音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】松下洸平/愛してるって言ってみてもいいかな 恋人を思う歌詞の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

松下洸平

愛してるって

言ってみてもいいかな

について哲学的に考察していく。

松下洸平「愛してるって言ってみてもいいかな」MV

www.youtube.com

愛してるって言ってみてもいいかなの歌詞

君と僕のドラマなら
もちろん
ハッピーエンドで
その続きも僕らは
ずっと幸せなんだよ
僕ら何度も泣いて
何度も恋した
今日はこのまま
「愛してる」って
言ってみてもいいかな
思い出すたび
恥ずかしくなるような
「愛してる」って
言ってみてもいいかな
幸せにするのは
僕だと思うな
夢も約束も
一緒に叶えていこうよ
些細なことで
すれ違って
初めてわかった
君の頬にくちづけを
僕には君なんだよ
僕ら何度も泣いて
何度も信じた
どんな未来も
いつかシワも
増えて歳とっても
手を繋いでさ 
笑い合っていよう
代わりのない
変わることない
僕ら
特別な日々は
続いていくよ
「愛してる」って
言ってみてもいいかな
思い出すたび
恥ずかしくなるような
「愛してる」って
ずっとずっと
言っていいかな
そばにいたいよ
幸せにするよ
夢も約束も一緒に
叶えていこうよ
何年何十年先も
君を愛してく

 

序論 「愛」と「永遠」の問い

愛とは何か?

これはプラトン以来の

永遠のテーマであり、

人間の営みの根源的な問いでもある。

 

本楽曲「愛してるって

言ってみてもいいかな」では、

愛すること、言葉にすること、

そしてその愛を永遠に続けようとする

意志が中心的に描かれている。

 

アリストテレス『ニコマコス倫理学

述べたように、

幸福(エウダイモニア)は

他者との関係性によって成り立つ。

 

ここでは、その愛の内実と約束の力、

そして時を超えて持続するものについて考察する。

 

第一章 「ハッピーエンド」の神話とその超克

冒頭の歌詞に見られる

「僕らのドラマならもちろんハッピーエンドで、

その続きもずっと幸せなんだよ」という表現は、

人生をドラマや物語に見立てる発想に通じる。

 

これはジャン=ポール・サルトル

述べた「人生はわれわれが書くドラマである」

という視点を思い起こさせる。

 

しかし、ハッピーエンドを予想することは、

人間の有限性に抗う意志とも言える。

 

ニーチェ「運命愛」を説いたように、

私たちは物語の結末に固執するよりも、

与えられた瞬間を愛し、

受け入れなければならないのではないだろうか。

 

第二章 涙と恋:存在の反復と感情の哲学

「僕ら何度も泣いて何度も恋した」

という歌詞には、

悲しみと喜びの反復が描かれる。

 

この反復こそ、キルケゴール

「反復の哲学」に通じる。

 

人間は同じような経験を繰り返すことで、

同時に自己の存在を確かめ、

感情を再発見する。

 

恋とは、同じ感情が新たに姿を変えて

何度も現れる営みであり、

その都度われわれは自己を再定義するのだ。

 

第三章 「愛してる」とは何か?:言葉と存在の相克

「愛してる」と言うことの

恥ずかしさについて触れる部分は、

ハイデガー「言葉は存在の家である」

という命題を思い起こさせる。

 

愛の表現は単なる感情の伝達ではなく、

言葉によって感情が世界に投げ出され、

実存することになる。

 

しかし、その瞬間には、

言葉に託された感情が自己の期待を

裏切る危険もはらんでいる。

 

「愛してる」と言うことの恥ずかしさとは、

自分の感情が不完全な形で現れる不安を示している。

 

第四章 約束の力:夢と未来の共同性

「夢も約束も一緒に叶えていこう」

というフレーズには、

未来に向けた共同性への

強い信頼が込められている。

 

ここで思い出されるのは、

ガブリエル・マルセル「希望の哲学」だ。

 

マルセルによれば、約束とは、

未来において不確実な状況でも

共にあろうとする意志の表明である。

 

約束は二人の存在を未来に投げ入れ、

共同の目標を現実のものへと近づけるのだ。

 

第五章 些細な摩擦と理解:他者との出会いの本質

「些細なことでのすれ違いを

通して初めて分かった」という言葉は、

他者理解の難しさを示している。

 

エマニュエル・レヴィナスが述べたように、

「他者は常に不可知である」ため、

完全な理解は不可能である。

 

しかし、摩擦を経てなお相手を受け入れること、

それが他者との真の関係性を構築する鍵となる。

 

「君の頬にくちづけを」という場面は、

他者への愛と許容を象徴するものであろう。

 

第六章 老いと永遠:時を超える愛の可能性

「いつかシワも増えて

歳を取っても手を繋いで笑い合っていよう」

という部分は、

老いと共に生きる愛の姿を描く。

 

ここには、アルベール・カミュ

「シジフォスの神話」における

不条理な世界を生きる人間の姿が映し出される。

 

いかに老いようとも、

笑い合い、手を繋ぎ続ける意志は、

愛が時を超えて持続しうることを証明するのである。

 

愛とは、時の変化に抗いながらも

その中で共にあり続ける決意なのだ。

 

結論 変わらないものへの信仰

「代わりのない変わることない僕ら」

という歌詞には、

変化の中に不変を求める意志が込められている。

 

ヘラクレイトス

「万物は流転する」と語ったように、

この世の全ては変わりゆくものである。

 

しかし、その変化の中で

変わらぬものを信じること、

それが愛の本質なのだろう。

 

松下洸平のこの楽曲は、

単なる恋愛ソングを超えて、

存在の根本にある「愛」への信仰を問うている。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。