諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
フリト
を哲学的に考察していく。
- 山崎まさよし「フリト」のMV
- フリトの歌詞
- 1. 序論:偶然の意味と人間の本質
- 2. 第一章:無常と時間の流れ
- 3. 第二章:存在と他者の出会い
- 4. 第三章:自由意志と運命の相克
- 5. 第四章:欲望、虚無、そして自己実現
- 6. 結論:人間の内なる自由
山崎まさよし「フリト」のMV
まずは山崎まさよしの「フリト」の
music videoをご覧あれ。
フリトの歌詞
お気に入りの道を選んで
散歩に行こう
誰に気兼ねをしなくてもいいから
愛情は不思議
うまく説明できないけど
君が好きやん
理由なんてないやん
夢見るように出会ってしまった
酸いも甘いも分かち合って
走り出そう
誰の声も届かないとこまで
この先どんだけ一緒にいられるかな
この時間が
どれくらい続いていくのかな
夏の夕暮れは時々切なくなる
そばにいたいんや
笑っていたいんや
どんな季節も乗り越えて
君のことを見つめながら
日が沈むまで歩いて行きたい
君が好きやん理由なんてないやん
夢見るように出会ってしまった
酸いも甘いも分かち合って
走り出そう どこまでも
気にせんでええやん
なんとかなるやん
かけがえのない時だから
この瞬間を胸に刻んで
空を見上げたら虹を見つけた
虹を見つけた
1. 序論:偶然の意味と人間の本質
「フリト」は、
まるで人生の小さな偶然や出会いの断片を
音楽で描いたような楽曲である。
その背後には、「偶然」を通して
人間の存在や意義を問いかける
深い哲学的問いが潜んでいる。
これは、ジャン=ポール・サルトルの
言葉を借りるならば、
「存在は無意味であり、
意味を持つのは人間の選択だ」
と言えるだろう。
サルトル曰く
「人は自由の刑に処せられている。」
偶然の出会いや出来事を
無視することはできないが、
それをどう意味づけるかは
我々の自由であり、責任である。
2. 第一章:無常と時間の流れ
「フリト」の歌詞には、
時間の不可逆的な流れが示唆されている。
ここで思い出すのは、
「パンタ・レイ」(万物は流転する)
という考え方だ。
歌詞が伝える一瞬の出来事や出会いは、
決して戻ることはない。
「同じ川に二度足を踏み入れることはできない」
とヘラクレイトスが言ったように、
人生のすべての瞬間は変化の中にあり、
二度と同じものには戻らないのだ。
ヘラクレイトス曰く
「変化こそが唯一の不変である。」
3. 第二章:存在と他者の出会い
「フリト」における他者との出会いは、
「他者との遭遇」にも通じる。
サルトルにとって、
他者との関わりは自己を他者に対して
反射する鏡のような役割を果たす。
人は他者を通して自己を発見し、
他者の存在によって自己の自由と責任が
さらに浮き彫りにされるのだ。
レヴィナス曰く
「他者とは、私に対して倫理的責務を生じさせる存在である。」
偶然の出会いを通して、
自らの存在意義や責任が問い直される。
4. 第三章:自由意志と運命の相克
「フリト」の中で語られる出来事は、
まるで運命のいたずらのように見えるが、
そこにどれだけの自由意志が
介在しているのかが問われる。
スピノザは、
「自由とは、我々が運命を理解する能力のことである」
と述べた。
つまり、我々は一見すると
運命に支配されているように感じるが、
実際にはその運命を受け入れ、
それを理解することが自由の本質なのだ。
スピノザ曰く
「人間の自由は、避けられない必然性を理解することにある。」
5. 第四章:欲望、虚無、そして自己実現
「フリト」には、欲望や虚しさも垣間見える。
これはまさにニーチェが語る
「永遠回帰」や「超人」にもつながるテーマだ。
我々が欲望に支配され、
虚無感に悩まされるとき、
その中でいかに自己を超えていくかが問われる。
欲望は無限であり、
満たされることはない。
だが、それを超えていくことが
ニーチェ曰く
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。」
虚無を超え、
新しい意味を自ら見出すことが、
真の成長である。
6. 結論:人間の内なる自由
「フリト」の歌詞は、
運命と自由、偶然と必然という
人間の根源的な問いを投げかけている。
そこに含まれるのは、
カントが言うような
「意志の自由」と「道徳的義務」の
概念でもある。
最終的に、
人間は自己の自由意志をもって選択し、
行動しなければならない。
その結果がどうであれ、
選択そのものが我々の存在を形作る。
カント曰く
「人は自由に生きることを通じて、人間らしさを実現する。」
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。