音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】tuki./愛の賞味期限 歌詞中のコンビニエンスや冷蔵庫の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

tuki.

愛の賞味期限

を哲学的に解説していく

tuki.「愛の賞味期限」MV

www.youtube.com

「愛の賞味期限」歌詞

TikTokばっか見てんじゃないよ

一発二発殴ってやんよ

安心しないでね

傍にいると

インスタグラム

ストーリーもいいよ

見るのは後で一人でいいよ

目の前にいるじゃないか

コンビニエンス

欲しくなったときだけ

呼ばないでね

抱きしめて

愛が賞味期限切れになる

冷蔵庫の中で眠るように

触れてよ

愛が廃棄処分になるのは私じゃない

貴方かもね

ばいばい

金木犀が熟れる季節を過ごした

去年が凄く遠いよ

安心しちゃうよね

傍に居ると

ぬるくなったサイダーはいいよ

触って 惰性 後味悪いよ

目の前で吸わないでよ

コンビニエンス

値引きされた愛で壊れちゃいそうだよ

抱きしめて

愛が賞味期限切れになる

冷蔵庫の中で眠るように

触れてよ

愛が廃棄処分になるのは私じゃない

貴方だよね

昨日は昨日の愛だからさ

今日何もくれないならお腹がすくわ

貴方は知らないようだからさ

教えといてあげる

愛は生き物なの

気付いて

愛が賞味期限切れになる

少し離れて今日は眠るから

さよなら

愛が廃棄処分になるのはままならない

勿体ないなぁ

抱きしめて

愛が消費期限切れになる

冷蔵庫の中で眠るように

触れてよ

愛が廃棄処分になるのは私じゃない

貴方だよね

ばいばい

1. 序論

愛は、永遠を求める一方で、

現代社会においては消費され、

消耗するものとして描かれる。

 

tuki.の「愛の賞味期限」という

タイトルが示すように、

愛はあたかも食材のように期限があり、

その期限が過ぎると廃棄される運命にある。

 

ショーペンハウアーが言うように、

「愛は意志の表現である」 。

しかし、現代の消費社会においては、

その意志もまた一時的なものとして取引される。

 

2. 愛とコンビニエンス:現代的消費の視点

2.1 愛の即時性と利便性

tuki.の歌詞において

「コンビニエンス」は、

愛の利便性を象徴している。

 

欲しいときだけ

呼び出される愛、消費される愛は、

フロムの言う「商品化された愛」に通じる。

 

フロムは『愛するということ』の中で、

「現代における愛は、

商品と同じく供給と需要の原則に基づいている」

と指摘している 。

 

消費者としての私たちは、

愛を得るために短期的な満足を求め、

その結果、愛は使い捨てられる。

 

2.2 ハイデガーの「道具性」から見る愛の消耗
ハイデガーの「存在と時間」において、

物は道具として捉えられるとき、

その存在は「使い古される」。

 

愛もまた、コンビニエンス的に消費されると、

やがてその存在が薄まり、賞味期限を迎えることとなる。

 

3. 愛の廃棄処分と存在論的虚無

3.1 サルトルの「実存は本質に先立つ」

愛の本質は変わりゆくものか

サルトル実存主義では、

存在が先にあり、

本質は後から形成されるとする。

 

同様に、愛もまた、

その本質は状況や時間によって変化する。

 

歌詞にある

「愛が廃棄処分になるのは私じゃない、貴方だよね」

という言葉は、他者の視点から見た愛の本質の変化を表している。

 

3.2 ベルクソンの「持続」概念:愛の時間性を考える

ベルクソンは、

時間を「持続」として捉え、

その中で経験が絶えず変化することを強調した。

 

愛もまた、

一瞬一瞬で変化し続ける存在であり、

その「持続」の中で賞味期限が訪れる。

 

歌詞に描かれるように、

愛が徐々に冷め、

やがて「賞味期限切れ」になるのは、

この持続の中で避けられない運命なのかもしれない。

 

4. 愛の本質:冷蔵庫の中で眠る存在

4.1 ハイデガーと「世界内存在」:冷蔵庫としての愛

歌詞の中で「冷蔵庫の中で眠る愛」

と表現されているのは、

ハイデガー「世界内存在」に照らして理解できる。

 

愛は、他者との関係性の中で存在するが、

その存在が冷蔵庫の中に置かれることで、

他者との関係が一時的に遮断される。

 

この状態は、愛の「忘却」や「凍結」を象徴している。

 

4.2 愛の冷却:感情と経験の薄まり

冷蔵庫の中で眠る愛は、

徐々に感情が冷め、

経験が薄まっていくことを示唆している。

 

これは、愛が時間と共に消耗し、

かつての鮮烈な感情が薄れていくプロセスである。

 

5. 結論

5.1 愛の賞味期限は延ばせるか

哲学的には、

愛の賞味期限を延ばすことは

不可能かもしれない。

 

しかし、ニーチェが言うように、

「生は意志の力によって超越される」

 

同様に、愛もまた、

単なる消費されるものとしてではなく、

意志と努力によって再び燃え上がる可能性がある。

 

5.2 哲学的省察による愛の再定義

tuki.の「愛の賞味期限」は、

現代社会の愛の姿を描きつつ、

哲学的に愛の本質を問い直す契機となる。

 

この歌詞を通じて、

私たちは愛を一過性のものとしてではなく、

時間と共に変化し続けるものとして再定義する必要がある。

 

愛は生き物であり、

それを維持するには意志と関与が不可欠である。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。