音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】オーイシマサヨシ/ギャンブリングホール 賭博・賭けの意味を哲学的に解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

オーイシマサヨシ

ギャンブリングホール

について徹底解説していく。

オーイシマサヨシ「ギャンブリングホール」MV

www.youtube.com

ギャンブリングホールの歌詞

Welcome

扉の奥の方に用意されたテーブル

逃れられない「宿命」という席に着く

見上げれば青天井

積み上がってくハイレート

震えるようなスリルの上で

今宵も踊れ

出口を追いかけて河の中もがいて

凍りついたその先は地獄?ハイ

さあ賭けて頂戴

さあさあ 張って頂戴あなたの生き様は何万円?

人それぞれギャンブル

人生なんてギャンブル

恨みっこはなしよ賭博場で

隣の席の方で心の折れる音がする裏で

仕掛けた奴らがケタケタ笑う

あなたの不幸せがきっと誰かの幸せ

大きな流れに呑まれる前に波を掴め

欲張りな人も運任せの人も

みな生きる価値を求め進むハイ

さあ魅せて頂戴

さあ魅了して頂戴

あなたのお命は何万円?

一生それはギャンブル

どう足掻いてもギャンブル

産み落とされたのよ賭博場へ

通りゃんせ

この世はどちらさんも

伸るか反るか 勝つか負けるか

Welcome 

「サア 賭ケテ頂戴

サアサア 張ッテ頂戴」

さあ 賭けて頂戴

さあさあ 張って頂戴

あなたの生き様は何万円?

人それぞれギャンブル

人生なんてギャンブル

恨みっこはなしよ賭博場で

Welcome

賭博場へ

賭して初めて輝く命

一か八かの夢大博打

1. 序論:人生という賭博場

オーイシマサヨシ

『ギャンブリングホール』は、

まさに人生そのものをギャンブルとして描き出している。

 

私たちが生を受けた瞬間から

「賭博場」に足を踏み入れ、

そのルールは不確実性に満ちている。

 

スピノザ

「自由とは、必然性を理解することである」

と述べたが、

この曲における人生の賭けは、

まさにその必然性を見定めた上での選択を求めるものだ。

 

自由意志がどこまで作用するか、という問いが立ち上がる。

2. 「宿命」とは何か

「逃れられない『宿命』という席に着く」

とのフレーズが示すのは、

定められた運命に対する無力感だ。

 

しかし、サルトル

「人間は自由の刑に処されている」と述べた。

 

運命を宿命として受け入れるのか、

それともそれに抗い自由を選択するのか。

 

この「席に着く」という動作そのものが、

既に選択の一つであることを見逃してはならない。

3. 青天井の下の「ハイレート」と自由

「見上げれば青天井、

積み上がってくハイレート」とは、

自由が限界を知らず、

それに比例して人生のリスクも増していく状況を示唆している。

 

デカルト我思う、ゆえに我ありと言ったが、

ここでは「賭ける、ゆえに我あり」とも言えよう。

我々の存在は、常に選択の連続であり、

賭けによって己を実現していくものである。

4. 賭けの美学:運命と人間の生き様

「あなたの生き様は何万円?」という問いは、

価値観の相対性を示唆している。

 

人生の賭けの価値は一様ではなく、

人それぞれである。ヘーゲルが言うように、

自己意識は他者との関係においてしか成立しない。

 

この曲における賭けは、

他者の視点によって価値づけられるものであり、

その価値は不確実性とリスクに晒されている。

5. 「隣の席」の人々の悲劇:他者の不幸と社会

「隣の席の方で心の折れる音がする」

という描写は、

個人の不幸が他者にとっての

幸福となるという、

人生の厳しい真実を示している。

 

トーマス・ホッブズ

「人間は人間にとって狼である」と述べたが、

この曲においても、

他者の不幸が賭博場の笑い声と化す瞬間が描かれている。

 

人生は、時に競争と残酷さに満ちている。

6. 「一か八か」の選択とニーチェの運命愛

「一か八かの夢大博打」とは、

まさにニーチェの「運命愛」を象徴している。

 

彼は「運命を愛せよ」と説き、

すべての偶然や悲劇さえも肯定し、

それを超えて生きる力を求めた。

 

この曲におけるギャンブルは、

単なるリスクの追求ではなく、運命そのものを抱擁する挑戦である。

7. 結論:賭博場を生き抜くということ

『ギャンブリングホール』は、

人生そのものを賭博場として捉え、

我々が常に選択を強いられる存在であることを示している。

 

カミュ

「人生に意味があるかは我々の行動次第である」

と言ったように、

賭けに挑み続けることこそが生の証明であり、

価値である。

 

我々がこの賭博場にいる限り、逃れられない宿命に挑み続けるのである。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。