音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【考察】IMP./BAM-BOO 竹をイメージし1位を目指す曲の歌詞の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

IMP.
BAM-BOO

について哲学的に考察していく。

IMP.「BAM-BOO」MV

www.youtube.com

BAM-BOOの歌詞

IMP.
想像軽く超えて
Next level 
Different Colors 交わる
IMP.
Neo JP 
icon's gonna make you
Wanna say 
Oh wow!
IMP is gonna rock 
We run to the top
Can't take us down 
Brah
ブレない絆 
Just trust and love
Get the brand new crown
まだ序章始まったばっかの
このRace
TOKYOから
根を張り存在で証明
数字の "1"のように
天高く伸びる
深く根を張るThere is no trick

このStreetのCornerきり
ジェットコースターばり
Speed出し Barricade突破
Critical立て続けにHit!
PINKY. から
Catch するBlessing
BOOM... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala lya 
Alright
Lalala lya 
Alright
BOOM... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala I Lala 
Alright
Lalalala
Feeling-feeling kinda 
right-right
We'll be like 
太陽に向け羽を伸ばす
ジリジリ燃える
ギリギリのRace
イカロスと違う翼は溶けず
FLY!
Pump ya fist and 
scream'n shout
LifeはいつもNo rehearsal
シリアス飛ばすCBR 
VROOM
Fast and Furious 
信じ合うCruise
竹頭木屑位をやらねば!
チャンス飛ばすぜ
愚のパラメータ
宙に伸ばすぜ桿と節 Get up!
風で柔軟になびく
枝葉張り巡るRoot
Uh 無限の螺旋フィボナッチ
回転しながら
上がっていく彼方に
Hoo
Yeah 刻み込む身体に
竹帛之功残そう新たに!
We go like this
BOOM... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala lya 
Alright
Lalala lya 
Alright
BOOM... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala I Lala 
Alright
Lalalala
We go like this
BOO... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala lya 
Alright
Lalala lya 
Alright
BOOM... BAM-BOO!
Everybody say
Lalala I Lala 
Alright
Lalalala

 

序論 竹とアイデンティティの融合

「BAM-BOO」という

タイトルが示す竹は、

成長としなやかさの象徴である。

 

竹は根を深く張り、

嵐に倒れず、天高く伸びる。

 

この曲は、

竹のように変幻自在な強さと、

「自らの存在で証明する」ことの

意志を歌い上げる。

 

サルトルの言葉を借りれば、

「人間は、自分が選んだ姿でしか存在しない」

(『存在と無』)という

自由への決意がここに見える。

 

第一章 成長と根—存在の証明

「数字の ‘1’ のように天高く伸びる/

深く根を張る There is no trick

 

このフレーズは、

個人や集団の成長が単なる結果でなく、

努力と基盤に根ざすことを示唆している。

 

根を深く張ることは、

ニーチェが語る「大地への忠誠」と通じる。

 

ニーチェ「飛翔する者は、

まず地に根を張ることを学ばなければならない」

(『ツァラトゥストラ』)と述べるように、

成長は確固たる土台を必要とする。

 

第二章 「スピード」と「突破」:生のリズムと偶然性

「ジェットコースターばり Speed出し Barricade突破」

 

現代社会のリズムは速く、

障害は連続的に現れる。

 

ここでは、

ハイデガー「存在の瞬間性」が連想される。

 

「世界はつねに今としてわれわれに開かれる」

(『存在と時間』)という言葉が示すように、

スピードの中で立ち現れる瞬間を捉え、

生きることが求められる。

 

第三章 翼の寓話:イカロスを超える自由

イカロスと違う翼は溶けず(FLY!)」

 

ここで語られるのは、

神話のイカロスが失敗した

高みへの挑戦を超えた新たな自由の形である。

 

カントの

「自由とは、自律を通じた自己の規定」

(『実践理性批判』)という視点が合致する。

 

新しい翼は、無謀ではなく、

自らの規範に従った挑戦を象徴している。

 

第四章  「竹頭木屑」の哲学:不可能への挑戦

「竹頭木屑位をやらねば!」

 

この表現は、

結果が無価値であるかに見える行為にすら

意味を見出そうとする挑戦の哲学である。

 

カミュの「シーシュポスの神話」に見られるように、

「不条理な世界で、努力そのものに充足を見出す」

という姿勢がここに映る。

 

第五章 回転する螺旋:無限と成長のフィボナッチ

「無限の螺旋フィボナッチ/

回転しながら上がっていく彼方に」

 

螺旋は単なる循環ではなく、

上昇し続ける成長のメタファーである。

 

ここでは、ヘーゲル弁証法が示す

「自己否定を通じた前進」が読み取れる。

 

進むごとに新たな課題に直面し、

それを乗り越えることで

さらなる高みへと向かうのだ。

 

結論 刻まれる栄誉、そして次のステージ

「竹帛之功残そう新たに!」

 

この一節は、栄誉を単なる

過去の遺産とせず、

未来への足跡として刻むという意志を示す。

 

ハイデガー「存在とは、可能性としての未来である」

と述べたように、

真の栄誉は常に未来を見据えた行動の中にある。

 

終わりに 竹の精神と共に進む旅

『BAM-BOO』は、

竹のように柔軟でありながら力強く、

速さと挑戦を追い求める人生の姿を描いている。

 

曲全体を通して、

哲学者たちの言葉が重なり合い、

成長、自由、挑戦の旅が歌い上げられている。

 

この旅は、単なるレースではなく、

存在そのものを証明する道のりである。

 

そしてその先には、

新たな「竹帛之功」が刻まれるだろう。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。