諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
について哲学的に考察していく。
- 超特急「AwA AwA」MV
- AwA AwAの歌詞
- 序論 遊戯としての人生―音楽と哲学の交錯点
- 第一章 無理ゲーの世界―不確実性の受容と開き直り
- 第二章 サイコロと選択の倫理―運命と自由意思のはざまで
- 第三章 泡の瞬間と生の儚さ―時間の哲学
- 第四章 「俺のターン」を待つ者―人生の戦略と再起
- 結論 「今」という瞬間を踊る―遊びの精神と生きる歓び
超特急「AwA AwA」MV
AwA AwAの歌詞
Hah
手札並べて 握る汗
ディスプレーとにらめっこして
窓開けてみりゃ
空は晴れ外に出れば
雨に降られ
人生こそ無理ゲー
現状ひっくり返せ yeah
パーティーはこれからだって
開き直れ
Ahh やり直したい
「リセットボタンがあったらな」って
よく言うね
腐らずに笑おうぜ
サイコロ振って
さあ出た目の方へ
暗い長いトンネルを抜けるのさ
ああやっとさー、
やっとさー、
やっとやっとー、
やっとさー、
やっとさー、
やっとやっとやっとさー、
誰も彼も集まれ
とにもかくにも騒げようやく来た俺のターン
「まあ、かっこつけさせてよ」
「せーの」
AWA
Our Hour が始まれば
AWA
| wanna楽しまなくちゃ
バブルに乗っていけ
天まで飛んでいけ
死ぬまで遊ばにゃ損損 Song
AWA AWA
泡みたいな瞬間(いま)
AWA AWA
Ima 弾けるまで
Everybody dance dance dance
Let's play a game game game
死ぬまで踊らにゃ損損 Song
Hey, are you ready?
ガイドブック
Lookより Go in
Hey, do you copy?
ずっと待ってばっかより Join
トランプ、チェス、
オセロ、将棋、
Eeny, Meeny, Miny, Moe
脳内にドーパミン
Good luck
"It's AWA OUR HOUR"
「せーの」
AWA
Our Hour が始まれば
AWA
I wanna楽しまなくちゃ
バブルに乗っていけ
天まで飛んでいけ
死ぬまで遊ばにゃ損損 Song
AWA AWA
泡みたいな瞬間(いま)
AWA AwA
Ima 弾けるまで
Everybody dance dance dance
Let's play a game game game
死ぬまで踊らにゃ損損 Song
I know I know
一度きりのライフ
笑ったって 泣いていたって
平等に時は過ぎる
Why not why not
冒険始めようか (Right now)
難攻不落のこの毎日を攻略しに
行こうじゃない
「よし!
ちょ、今から本気出して行くわ」
「せーの」
AWA
Our Hour が始まれば
AWA
I wanna楽しまなくちゃ
バブルに乗っていけ
天まで飛んでいけ
死ぬまで遊ばにゃ損損 Song
AWA AWA
泡みたいな瞬間(いま)
AWA AWA
Ima 弾けるまで
Everybody dance dance dance
Let's play a game game game
死ぬまで踊らにゃ損損 Song
To be continued...
序論 遊戯としての人生―音楽と哲学の交錯点
音楽は単なる娯楽を超えて、
人生のメタファーとして表現される。
人間の営みを「ゲーム」や
「サイコロ」に例えたこの歌は、
我々に不確実性の中で
どのように生き抜くべきかを問いかけている。
ここでは、哲学者たちの
視点を借りながら、
歌詞の持つ深層を探求し、
人生を「無理ゲー」としても
楽しむ術を見出そう。
ニーチェの「運命を愛せよ」という
教えのように、
混沌とした世界を積極的に肯定する姿勢が、
この歌の核心にある。
第一章 無理ゲーの世界―不確実性の受容と開き直り
「現実は常に我々の期待を裏切る」
「人生こそ無理ゲー」
という一節は、
私たちの生の本質を端的に示している。
窓を開けたときに晴れている空も、
外に出れば雨に降られる
ここには、世界が我々の意志や
計画に従わないことが暗示されている。
このような状況は、
カントが指摘した
「理性」と「現実」の間の
ギャップを思い起こさせる。
理性は秩序を求めるが、
現実は常にそれを裏切るのだ。
しかし、「開き直れ」という
言葉に見られる態度は、
『シジフォスの神話』で語った
「不条理への反逆」を想起させる。
不確実性の中で
人間は立ち止まるのではなく、
現状を「ひっくり返す」ことを
志向するのだ。
シジフォスが永遠に
岩を押し続けるように、
我々もまた、失敗や挫折を
繰り返しながら
「パーティーはこれからだ」と宣言する。
第二章 サイコロと選択の倫理―運命と自由意思のはざまで
「神はサイコロを振らない」
―アルベルト・アインシュタイン
「だが人間は、運命に
導かれながらもサイコロを振る」
―マルティン・ハイデガー
歌詞の中で
「サイコロを振って、さあ出た目の方へ」
と語られるように、
人生は常に偶然と選択の連続である。
ここには、運命と自由意思の
関係が浮かび上がる。
自由意思を完全に
信じることはできないが、
それでも我々は
「リセットボタンがあったらな」
と願いながら、
新しい選択をし続ける存在だ。
「人間は投げ出された存在」
と述べたが、
我々は自分で選んだわけではない
状況に投げ込まれ、
それでも「サイコロを振る」ことを
強いられる。
偶然の目を受け入れながらも、
それに振り回されるのではなく、
意図的な選択を重ねていくことで、
我々は自らの人生を攻略していくのだ。
第三章 泡の瞬間と生の儚さ―時間の哲学
「時間は我々を待たず、そして二度と戻らない」
―ヘラクレイトス
「泡みたいな瞬間(いま)」
というフレーズは、
儚く消えゆく時間の性質を
美しく象徴している。
ヘラクレイトスが言うように、
我々は同じ川に
二度と入ることはできない。
それゆえ、いま弾ける
「瞬間」をどう楽しむかが重要となる。
さらに、「I know I know /
一度きりのライフ」という歌詞は、
人生の有限性を意識することの
重要性を訴えている。
ここに、フリードリヒ・ニーチェの
「永劫回帰」の思想が響く
たとえ一度きりの瞬間であっても、
それを無限に繰り返すかの
ごとく肯定し、生き抜くことが求められている。
第四章 「俺のターン」を待つ者―人生の戦略と再起
「敗北から学ぶ者は、勝利を手にする」
「やっと来た俺のターン」
という言葉には、
チャンスの到来を待ち望む
心情が表れている。
この言葉は、どれほど長いトンネルを
抜けなければならなくても、
最終的に自分の番が来ることを
信じる楽観主義を表現している。
敗北や挫折を通じて学ぶことで、
人は次のターンに備えることができる。
「まぁ、かっこつけさせてよ」と語る
主人公の態度には、
自分の不完全さを認めながらも、
人生を楽しむ余裕が漂っている。
結論 「今」という瞬間を踊る―遊びの精神と生きる歓び
人生を一つのゲームとして捉え、
その中でどのように生きるべきかを示唆する。
哲学者たちの教えを借りれば、
不確実性を恐れず、偶然を受け入れ、
今という瞬間を全力で楽しむことこそが、
最も賢明な生き方である。
語ったように、人間は遊ぶ存在であり、
その遊びの中にこそ真実があるのだ。
「死ぬまで遊ばにゃ損損 Song」
という言葉は、
この遊戯精神を最も端的に表している。
たとえ人生が不条理であっても、
我々は自分のターンを待ち、
サイコロを振り、
そして泡のように消える瞬間を踊り続ける。
人生は「To be continued…」であり、
だからこそ、その続きを楽しみにしよう。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。