諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
PEOPLE 1
メリバ
について哲学的に考察していく。
- PEOPLE 1「メリバ」MV
- メリバの歌詞
- 序論 痛みと愛のパラドックス
- 第一章 正しさと治癒の不在—倫理への挑戦
- 第二章 「巨大な陰謀」と偶然の終末—未来の不確実性
- 第三章 代用品の世界における愛の本質
- 第四章 エル・ドラードとしての関係—希望と虚構のはざま
- 第五章 傷と永遠:不可解な終わりを共に笑う力
- 結論 メリーバッドエンドの受容とその超克
- 終わりに この世界のすべて、僕のすべて
PEOPLE 1「メリバ」MV
メリバの歌詞
痛いくらいにキスをしよう
逃げ出した
その姿が愛おしいよ
歪んだ視界さえも
晴れるような
とっておきの愛し方で
たとえば巨大な陰謀で
はたまた
誰かのくしゃみ一つで
今夜世界が終わるとしたら
最後の一口は君にあげるわ
大抵は気楽なもんさ
誰も彼も正しさで
傷は治らないのに
微笑みを一つ頂戴
それだけで
不埒なことも行える
痛いくらいにキスをしよう
僕はずっと
そんなことを考えてたんだよ
共感の一つも
得られそうにない
傷だらけのエンドロールで
痛いくらいに永遠のキスをしよう
エンジェルは 物だった
騒ぎ立つタブロイド
銀のピンセット
そして僕は街角の喫茶店
君からの報せを
気長に待つのも良い
君を守る強さが
僕にだって欲しいから
心変わりのラウンドシーを
今か今かと
届かない距離でも
手を伸ばしてみなくちゃ
目一杯の力でそれがルール
アイウォンチュー
アイニージュー
アイラブユーベイベー
よく似た代用品が跋扈してる
産み落とされて
誰もがあてもなく
善と悪のベンチマークで
サンドバッグ
エンドレスの
線と線と点と点
互いに振り翳した
学の傷を数えて
二人で笑い合おうよ
今すぐに羽を休めて
そっともっとぎゅっと
痛いくらいにキスをしよう
僕はずっとそんなことを
考えてたんだよ
共感の一つも
得られそうにない
傷だらけのエンドロールで
痛いくらいにキスをしよう
逃げ出した
その姿が愛おしいよ
同情の余地もない
あまりに施い
僕らだけの
エル・ドラードで
痛いくらいに永遠のキスをしよう
2024年秋
僕らは相変わらず
傷だらけで来るべき
最悪を想像しては
居心地を悪くしてる
それでも僕は君を愛してる
メリーバッドエンド
この世界のすべて
僕のすべて
序論 痛みと愛のパラドックス
「痛いくらいにキスをしよう」
という言葉は、
愛と痛みが
切り離せないものであることを示唆する。
ニーチェは
「深淵を覗く者は、
深淵もまたこちらを覗き込む」
と述べたように、
愛とは同時に破壊的であり、
救いでもある。
本歌詞は、
愛の行為が「痛み」を伴うことで、
感情の高揚と自己の脆さを
同時に表現するものである。
第一章 正しさと治癒の不在—倫理への挑戦
「誰も彼も正しさで傷は治らない」とは、
正義が個人の苦しみを
癒せないというアイロニーである。
道徳律が普遍的な正しさを
重視したのに対し、
この歌詞は正義を通じた救済の無力さを指摘する。
「微笑みを一つ頂戴。
それだけで不埒なことも行える」
という言葉は、倫理的な枠組みを
超えた個人的な赦しや共感の力を示している。
第二章 「巨大な陰謀」と偶然の終末—未来の不確実性
「誰かのくしゃみ一つで今夜世界が終わる」
という詩句は、
「死への存在」を想起させる。
世界の終わりが予測不可能であるならば、
私たちはどのように生を
生きるべきなのか?
この歌詞は、偶然性の支配する世界で
「最後の一口」を愛する者と
分かち合う覚悟を提示する。
第三章 代用品の世界における愛の本質
「よく似た代用品が跋扈してる」
という言葉は、
現代社会における愛や関係の
消費的性質を批判している。
シミュラークル理論によれば、
現代社会では本物と偽物の
区別が曖昧になる。
本歌詞もまた、真の愛の不在と、
代用品に依存する関係の虚しさを暴露する。
第四章 エル・ドラードとしての関係—希望と虚構のはざま
「僕らだけのエル・ドラードで
痛いくらいに永遠のキスをしよう」
という一節は、
ユートピア的な理想と現実の不一致を示す。
エル・ドラードは黄金郷として
人々に希望を与えながらも、
実在しない幻である。
この関係もまた、理想化されていながら
その内部に虚構を孕んでいる。
第五章 傷と永遠:不可解な終わりを共に笑う力
「互いに振り翳した学の傷を
数えて二人で笑い合おうよ」という言葉は、
自己の不完全さを受け入れる姿勢を象徴する。
「愛とは差異を越えて
真理を共有すること」という言葉のように、
二人が互いの欠落を笑い飛ばすことは、
愛の真理に近づく行為である。
結論 メリーバッドエンドの受容とその超克
「メリーバッドエンド」は、
一見して矛盾する二つの概念を
融合させたものである。
悲劇の中に幸せを見出すこの態度は、
「不条理な世界における反逆」と通じる。
彼は『シーシュポスの神話』で、
無意味な苦役に意味を見出そうとする
シーシュポスを「幸福な者」と呼んだ。
同様に、この歌詞の語り手もまた、
「傷だらけで来るべき最悪を想像しては
居心地を悪くしている」中で、
なお愛し続けることを選んでいる。
終わりに この世界のすべて、僕のすべて
最後の言葉
「この世界のすべて、僕のすべて」は、
レヴィナスの「他者への応答責任」の
概念と響き合う。
他者との関係の中で、
自己の存在が完結することはない。
語り手は、自身の「すべて」をもって
他者との関係に応えようとする。
この歌詞全体を通じて、
私たちは愛とは何か、
痛みとは何か、
そして希望とは何かを問い直すよう促される。
傷だらけの未来に向かいながらも、
愛し合う者たちは「永遠のキス」を信じ、
その一瞬に意味を託しているのだ。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。