音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】amazarashi(アマザラシ)/痛覚 この曲の意味とは?青の祓魔師 終夜篇アニメ主題歌(OP)の言葉について哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

amazarashi
痛覚

について哲学的に考察していく。


 

amazarashi「痛覚」MV

www.youtube.com

 

痛覚の歌詞

冷え冷えと蒼める夜に
僕ら凍えて灯火探した
信じてきたことが
全部嘘だとしたら存在意義が揺らぐ
そんな気がしたんだ
だけど成したことと成せなかった事実に
仄かな動機が宿る
それを信じるよ
悲劇の始まりだとしても
僕は何度でも君を選ぶ
疑うことが僕らを引き裂いたから
片っぽに互いの約束、
結わえて ほどけない手と手、結び目
誰かの願いの下に産れたんだ
それなら生きとし
生けるものに備わる痛覚が愛って
知りながら僕は痛む君の笑みの名残
明日の轍に降り積む
頬の熱で溶ける
ささめ雪の雫こんな僕にも未だ生命の灯
がくすぶる
行くあてもないとかじかむ虚ろに
住まう暖に集う人
温もりがあれば
悲劇の始まりだとしても
僕は何度でも今日を選ぶ
恐れることが誰かを傷つけたから
悲劇の始まりだとしても
僕は何度でも今日を選ぶ
恐れることが誰かを傷つけたから
片っぽに互いの約束、
結わえてほどけない手と手、結び目
誰かの願いの下に産れたんだ
それなら生きとし
生けるものに備わる痛覚が愛って
知りながら僕は痛む君の笑みの名残
明日の轍に降り積む
生まれなきゃよかったと嘆く
闇照らす明かり
失うこと損なうこと後悔こそ僕をいざなう
冷え冷えと蒼める夜に
僕ら互いに灯火見つけた
片っぽに互いの約束、
結わえて ほどけない手と手、結び目
誰かの願いの下に産れたんだ
それなら生きとし
生けるものに備わる痛覚が愛って
知りながら僕は痛む君の笑みの名残
明日の轍に降り積む


序論

 

冷え冷えと蒼める夜、
という言葉から
始まるこの歌詞には、
僕たちの生きる
現実そのものが
凝縮されているように思う。

凍える夜に灯火を
探し続ける姿、
それはまるで
意味を求めてさまよう
僕たち自身の姿だと思わない?

この歌は、僕たちが
存在意義を問う旅路に
どんな問いや答えが
隠されているのか、
そういう視点で
語りかけてくるように感じる。

君の指摘は鋭いな、少年。
この歌詞の
冒頭部分は確かに、
人が何かを求めて
さまよう姿を象徴している。

しかし、この歌詞は
単に彷徨うだけではなく、
その中で「信じてきたことが
全部嘘だったら」という
根本的な疑念に触れる。

信仰や希望、それらが
崩れる瞬間、
人はどうやって生きる理由を
見出すのか。

それをこの歌は
深く掘り下げている。
では、その探求を一緒に始めてみよう。


 

疑念と存在意義の揺らぎ

 

「信じてきたことが
全部嘘だとしたら
存在意義が揺らぐ」
という歌詞は、
人間の心の弱さを
鋭く突いているよね。

誰かに教えられた
「正しさ」や「信念」によって
僕たちは生きているけど、
それがある日突然崩れたら、
僕らはどうなるんだろう。

存在意義の揺らぎは
僕たちの根本を
覆してしまうようなものだよ。

確かに、少年。
しかし、存在意義が
揺らぐという感覚は
恐ろしいものであると同時に、
ある種の自由でもあるのでは
ないだろうか。

この歌詞に続く部分、
「だけど成したことと
成せなかった事実に
仄かな動機が宿る」
とあるように、
揺らぎの中でも人は
意味を見出そうとする。

それは過去の自分が
「成し遂げたこと」と
「成し遂げられなかったこと」
という、いわば人生の残像を通じて
新しい意義を見つける試みだ。

つまり、疑念は
破壊だけでなく
再生の契機ともなる。


 

痛覚としての愛

 

この歌詞の中で
特に心に刺さるのは
「痛覚が愛だって知りながら」
という部分なんだ。

愛というと
温かいものだと
思いがちだけど、
この歌詞は「痛覚」と
結びつけている。

痛みを伴わない
愛なんて存在しないのかな?

非常に重要な問いだね、少年。
確かに、この歌詞では
「痛覚」と「愛」が
深く結びついている。

そしてそれは、
生命の本質にも
通じていると思う。

愛とは単なる喜びや
安らぎではなく、
痛みを伴うものであり、
その痛みを通じて
他者と繋がるものだと。

この歌詞の
「誰かの願いの下に産れたんだ」
という部分は、
人間がその存在自体で
誰かと繋がっていることを示している。

愛とは、痛みを受け入れ、
その中で自分と他者を
繋げる感覚なのかもしれない。

 

じゃあ、痛みを伴う愛を
知りながら、
それでも愛することを
選ぶってこと?

それって、
悲劇の始まりだとしても
「今日を選ぶ」という
選択に繋がるのかな。

その通りだ、少年。
痛みを伴う
選択であったとしても、
人は「今日を選ぶ」。

つまり、生きること
そのものを選び続けるのだ。

この歌詞が
示唆しているのは、
恐れや疑念が人を
傷つけることを知りながら、
それでも愛し、信じ、
生きるという選択だ。


 

結び目としての約束

 

「片っぽに互いの約束、
結わえて ほどけない手と手、
結び目」という
部分も印象的だよね。

この約束って、
ただの言葉じゃなくて、
僕たちの存在そのものが
互いに繋がっているってことを
意味してるんじゃないかな。

鋭い解釈だね、少年。
結び目としての約束は、
互いの存在が
分離できないことを
象徴しているように思える。

人間は孤立した存在ではなく、
誰かの願いや想いによって
繋がっている。

この結び目が
ほどけない限り、
たとえ悲劇が起ころうとも、
人は生き続ける理由を
見出せる。

それは、互いの痛みを
分かち合いながら
歩むことでもあるんだ。

 

つまり、この約束や結び目が、
人間に「冷え冷えと蒼める夜」に
灯火を見つけさせるんだね。


 

結論 痛みの中に宿る希望

そうだ、少年。
この歌詞全体を通じて
浮かび上がるテーマは、
痛みと希望の共存だ。

痛みは確かに
苦しいものだが、
それを通じて
人は他者と繋がり、
生きる理由を見つける。

そして、その過程で
「今日を選ぶ」決意を繰り返す。

 

そう考えると、
この歌詞は単なる
悲劇ではなく、
生きるための
強いメッセージだね。

僕たちは傷つき、
揺らぎながらも、
それでも灯火を探し続ける。

その過程そのものが、
存在意義を形作るんだ。

まさにその通りだ、少年。
この歌詞が問いかけるのは、
「悲劇の始まり」ではなく、
その先に続く「生きる」という
選択の物語だ。

僕たちは痛みを抱えながらも、
その中に宿る愛と
希望を信じて歩み続ける。

歌詞の最後に
灯火を見つけた二人のように、
僕たちもまた冷え冷えと
蒼める夜を越えていくのだよ。