諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
TK from 凛として時雨
UN-APEX
について哲学的に考察していく。
UN-APEXのMV
UN-APEXの歌詞
人類史上最低の僕のおでましだ
底辺から見える頂点の味を占めたい
パッとしないスキル パッとしない顔
BADtSituation
ハッとしないスキーム MADな快感
Hacking My 脳内脱ぎ捨てる
Sorry Sorry 君達置いて行くね
Solo Solo Leveling 超越しちゃう?
Good bye my weakness, drive my world
誰も触れないくらい 無限の革命Hunting
Hello, my braveness, rise and burst
S級のRescue 捧げよう
君を守れるなら
最低傑作降臨
「最強の俺」It's my calling
人類史上最低の僕にお別れさ
頂点から見える底辺の血を眺めたい
パッとしないスキルパッとしない顔
BADE Vibration
ハッとしないスキーム MADな快感
「H(-2)acking My 脳内」
吐き捨てる
吐き気がしちゃう
Give me Give me Leveling
Give me gimmick Amazing
ぎりぎり Surviving?最強駄作降臨
Sorry Sorry
道を開けてくれ
至れり尽くせり
負遺産delete
Sorry Sorry 君達置いて行くね
そろそろ全部帳消ししちゃう?
Good bye my weakness, drive my world
絶と失が僅かな望 奪いに来ても
Hello, my braveness, rise and burst
闇に倒れそうでも君を守れるから
最低傑作降臨臆病な僕は殺した
「絶」「失」「希」×望さあ今日の限界狩れ
序論
この歌詞、
どこか矛盾だらけの
ようでいて、
内側に一貫性を感じる。
人類史上最低と呼ばれる
自分を卑下しつつ、
そこからの脱却を
目指しているように
見えるけど、
本当の意味での「頂点」とは
何なんだろう?
ただの自己超越なのか、
それとも他者との
関係性の中で見出される何か?
面白い視点だ。
歌詞全体が矛盾や
葛藤に満ちているようで、
それこそが
この曲の本質だと言える。
自己否定と自己肯定、
破壊と創造、弱さと強さ。
この二項対立が交錯する中で、
「最低傑作」と「最強の俺」
という言葉が象徴的に立ち上がる。
私たちはこれを
どう解釈すべきか、
第1章から探ってみよう。
自己否定と自己肯定のダイナミクス
歌詞の冒頭、
人類史上最低の僕
とあるけど、
これはただの
自虐じゃないと思う。
むしろ、この
「最低」という言葉は、
一種のゼロ地点の宣言だ。
全てを底辺から
再構築しようという
意志があるように感じる。
その通りだ。
ゼロ地点という言葉には、
「始まり」としての
意味がある。
ここで面白いのは、
「底辺から見える
頂点の味を占めたい」
という表現。
自己否定が自己肯定へ
向かう矢印を作り出している。
この矢印こそが、
歌詞全体の原動力だと
私は思う。
だが、それは単なる
直線的な成長ではない。
つまり、自己否定が
自己肯定へと
簡単に変わるわけじゃなくて、
その過程で
「BAD Situation」や
「MADな快感」といった
複雑な感情が絡んでくると?
そうだ。
「最低」から「最強」へと
至る道筋は、痛みや矛盾、
そして時に自嘲を含む。
それが「Hacking My
脳内脱ぎ捨てる」という
表現に現れている。
既存の自分を壊し、
超越するためのプロセスだ。
強さと弱さの反転
次に、
「Good bye my weakness,
drive my world」
の部分に注目したい。
ここでの「weakness」は、
単なる弱点ではなく、
むしろ過去の
自分そのものを
指しているのかもしれない。
でも、弱さを捨てることで、
本当に強くなれるのかな?
興味深い問いだ。
歌詞全体を見れば、
この「弱さ」は
否定されるべきものではなく、
むしろ受け入れ、
乗り越えるべきものとして
描かれている。
だからこそ、
「弱さ」への別れが
「無限の革命」を生む。
「弱さ」を捨てるというより、
それを起点に変容するのだ。
つまり、「君を守れるなら」
という一節もそうだね。
ここでは強さが
自己中心的なものではなく、
他者との関係性の中で
定義されている。
守りたい誰かが
いるからこそ、
弱さを超越しようとする。
まさにそうだ。
強さと弱さは
ここで反転する。
弱さを受け入れることが
本当の強さにつながり、
そこから「S級のRescue」という
崇高な行動が生まれる。
この相互依存が、
歌詞全体を哲学的に
見る上での鍵だ。
破壊と創造の螺旋
「最低傑作降臨」という
表現に戻ると、
やっぱり矛盾が
含まれているね。
傑作でありながら
最低だなんて、
どういうことだろう?
それは破壊と
創造の象徴だろう。
最低であることは、
古い自分を壊すこと。
そして傑作であることは、
新しい自分を創造すること。
だが、ここで注意すべきは、
完全なる破壊は
存在しないという点だ。
完全に壊れたと思っても、
何かが残る。
例えば、
「絶」「失」「希」
という文字たち。
それぞれが失望や絶望を
連想させるけど、
それを抱えたまま
新しい自分を作り出す。
そうだ。
その新しい自分は
「最強」であると同時に
「駄作」でもある。
「最強駄作降臨」とは、
理想の自分に
たどり着くことの
無意味さをも
示唆しているかもしれない。
それでもなお、
変わり続けることこそが
人間の本質なのだ。
結論
この歌詞を通じて、
一貫して描かれているのは、
自己否定から始まる
自己超越の物語だね。
でも、その超越は
終わりのない螺旋のようで、
完成されることはない。
その通りだ。
この歌詞の哲学的な本質は、
「矛盾を生きる」
ということにある。
人間は弱さを抱え、
過去を否定し、
それでも未来に向かう存在だ。
頂点を目指しながらも、
底辺を忘れない。
それが、この
「最低傑作」の真意だろう。
つまり、この曲は
ただの自己成長の話じゃなくて、
人間の存在そのものを
描いているんだ。
強さも弱さも受け入れ、
矛盾を超えた先に
「最強の俺」がある。
そうだ。
歌詞の最後の
「限界狩れ」という言葉は、
単なる挑戦ではない。
自分自身の限界を
狩り取り、
新しい自分を
生み出し続けるという、
終わりなき人間の営み
そのものを表しているのだろう。