諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
Vaundy
風神
について哲学的に考察していく。
Vaundy「風神」MV
風神の歌詞
誰よりも
「救いたい」と
悲劇を気取ってた
面倒よりも
それが砕いても、
煮込んでも
食べれない故に
大脳の意思では
静観がキメの一手
なんだってだが、
心臓が言うには
芽吹けば栄養さ
この先も誰かを想うたび
風纏い擦り傷が
絶えないだろう
だがやがてこの風、
受けるたびに
その変え難い
ぬくい痛みに
報われていたいはず
ジリジリ
頬つたって痛いよ
芽吹いた
ヒラヒラ
喉元つたって
吸い込み
肺が痛いよ
でもね
トクトク
あたたかいね
それが大脳の意思では
食わず嫌いがキメの一手
だったってまた、
心臓が言うには
君もそう、風神さ
この先も誰かを想うたび
風纏い擦り傷が
絶えないだろう
だがやがてこの風、
受けるたびにその、
変え難い
ぬくい痛みに
報われていたいはず
もしもこの世の隙間に
愛を少し分けられたなら
それでこのぬくもりに
隙間風も
凪ぐだろうか
僕が、誰かを想うたび
風纏い擦り傷が
絶えないだろうだが
やがてこの風、
受けるたびに
その変え難い
ぬくい痛みに
拭われて
あなたを想うたびに
風纏い擦り傷が
絶えないだろう
だがやがてこの風、
受けるたびに
その変え難い
ぬくい痛みに
救われていたはずだから
序論 風に揺れる存在の哲学
Vaundyの『風神』は、
他者との関わりから
生まれる「傷」と「痛み」、
そしてそれを
受け入れることで生まれる
「ぬくもり」を哲学的に掘り下げている。
風のメタファーが示すのは、
人生における
不可避の変化であり、
それを避けることなく
「傷つく」ことを通して
自己が形成されるプロセスだ。
本考察では、理性と感情、
他者と自己、
そして痛みと救済といった
対立する要素に焦点を当て、
それらがどのように調和を生むのかを探る。
第一章 救済と自己矛盾の探求
1. 他者を救う意志と悲劇の偽装
「『救いたい』と悲劇を気取ってた」
この歌詞は、
他者を救うという行為が
実際には自己満足的な
側面を持つことを暗示している。
『善悪の彼岸』で、
「自己犠牲はしばしば
隠された自己愛である」
と述べた。
他者を救うことは
一見利他的な行為に見えるが、
その裏には自己の
正当化や承認欲求が
隠されていることもある。
2. 「大脳」と「心臓」の対立:理性と感情
「大脳」と「心臓」という
二元論的なモチーフは、
プラトンの『国家』における
理性と情念の対立を思い起こさせる。
大脳は静観しようとするが、
心臓は「芽吹けば栄養さ」と語り、
感情的な行動を促す。
この対立は、
人間が常に理性と感情の間で
揺れ動く存在であることを示している。
第二章 痛みと変容:傷の哲学
1. 風と擦り傷の反復
「風纏い擦り傷が絶えないだろう」
風は常に変化とともに
やってきて、
そのたびに擦り傷を残す。
ここで語られる
「擦り傷」は、
関係性や感情の
衝突によって生じる
心の痛みを象徴している。
ヘーゲルの
『精神現象学』において自己は
「否定を通じてのみ自己となる」と
述べられるように、
痛みや傷を受け入れることが
自己の形成に不可欠である。
2. 「ぬくい痛み」に報われる自己
この「ぬくい痛み」は、
『存在と時間』で述べた
「不安」の感覚に近い。
痛みはただの
苦しみではなく、
自己が他者との
関わりを通して「在る」ことを
実感させる感覚だ。
ハイデガーにとって、
不安や痛みは自己が
「本来的な存在」に目覚める契機である。
第三章 隙間風と愛の問題
1. 愛の欠落とその補填の可能性
「もしもこの世の隙間に
愛を少し分けられたなら
それでこのぬくもりに
隙間風も 凪ぐだろうか」
愛はこの「隙間風」を
凪がせるものとして
提示される。
ここでは、レヴィナスの
「他者への責任」の概念が響く。
他者を想うことで
生じる傷は避けられないが、
その関係性を通して
私たちは愛の可能性を
探求するのだ。
愛は存在の「間隙」を満たし、
凪のような平穏をもたらす。
結論 風神としての人間の宿命
『風神』における風は、
自己と他者、理性と感情、
痛みとぬくもりの
狭間で揺れ動く人間の
存在そのものを象徴している。
「風神さ」という言葉は、
私たちがその風に
抗うことなく受け入れ、
その中で自己を形成していく
宿命を持つことを示唆している。
ニーチェは
「人間とは、克服されるべき
何かである」と述べたように、
私たちは痛みや
矛盾を抱えながらも、
それらを受け入れ成長する
「風神」としての存在を生きるのだ。
他者との関わりで受けた
傷は避けられないが、
その傷がもたらす
「ぬくい痛み」によって、
私たちは救われていく。
『風神』は、
人間が「風」と「傷」に
満ちた世界をどのように
生き抜くべきかを
問いかける詩である。
痛みを通じて
ぬくもりを見出し、
愛によって隙間を満たす。
それこそが「風神」としての
私たちの宿命であり、救いなのである。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。