諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え
思考するメロディウスである。
今回は
「MAESTRO」
を哲学的に考察していく。
- SEVENTEEN「MAESTRO」のMV
- 1. 序論:人生の指揮者としての自己
- 2. 自由意志と自己定義:サルトルの実存主義的に見る「MAESTRO」
- 3. 力への意志:ニーチェ的超克と運命愛
- 4. 自己実現と幸福:アリストテレスの倫理学からの考察
- 5. 結論:真の自由を得るための自己指揮者としての道
SEVENTEEN「MAESTRO」のMV
まずはSEVENTEENの「MAESTRO」の
music videoをご覧あれ。
1. 序論:人生の指揮者としての自己
諸君、SEVENTEENの「MAESTRO」は、
一見するとポップミュージックに
属する作品である。
しかし、その背後には
深い哲学的意味が潜んでいる。
この歌詞は、自己が如何に
人生を指揮する存在であり、
自らの運命の
作曲家であるかを描いている。
ここで我々は
「自由意志」「自己実現」
そして運命に対する
哲学的探求を始めるにあたって
この楽曲に注目することとしよう。
2. 自由意志と自己定義:サルトルの実存主義的に見る「MAESTRO」
まず、「自分が自分を導く」という
この楽曲の中心的なテーマは、
ジャン=ポール・サルトルが説いた
実存主義の核心に他ならない。
サルトルは、
我々人間がまず「存在」し、
次に自らの行為によって
「本質」を作り出す存在
であると主張した。
「MAESTRO」において歌詞は、
他者や外部の影響ではなく、
自らの意志と力で
人生を導く存在としての
自己を描いている。
ここで示される自由は、
選択の自由であり、
同時にその選択に
責任を負う自由でもある。
我々は何者かを待つのではなく、
自己の本質を自らの手で創造するのだ。
「人間はまず存在し、
その後に自らを定義するのだ。」
— ジャン=ポール・サルトル
サルトルの言葉を借りるならば、
「MAESTRO」における自己は、
自分自身を存在させ、
次に自らが望む方向へと指揮する存在である。
3. 力への意志:ニーチェ的超克と運命愛
次に、フリードリヒ・ニーチェの
思想に目を向けるべきであろう。
ニーチェは
「力への意志」と「運命愛 」
を提唱し、運命を受け入れ、
それを超克することが
人間の強さであると説いた。
「MAESTRO」の歌詞にも、
恐れを捨てて進む姿勢が
強調されているが、
これはまさにニーチェが語る
「超人」の理想に他ならない。
「運命を愛せ」という
ニーチェの教えは、
運命の不可避な困難を受け入れ、
それを自己の成長の一部として
肯定することを意味する。
この歌詞における自己は、
自らの力を信じ、運命を恐れず
前進する存在である。
自己の意志こそが運命を支配し、
自己を高める原動力となる。
「人は自らの運命に対して、
これを愛し、
これを超える意志を持つべきだ。」
— フリードリヒ・ニーチェ
このニーチェ的観点からすれば、
「MAESTRO」は自己の内に
秘めたる力を解き放ち、
運命に立ち向かう決意を示す楽曲である。
4. 自己実現と幸福:アリストテレスの倫理学からの考察
「幸福」と「自己実現」の概念は、
この歌詞のテーマと密接に関わる。
アリストテレスは、
人間の最も高次な目的は、
自己の潜在能力を
最大限に発揮することによって
達成される「幸福」にあると説いた。
この「自己実現」は、
我々が自らを導き、
自らの最高の可能性を
実現する過程に他ならない。
「MAESTRO」の歌詞は、
自己を信じ、自らの手で
人生を創り上げることを謳っている。
これは、アリストテレスが述べた
「活動的な幸福」
すなわち、自己の能力を
最大限に発揮することに他ならない。
我々は運命の
受動的な受け手ではなく、
創造者なのである。
「幸福とは、
自己の能力を最高の形で
発揮することである。」
— アリストテレス
ここでの「マエストロ」は、
音楽だけでなく
人生そのものを指揮し、
最高のハーモニーを奏でる存在として表現される。
5. 結論:真の自由を得るための自己指揮者としての道
結局、SEVENTEENの
「MAESTRO」は、
自己の自由意志、内なる力、
そして自己実現の過程を描く
壮大な哲学的旅である。
サルトルの「自由の刑」、
そしてアリストテレスの
「幸福としての自己実現」が、
この楽曲に流れる哲学的な主旋律を形成している。
自己は他者に従う存在ではなく
自らを導く指揮者である。
またMVにも登場するAIに負けず、
我々は各自が
人生のシンフォニーを指揮し、
その旋律を決定するのだ。
諸君、真の自由は、
自己を信じ、
自己を指揮する者にのみ
与えられるものである。
「自らを導く者こそ、真の自由を手にする。」
— プラトン
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。