音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】MILLENNIUM PARADE/KIZAO King Gnu常田作詞の歌の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

MILLENNIUM PARADE
KIZAO feat.Rauw Alejandro, Tainy

について哲学的に考察していく。

MILLENNIUM PARADE「KIZAO feat.Rauw Alejandro, Tainy」MV

www.youtube.com

KIZAO feat.Rauw Alejandro, Tainyの歌詞・和訳

Antes que se acabe la noche, sera mia,
Mi mente maquinando, 
ella con sus amigas, 
Con la nota prendida, 
volando, 
y yo pegandome asi
What are you waiting on ?
Are you gonna prove me right or wrong?
Are you gonna prove me right or wrong?
Put me on
You know what I want
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on
Put me on
Envuelto, tu envuelta yo estoy puesto si tu estas puesta
Put me on
Gata persa sin perse, 
aqui no se vale envolverse, Empezo y no quiere detenerse,

Sandunguera como Blasss y como Merce
Date tu puesto porque puedes, Ella sabe
pero yo soy mas listo
Todo lo que subes por las redes, 
No le doy like, 
pero sabes que lo he visto
I ain't got to tell you what I'm on tonight
I won't tell nobody where we are tonight
Ain't turning off now you better put me on
I ain't got to tell you what I'm on tonight
I won't tell nobody where we are tonight
Ain't no turning off now you better put me on
What are you waiting on? 
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong? 
Put me on
You know what I want. 
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong? 
Put me on
Put me on
Envuelto, 
tu envuelta y estoy puesto si tu estas puesta
Cuando te quieras ir, 
dime y nos vamos, 
dime y nos
vamos
que no
Ya Estamos aqui y no dices que no, 
no dices que no,
What are you waiting on ?
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on
You know what I want
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on
What are you waiting on ?
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on
You know what I want
Are you going to prove me right or wrong?
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on
Put me on
You know what I want
Are you going to prove me right or wrong?
Put me on

~日本語和訳~

夜が終わる前に、
彼女は俺のものになるだろう
頭の中で色々考えながら、
彼女は友達と一緒
ハイな気分で飛び回って、
俺は近づいていく
何を待っているんだ?
俺が正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ
俺が欲しいものは
わかっているだろ?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ
俺に火をつけてくれ

俺は準備万端、
お前もその気なら俺もその気だ
ペルシャ猫みたいに
自由で気まま、
でもここでは深入りはなしだ
始まったら止まれない
ブラス(Blass)や
メルセ(Merce)のように
情熱的だ
自分の価値を
知っているなら、
それを見せつけろ
彼女は自信があるけど、
俺はもっと賢い
SNSに投稿するもの、
俺は「いいね」しないけど
見てるのはわかってるだろ

今夜、俺が何をしようと
しているか説明する必要はない
俺たちがどこにいるか
誰にも言わない
もう止まれないから、
早く俺に火をつけてくれ
今夜、俺が何をしようと
しているか説明する必要はない
俺たちがどこにいるか
誰にも言わない
もう止まれないから、
早く俺に火をつけてくれ

何を待っているんだ?
俺が正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ
俺が欲しいものは
わかっているだろ?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ
俺に火をつけてくれ

俺は準備万端、
お前もその気なら俺もその気だ
帰りたくなったら言ってくれ、
そしたら一緒に帰ろう
でも今はここにいるんだから、
断る理由はないだろ?

何を待っているんだ?
俺が正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ
俺が欲しいものは
わかっているだろ?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ

俺に火をつけてくれ
俺が欲しいものは
わかっているだろ?
正しいか間違っているか、
証明するのか?
俺に火をつけてくれ

※ネット翻訳のためお手柔らかに

 

序論 欲望と夜の哲学

この楽曲は、夜の一瞬に凝縮された欲望、

衝動、そして選択の物語である。

 

「夜」という舞台は、

日常の規範から解放された

自由な空間を提供する。

 

ここに描かれる登場人物たちは、

欲望を追求しながらも、

それが証明されることを求めている。

 

ジャン=ポール・サルトル

言葉を借りれば、

「人間は自由の刑に処されている」のであり、

この歌詞もまた、

その自由をいかに使うかという

選択の葛藤を示している。

 

第一章 主体と他者―「証明」への渇望

「Are you going to prove me right or wrong?」

という問いかけは、

自己の欲望が他者に

どう受け入れられるかという不安を示す。

 

ラカン「欲望は他者の欲望である」

という理論に沿えば、

ここで歌い手が求めているのは、

相手が自分の期待に応じることで、

自己の存在が他者を通じて確認される瞬間である。

 

この楽曲において、

他者とは単なる対象ではなく、

自己の認識に不可欠な存在だ。

 

歌い手は、相手に「証明」を求め、

欲望を確定しようとしている。

 

これは他者との対話において、

自己が常に他者の視線を通じて

定義される実存主義的なテーマでもある。

 

第二章 行為の自由―火をつけることと責任の倫理

「Put me on」という言葉には、

行動を促す挑発的な響きがある。

 

ここで問われるのは、

自由な行為の責任である。

 

自由な選択が行われた後、

責任が伴うことをスピノザ

「自由とは必然の認識である」と述べた。

 

したがって、欲望の表現がどれだけ

衝動的であろうと、それには必ず結果が伴う。

 

夜の自由を享受する瞬間には、

自己と他者との間に潜む倫理的責任が存在する。

 

二人の主体が共鳴することで、

そこに自由の責任が共有される。

 

第三章 自己表現と虚像―SNSにおける存在と不在

「Todo lo que subes por las redes,

No le doy like, pero sabes que lo he visto」

という歌詞は、

SNS上での存在の虚しさと実在感を語る。

 

ここで示されるのは、

見られることを通じた存在の確認である。

 

ハン・ビョンチュルは『透明社会』で、

現代社会では、すべてが見えることで

存在が保証される」と指摘する。

 

歌い手は「いいね」を押さないことで、

表面的な承認を拒絶しつつも、

その存在を見届けている。

 

これは、SNSにおける

自己表現のジレンマであり、

存在を示すには可視化が求められるが、

それだけでは実存を

捉えきれないという逆説を浮かび上がらせる。

 

第四章 今、この瞬間―ハイデガー的時間性の解釈

「もう止まれないから」

という言葉に象徴されるように、

この楽曲の登場人物たちは、

現在という瞬間に没入している。

 

ハイデガーは『存在と時間』において、

過去や未来を超えて「いま、ここ」に

あることの重要性を説いた。

 

「夜が終わる前に」という時間の限定は、

死の不可避性に直面することで

自己の本質を問うハイデガー

「先駆的決意性」を思わせる。

 

この瞬間は、後戻りのない選択の連続である。

 

夜が明けるという

不可避の終わりが迫る中で、

彼らは何を選ぶのか。

 

それは単なる欲望の追求ではなく、

存在そのものをかけた決断である。

 

結論 夜が明ける前に、何を選択するのか

この歌詞が描くのは、

欲望の解放とその責任、

他者との関係性の葛藤、

そして今という瞬間に対する没入である。

 

サルトル「人間は自由であるがゆえに、

自らを選ばなければならない」と言うように、

夜の終わりが迫る中で、

登場人物たちは自らの欲望と向き合い、

それを証明するかどうかを選択する。

 

「What are you waiting on?」という問いは、

単なる誘惑ではなく、

自由を与えられた人間が

その瞬間に何を選択するのかという究極の問いである。

 

それは夜という一時の

快楽の中であっても、存在の問いに等しい。

 

そして、どのような選択をしようとも、

すでに後戻りはできないのだ。

 

以上が、

「KIZAO feat. Rauw Alejandro, Tainy」の

歌詞を哲学的に読み解いた一考察である。

 

この楽曲が提示する問いは、

ただ夜の一瞬を捉えるものではなく、

我々の生の根源的な選択に関わるものである。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。