、愛の持つ

存在論的な重さが感じられる。

 

フリードリヒ・ニーチェ

ツァラトゥストラ』において

「愛とは意志の表現であり、

それは他者を超えた力への意志である」と述べた。

 

ここで「好き」という感情は、

単なる感情を超え、

自己の存在を他者に向けて開く行為であり、

そこに重みが生じるのだ。

 

主人公の心にとって、

愛は単に軽やかな感情ではなく、

彼の存在全体を占める重荷となる。

 

「あなたの前の僕は渡したい

言葉なんて渡せないまま」という無力感も、

この愛の重さを示している。

 

第三章 言葉の不完全性と表現の限界

「渡したい言葉なんて渡せないまま」

という歌詞は、

言葉の限界を痛感する瞬間である。

 

このテーマは、

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

「語りえぬものについては、

沈黙しなければならない」という命題に重なる。

 

言葉は我々の感情や内面を

完全に表現する手段ではなく、

むしろその不完全さゆえに感情を包み隠すことが多い。

 

鞄の中に「詰め込んだ」想いは、

「揺れ拗れてさらに膨れる」という表現で、

伝えられない感情が自己の中で増殖し、

膨張していく様子を表している。

 

ここには、自己と他者の間に横たわる

言語の不完全性の問題が浮き彫りになっている。

 

 

第四章 自己と他者の距離:対話と内省

「やっぱり僕じゃあなたを

好きな僕じゃ釣り合いたがる資格もないよなぁ」

というフレーズは、

自己と他者の距離感を意識する瞬間である。

 

ジャン=ポール・サルトル存在と無において

「他者は私を客体化し、私は他者によって定義される」

と述べている。

 

自己が他者に対して

どう映るかを意識することで、

主人公は自己の無力さや未熟さを痛感し、

内省を深める。

 

さらに、「あなたの心の中へ届けたい」

という願望は、

他者との対話に向けた切実な欲望であり、

マルティン・ブーバー『我と汝』における

「対話的存在」の概念に近い。

 

対話を通じて初めて、

自己と他者は本当に向き合い、

理解し合うことができるのだ。

 

結論

『Same Blue』は、

自己と他者との間に存在する

感情の重みや距離感を、

季節の移ろいの中で描き出している。

 

この歌詞における感情の嵩張り、

言葉の不完全性、

そして自己の内面に潜む矛盾は、

哲学的に見れば、

人間が持つ存在論的な問題を鮮やかに示している。

 

歌詞を通じて我々は、

日々の中で感じる感情の重みと、

それをいかに他者に伝えるか

という問題に立ち返り、

自己を問い直す機会を得るのである。

 

この分析を通して明らかになるのは、

感情の嵩張りや

言葉の限界といったテーマが、

我々の存在そのものを

探求するに値する

重要な問いであるということだ。

 

『Same Blue』は単なる

恋愛の歌にとどまらず、

自己の存在を見つめ直す

哲学的な旅へと我々を誘う楽曲である。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。