音楽に哲学を

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【歌詞考察】平井大/幸せのレシピ この曲の意味とは?アニメ 薬屋のひとりごと第2クールのエンディングの言葉について哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

平井大
幸せのレシピ

について哲学的に考察していく。


 

平井大幸せのレシピ」MV

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幸せのレシピの歌詞

なぜか「キミ」にだけ「ボク」が伝わらない
募れば募るほどに苦しくなるよ
“良薬は苦し”なんて笑って言っていたけど
今更わかった
悪い夢なら醒めてと願う日も誰にも言えない秘密も
掛け違えたボタンもあの夜も
幸せのレシピかもね
例えば「ボク」がボクじゃなければ
「キミ」がキミじゃなければ…
なんででも記憶の一つ一つが「キミ」を呼ぶんだ
閉ざしていた日々と鎖していたココロ
魔法みたいに溶かしてく
いろんな「キミ」がいる
この世界が結局ほら、好きなんだ。
なぜか「ボク」にだけ「キミ」がわからない
知ろうとすればするだけ難しいのさ
“案ずるより…”
なんてわかっているつもりだけど
今更言えない
態度の割に繊細なことも
口は悪いけど優しいとこも
照れ隠しのトゲも正義感も
キミだけのレシピなんだ
例えば「ここ」がここじゃなければ
「今」が今じゃなければ…
出会えてないそう想えばなんか
悪くはないな
閉ざしていた過去と鎖していた明日を
魔法みたいに繋いでく
幸せのレシピが溢れる世界がとっても
ほら、好きなんだ。


序論

 

今日もまた一つの
歌詞について
語り合いたいと思うんだ。

この歌詞は平井大
幸せのレシピ」という曲で、
アニメ『薬屋のひとりごと』の
エンディングテーマでもある。

この歌詞、
なんだか不思議なんだ。

「ボク」と「キミ」という
二人の存在を中心にして、
言葉にしきれない感情や
関係性が描かれているように思う。

でも、それが
どういう意味を持つのか、
僕にはまだ曖昧なんだ。

なるほど、少年。
確かにこの歌詞は、
一見するとシンプルな
ラブソングのようでありながら、
その内には非常に
哲学的なテーマが潜んでいる。

私たちの議論の冒頭として、
一つ重要な視点を挙げよう。

それは、この歌詞全体が
「幸福とは何か」を
問いかけているということだ。

そして、その幸福の在り方が、
個々の「ボク」と「キミ」という
視点を通じて探求されている。

まずは序論として、
この歌詞が描く世界観を
整理してみよう。


 

幸福の本質を問う詩的表現

 

歌詞の中で頻繁に登場する
「ボク」と「キミ」という
言葉は、単なる一人称と
二人称ではないように思える。

特に、「キミ」を
理解しようとする
「ボク」の葛藤や、
「キミ」だけの
特別なレシピがある
という言葉から、
それぞれの存在が
独自の意味を
持っていることがわかる。

でも、それは
一体どういうことなんだろう。

「ボク」と「キミ」というのは、
それぞれが自分自身の
内面と他者との関係性を
象徴していると考えられる。

「ボク」が自らを
理解しようとする過程で
「キミ」を知り、
「キミ」の中に自分を
映し出すように見える。

歌詞が示す
幸せのレシピ」とは、
単なる自己充足ではなく、
他者との関わりの中で
生成される
幸福だといえるだろう。

このテーマを軸に、
次章では具体的な
歌詞の部分を掘り下げて
考えてみよう。


 

「ボク」と「キミ」の関係性の探求

 

歌詞の冒頭部分、
「なぜか『キミ』にだけ
『ボク』が伝わらない」
というフレーズが気になる。

言葉にしても
伝わらないもどかしさが
ある一方で、
「募れば募るほどに苦しくなる」
とある。

この感情って、
他者との関係性において
避けられないものなのかな。

まさにその通りだ、少年。
この部分は
「他者の理解不可能性」を
描いている。

私たちは他者を完全に
理解することはできない。
しかし、この不完全さこそが、
関係性を深める
原動力になり得るのだ。

「良薬は苦し」とあるように、
理解できない
もどかしさや苦しみこそが、
人間関係の成長をもたらす
鍵なのかもしれない。

 

じゃあ、
「悪い夢なら醒めてと
願う日も誰にも言えない秘密も」
というのはどうだろう。

ここには、他者に伝えられない
孤独が描かれているように
思えるけど、
それも幸福の
一部だというのかな?

その通りだ。
この歌詞では、
「秘密」や「掛け違えたボタン」という、

完璧でない瞬間も
幸せのレシピ」の
一部として描かれている。

幸福とは、理想的で
完全な状態を指すものではなく、
不完全なままの
自己と他者との交わりの中に
見出されるものだ。

つまり、「ボク」と「キミ」の
間にある誤解や苦しみも、
幸福を形作る要素なのだ。


 

時間と記憶が織りなす幸福のレシピ

 

次に、「例えば『ボク』が
ボクじゃなければ
『キミ』がキミじゃなければ…」
という部分について考えたい。

このフレーズは、
偶然の出会いや
存在そのものが
幸福の前提条件だと
示しているように感じる。

素晴らしい着眼点だ。
この部分は、「存在の必然性」を
問いかけているといえる。

「ボク」と「キミ」が
それぞれ独自の存在であること、
そしてその偶然的な出会いが
幸福を生む。

ここで重要なのは、
「記憶の一つ一つが
『キミ』を呼ぶ」
という表現だ。

記憶とは、
過去の出来事の蓄積であり、
それが現在の幸福を
形作る基盤となる。

歌詞が示唆するのは、
幸福が瞬間的な感情ではなく、
時間と記憶が
紡ぎ出す物語
そのものだということだ。

 

じゃあ、
「閉ざしていた日々と
鎖していたココロを
魔法みたいに溶かしてく」
というのはどうだろう。

これは過去の苦しみが
解放される瞬間のように感じる。

その通りだ、少年。

この歌詞は、
過去の痛みや閉ざされた心が
「キミ」との関係を
通じて解放され、
幸福へと変容する様子を
描いている。

幸福とは、
単に「いいこと」
だけではなく、
過去の傷や苦しみを
乗り越えるプロセスでもあるのだ。


 

幸福のレシピとは何か

 

最後に、
幸せのレシピ
溢れる世界がとってもほら、
好きなんだ」
というフレーズに戻りたい。

この結論部分は、
歌詞全体の
まとめのように思えるけど、
どういう意味を持つのだろう。

このフレーズは、
個別の要素だけではなく、
全体の調和が幸福を
形作るという
真理を示している。

つまり、すべての出来事、
苦しみも喜びも、
「キミ」という
他者との関係の中で
意味を持ち、
それが最終的に
幸せのレシピ」として
完成される。

歌詞全体を通じて
描かれるのは、
幸福が他者との関係性、
時間の流れ、
そして過去と現在の
繋がりから生まれるもので
あるということだ。