音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】JO1/WHERE DO WE GO どこを目指して行くのか歌詞を紐解き曲の意味を哲学的に解説していく!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

JO1

WHERE DO WE GO

について哲学的に考察していく。

JO1「WHERE DO WE GO」MV

www.youtube.com

WHERE DO WE GOの歌詞

Where do we go

Hey, let me know

どこへ向かえばいいのだろう?

風に任せて

もっと色づく未来まで

Okay, 自分の Styleで切り開け

通り雨だって

(Falling on my way falling on my way)

TEkta5 Yeh yeh yeh yeh

堂々と歩き出そう口笛鳴らして

Where you wanna go, ho !

Ooh la la la la la la la la

Where do you wanna go?

La la la la la la la la

Where do you wanna go?

Step by step and Where do we go, woo

その両手を In pocket

Where do we go 

自由なMy soul 輝くさAIso

僕らが歩けばそこは Red carpet

Ya, ya

I'll take you there Come on, come on now

新たな世界 そうここが

Yeah,より一層輝こう 僕らのyeah

Jumpin', Alright! Move on, woo! !

ElENES Jacket

(I'm on my way I'm on my way)

着こなして

堂々と歩き出そう 口笛鳴らして

Where you wanna go, ho !

Ooh la la la la la la la la

Where do you wanna go?

La la la la la la la la

Where do you wanna go?

Step by step and Where do we go, woo

その両手を In pocket

Where do we go 

Ah, ah

Where do we go

Ah, ah

Where do we go

Ah,どんな道でも自分の色にして

Another way that we go

Alright, alright

Where do, where do Where do we go, woo

Ya, Where do we go Where do we go

(But I don't care) Hey, hey

Where do we go Where do we go

(As you wish, Go) Hey, hey

Ooh,顔上げて見た先逸らさず

La la la la la la la la

Way to go

1. 序論: 迷いと選択の哲学

この楽曲『Where Do We Go』

における問い、

「どこへ向かえばいいのだろう?」は、

まさに人間の存在の核心に触れる哲学的問題である。

 

この問いは、

古代ギリシャソクラテスが追い求めた

「我々は何を知っているのか?」

という認識論的な問題とも関連し、

またジャン=ポール・サルトル

存在主義における

「我々は自由の刑に処されている」という考えにも共鳴する。

 

我々は進むべき道を選ばざるを得ないが、

その道が正しいかどうかは常に不確定である。

 

2. 自由意志の象徴としての「道」

歌詞中の「Where do you wanna go?」

という問いかけは、

人間が持つ自由意志の象徴として捉えられる。

 

ここで思い出すべきは、

デカルト我思う、ゆえに我ありである。

 

デカルトは、

思考することこそが人間の本質であり、

その思考によって自由に選択する力を持つことを説いた。

 

すなわち、我々はどの道を選ぶか、

常に自らの意志で決められるということである。

 

しかし、その道が成功へと導くかどうかは分からない。

 

だからこそ、カントが

「意志の自由は道徳的必然性と結びついている」

と述べたように、

我々は道徳的な指針に基づいて選択を行うべきなのである。

 

3. 自己の確立: 「自分のStyleで切り開け」

「自分のStyleで切り開け」

という表現は、

自己の確立を求めるメッセージである。

これについては、

ニーチェの超人思想を思い起こすことができる。

 

ニーチェは、

「人間は自分自身を超える存在、

すなわち超人となるべきだ」と述べている。

 

これは他者や社会の期待に従うのではなく、

自己の内なる意志を持って

自らの道を切り開いていくということを示唆している。

 

JO1が歌うこの部分は、

まさにニーチェ的な自己実現の哲学を体現しているといえる。

 

4. 風に任せるという選択: 運命論 vs. 自由意志

「風に任せて」というフレーズは、

一見すると運命に

身を委ねるかのように思われるが、

これは実際には運命論と

自由意志の対立を示している。

 

ストア派の哲学者エピクテトス

「外的な出来事は

我々のコントロールの外にあるが、

それにどう反応するかは我々次第である」と述べた。

 

この見解は、たとえ外部の状況が

我々に影響を与えたとしても、

その中で自由に選択することが可能であるという、

自由意志の存在を支持している。

 

この楽曲における「風に任せる」は、

単なる運命への降伏ではなく、

運命を受け入れつつも自らの選択を行うという

主体的な姿勢を象徴している。

 

5. 「Red Carpet」と理想世界への旅路

「僕らが歩けばそこはRed Carpet」

という歌詞は、

理想の世界や成功を象徴する。

 

この「Red Carpet」は

プラトンイデア論における

理想の世界を連想させる。

 

プラトンによれば、

我々が感覚で捉える現実は、

イデアという完璧な形の不完全な写しである。

 

Red Carpetは、我々が到達すべき

理想的な世界や状態の象徴であり、

それは努力によって達成されるものである。

 

この点で、JO1の楽曲は、

理想へ向かって前進する力強いメッセージを伝えている。

 

6. 結論: 我々の進むべき道とは何か

最終的に、この楽曲が問いかける

「Where do we go?」は、

個人の選択や自由意志だけでなく、

集団としての方向性をも意味している。

 

アリストテレス

「人間は社会的動物である」と述べ、

個人の幸福は他者との関わりにおいて成り立つと説いた。

 

この楽曲もまた、

我々がどこへ行くべきかという問いに対し、

個人だけでなく社会全体としての進むべき道を示唆していると解釈できる。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。