音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】SCANDAL(スキャンダル)/Terra Boys(テラボーイズ) この曲の意味とは?地球や宇宙を男の子や女の子でという言葉で表した理由を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

SCANDAL
Terra Boys

について哲学的に考察していく。


 

SCANDAL「Terra Boys」MV

www.youtube.com


Terra Boysの歌詞

まばたきのあいだに
星が降る退屈な部屋 
今って何時くらい?
語るほどの夢も悩みもないでも
今夜は離れないで
始まりの日みたいだ
寝静まったこの地上で僕ら二人だけ
終わりの日を祝福した
闇にグラスを傾け
ヘイヘイルキルキガール ルキルキガール
ユーテラボーイボーイ テラボーイボーイ
Yeah 巡り逢う on the planet
シルクロード沿い 僕らは結ばれ
浮かれ時間に流され明かされる今宵
生憎ここは茶沢通り沿い
Twilight 夢の続き頂戴
騙し騙しで Alright
君じゃなきゃダメだって抱きしめたいんだ
近すぎて遠い ハグレモノ同士
どうせ滅びるなら一緒がいい
窓から漏れる月明かり
泣きたいくらい綺麗だ
ヘイヘイルキルキガール ルキルキガール
ユーテラボーイボーイ テラボーイボーイ
ヘイヘイルキルキガール ルキルキガール
ユー・アー・ザ・ラストボーイ テラボーイ
ヘイヘイルキルキガール ルキルキガール
ユーテラボーイボーイ テラボーイボーイ
まばたきのあいだに手を握る
今だけは離れないで


序論

 

この歌詞、
まばたきの間に
星が降るって始まるけど、
それが退屈な部屋の中で
起きているっていうのが
妙に引っかかる。

星が降るなんて
特別なことなのに、
退屈な部屋なんて
平凡な空間と
結びついている。

この矛盾は一体何を
意味しているんだろう。

興味深いね。
星が降るという
非日常と、
退屈な部屋という
日常が交差する瞬間、
それは現実と幻想の境界線を
表しているのかもしれない。

この歌詞の中で、
時間や空間、夢や現実が
曖昧になり、
それが歌のテーマの根幹に
関わっている気がする。

では、第1章として、
この矛盾の象徴性を
掘り下げてみようか。


 

矛盾が生む意味

 

語るほどの
夢も悩みもない、
って続くよね。

ここで語られる「僕」は、
何もない空っぽな存在として
描かれている。

でもその後、
始まりの日みたいだ、
って突然の高揚が訪れる。

この感情の移り変わりも
矛盾してない?

矛盾ではなく、
それこそが人間の感情の
本質かもしれない。

人は平凡の中で
非凡を見つけ出し、
絶望の中で希望を
見出すことがある。

この「僕」にとって、
退屈な部屋や夢のなさは
現実の象徴だ。

しかし、そこに星が降るという
幻想が現れることで、
新しい視点や感情が生まれる。

それが「始まりの日」
のように感じられるんだ。

 

じゃあ、
「寝静まった地上で
僕ら二人だけ」
っていう場面は?

孤独なんだけど、
二人っていう
微妙な温かさがある。

この部分も
非日常的な雰囲気を感じる。

この歌詞では、
「二人」という存在が
孤独からの救済として
描かれている。

だが、それは
ただの温かさではなく、
終末的な美しさを
伴うものだ。

「終わりの日を祝福した」
とあるように、
これは生きることの
最終局面における
刹那的な幸福を
象徴しているんだろう。

このような二人の関係は、
儚いものだからこそ美しい。


 

ルキルキガールとテラボーイの象徴

 

それにしても、
「ルキルキガール」
「テラボーイ」って
なんだろう?

普通の名前や
呼び方じゃないよね。

確かに、ここには
具体性がないが、
むしろそれが
象徴的な意味を持つ。

この二人の名前は、
地球(テラ)や
宇宙(ルキルキ)を
想起させる。

つまり、彼らは
小さな個人でありながら、
広大な宇宙的存在でもある
という二重性を
持っているのではないか。

そして、巡り会う
on the planet というフレーズは、
偶然性と必然性が
交差する瞬間を
指しているように感じる。

 

シルクロード沿い、
っていうのも
面白いよね。

ここは茶沢通り沿い、
って現実に
引き戻される感じも。

夢みたいな
場所から急に現実へ…。

それもまた歌詞全体に
通じるテーマだ。

シルクロードは歴史的に
交易や文化交流の道だった。

一方で茶沢通りは
日常的な日本の風景。

この対比は、
夢のような時間と、
現実の時間が交差する
瞬間を強調しているんだ。

この歌詞全体では、
夢と現実が繰り返し
対立しながらも、
どこかで結びついている。


 

滅びと共存

 

「どうせ滅びるなら
一緒がいい」って、
すごく強烈なフレーズだね。

滅びって絶望的なのに、
そこに救いが
あるみたいに感じる。

これは、
「近すぎて遠いハグレモノ同士」
という歌詞とも繋がるね。

滅びの運命に抗うのではなく、
それを受け入れた上で
共にあることを選ぶ
という美学だ。

この考え方は、
儚さや一瞬の輝きを
尊ぶ日本的な価値観にも
通じるものがある。

彼らは滅びを恐れず、
それを美しさとして
祝福しているようだ。

 

月明かりが
泣きたいくらい綺麗だ、
って部分もそうだよね。

滅びや孤独の中に、
どうしようもない
美しさがある。

その通りだ。
そして、まばたきの間に
手を握る、
という最後の描写は、
短い時間の中で
交わされる深い繋がりを
象徴している。

永遠ではなく、
一瞬に全てを
凝縮した愛や絆。

これがこの歌の
核心ではないだろうか。


 

結論

 

この歌詞、非日常と日常、
夢と現実、希望と滅び、
全てが入り混じっているけど、
どれも否定されることなく
共存している。

それが、
すごく人間的で心に響く。

その通りだ。

この歌詞は
矛盾そのものが
生み出す美しさを
描き出している。

それは私たちが
生きる世界の真実
そのものでもある。

短い時間の中で
何を見つけ、
誰と共に過ごすか。

その儚さと尊さが、
この歌の中に
凝縮されているようだ。