諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
Nissy
SLAVE
を哲学的に考察していく。
- Nissy「SLAVE」のMV
- SLAVEの歌詞
- 1. 序論:愛と自己認識の狭間
- 2. 愛の本質とは何か?
- 3. 感情と理性の対立
- 4. 相互依存と孤独
- 5. 自己犠牲の意義
- 6. 結論:自己の完成と愛の矛盾
Nissy「SLAVE」のMV
SLAVEの歌詞
証明しよう
Because I am not a slave
Take it slow
とか大きなお世話です
Let me show
突き詰めた先のレアケース
とりあえずYes
何もかもYes
それじゃ相容れないね
今も誰も何もかも
流されるだけの思考
見つけよう
心に添った行動判断
失敗を厭わない
成功に溺れない
想像しない展開
いずれこれが正解
目を背けていても
Just like a slave
逃げられない
何が起きても自分で抗え
No blame
気づいてもtoo late
連鎖で雁字搦め
No rules No goals
認めない
檻に鍵は付いていない
Through the gate
まだ折れない
証明しよう
Because I am not...
Stand up Stand up
暗闇の中を
Light up Light up
自由望むならば
Our story begins
追い求めていたい
Respect your love
and just respect yourself
創り上げた
この世界の邪魔はさせない
Let's burn a flame
儚き夢
燈を灯し今目を覚ませ
No blame
己の運命
毎回「これが最後」の繰り返し
全てに絶望して
涙さえ枯れたって
There's still a chance
今突き進め
心の炎を燃やして
We are not slaves
1. 序論:愛と自己認識の狭間
Nissyの「SLAVE」は、
愛における自己認識と
他者への従属を主題とする。
愛を通して人は自己を失い、
同時に自己を発見するという逆説が現れている。
ここでの「SLAVE」とは、
愛に対する依存や献身を指し、
哲学的に見ると自己の存在に対する問いかけである。
「知ることは、自己を知ることである」と
ソクラテスが語ったように、
愛は自己の本質を明らかにする過程でもある。
Nissyもまた、この歌を通じて、
自身が愛に対してどのように向き合うべきかを問うている。
2. 愛の本質とは何か?
※イデアとは、頭の中に浮かぶ完全な物
プラトンの理想主義において、
愛は単なる感覚的なものを超えた、
イデアの追求として定義される。
Nissyの歌詞に描かれる
「SLAVE」としての自己は、
愛という名の絶対的なイデアに対する
自己犠牲とも解釈できる。
プラトンは、
愛を「善」や「美」の追求と見なし、
それに到達するためには
理性を用いることが必要だとした。
つまり楽曲は、イデアに身を捧げるプラトニックな愛の象徴である。
3. 感情と理性の対立
• スピノザの「感情の束縛からの解放」
スピノザは、
人間の感情はしばしば理性に対抗し、
自由な意思決定を阻害すると考えた。
Nissyの「SLAVE」でも、
愛に対する感情的な依存が強調されている。
スピノザが述べたように、
感情はしばしば人を拘束し、自由を奪う。
それゆえに、
「SLAVE」としての愛に囚われた自己は、
感情によって束縛され、自己を見失う危険がある。
しかし、スピノザはまた、
真の自由とは理性によって感情を理解し、
それを乗り越えることにあるとした。
Nissyが感情に支配されつつも、
その愛を歌い続けることは、
この内なる葛藤を反映している。
4. 相互依存と孤独
• サルトルの「他者は地獄である」
サルトルは、他者との関係において、
自己は常に他者の視線によって規定されると語った。
Nissyの「SLAVE」も、
愛する相手との関係において
自己がどのように変容するかを描いている。
サルトルが「他者は地獄である」
と言ったように、
愛は時に相互依存において自己を失うことを意味する。
しかし同時に、他者を通じて自己を発見するという逆説もある。
Nissyの歌詞には、
愛する相手に「捧げる」
という感情が描かれるが、
それは自己の消失を意味するのか、
それとも自己の新たな発見をもたらすのか。
この問いは、サルトルが指摘した
他者との関係の根本的な矛盾を浮き彫りにしている。
5. 自己犠牲の意義
• キルケゴールの「信仰における飛躍」
キルケゴールは、
信仰とは理性を超えた飛躍であり、
自己を完全に犠牲にする行為だと述べた。
Nissyが「SLAVE」として愛に捧げる姿は、
このキルケゴールの「信仰の飛躍」に似ている。
理性では理解できない愛のために、
自己を犠牲にすることは、一種の崇高な行為である。
キルケゴールはまた、
自己犠牲によってこそ
人間は真の自己に到達できると考えた。
Nissyの「SLAVE」における自己犠牲は、
単なる従属ではなく、
自己の完成に向けた重要な一歩だと解釈できる。
6. 結論:自己の完成と愛の矛盾
Nissyの「SLAVE」は、
自己の存在と愛の相互関係を
深く掘り下げている。
愛は自己を束縛し、
他者に従属させるが、
それと同時に、愛は自己を完成させる道でもある。
この矛盾は、
哲学者たちが長年にわたり
探求してきたテーマであり、
Nissyの歌詞はその探求に対する新たな視座を提供している。
思想を踏まえ、
Nissyの「SLAVE」に描かれる愛は、
単なる感情的な依存ではなく、
自己を発見するための一つの道である。
愛は自己犠牲と自由の間で
揺れ動くものであり、
その中で人は自己の本質を見つけるのだ。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。