諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
MYERA
Lie ライ Lie ライ
について哲学的に考察していく。
MYERA「Lie ライ Lie ライ」MV
Lie ライ Lie ライの歌詞
Lie ライ Lie ライ
到来 Lieのない本当の未踏な未来
Lie ライ Lie ライ
油断すれば甘いLieばっかでベタベタになる
Lie ライ Lie ライ
”ワタシらしい”は製造られるものらしい
Lie ライ Lie ライ
結局アレもコレもLieにまみれた愛
おしくらまんじゅう 押されて泣くな
屈するな むしろ闊歩する場外
綱渡れ (Hey) よじ登れ(塀)
Real への扉は自分で開(閉)
あぁ全くもう
イカサマサカサマで
かさ増しばっかでわかんない
What can I do for me?
Guess who is me?
Everything is fakey
I will stay here
何がRealかはまだ Hmm…
Doubt me, doubt me
Lie ライ Lie ライ
全部バレたってどうってことない
So this is me, that's me
どこ切り取ったって It's me
Lie ライ Lie ライはナイ
息を吸うように吐くようについたLieを
洗い浚い取っ払い Liar にピリオド.
時期尚早?We gotta find a way to 一掃
そうそう有象無象のお粗相
奇想天外思想の限界
Kiss my butt おっと失敬、撤回
正解不正解 お節介な見解は放っといて
Pre Chorusへ展開
Everything is fakey
I will stay here
何がRealかはまだ Hmm…
Doubt me, doubt me
Lie ライ Lie ライ
ちゃんと和をもって尊しとなさい
心笑う方に
居ないならやめた方がいい
Lle ライLie 嘘笑い
さぁ Lie to me now lie to me now ついてみな
意味ないそのLie オーライ
混沌の社会 臨兵闘者皆〜
That's the real song 踊らにゃ損song
Lie to me now lie to me now ついてきな
積載量無限大
くだらない境いを奪り合う諍いはやめて
始める自分との闘い
Lie ライLie ライ
一切Lieなし ワタシ味を知った味蕾
Lie ライ Lie ライ
Alright信じて自分次第で Better Better になる
Lie ライ Lie ライ
“ワタシらしい”は製造られたら悔しい。
Lie ライ Lie ライ
即刻脱ぎ捨てる Lieにまみれた愛
Doubt me, doubt me
Lie ライ Lie ライ
全部バレたってどうってことない
So this Is me, that's me
どこ切り取ったって It's me
Lie ライ Lie ライ
“正直者は常識ハズレ”
真っ直ぐ歩くほど道外れ
Woo Wee Woo Wee Woo Wee Woo
されど振り返ることなかれただ踏み込むだけ
You & Me
Lie ライ Lie ライはナイ
序論
この歌詞にある
Lie ライ Lie ライって何だろう。
ただの嘘の話じゃない気がする。
人間が本当を探す旅に出る
話のようにも感じるし、
偽りを暴く力強さもある。
少年よ、これは
人間の根源的な問いを
描いている歌詞だ。
「何がリアルか」
「自分とは何か」を
問い続ける現代人の姿が
浮かび上がる。
嘘、真実、自己、
それらの交錯する領域で
揺れる心の声が
込められているようだな。
さあ、歌詞を紐解き、
考察してみようではないか。
嘘と真実の狭間
冒頭のLie ライ Lie ライ、
到来 Lieのない
本当の未踏な未来、
という言葉はまるで
嘘のない未来を
渇望しているようだね。
でも、「油断すれば甘いLie
ばっかでベタベタになる」って、
嘘がどれほど簡単に人を
支配するかも表している気がする。
そうだ。
嘘は避けがたい
人間の一部であり、
社会の潤滑油として
機能する場合もある。
しかし、その甘美さに囚われると、
自らの本質を見失う危険がある。
さらに、「”ワタシらしい”は
製造られるものらしい」
という歌詞に注目すべきだ。
現代社会では個性さえも
操作可能な虚構の産物と化している。
「結局アレもコレも
Lieにまみれた愛」
という部分も、
真実を求める旅路に
立ちはだかるものが
嘘だけではなく、
愛のような感情さえも
含まれていると感じるよ。
本当の愛とは何だろう?
愛もまた、
主観に満ちた概念だ。
本当の愛を探し求める過程で、
人は自分自身を
問わざるを得ない。
愛が嘘にまみれているとするなら、
それは人間が完全に
真実を語れない存在だからだろう。
自己探求のリアリティ
「Real への扉は自分で開(閉)」
って言葉が好きだな。
本当のリアリティを
見つけるためには自分で
扉を開けなきゃいけないんだ。
でもどうやって
見つけたらいいんだろう?
リアリティを見つけるのは
簡単ではないが、
この歌詞が示唆するのは、
自己探求の重要性だ。
「全くもうイカサマサカサマで
かさ増しばっかでわかんない」
という箇所が象徴するように、
現実は欺瞞と虚偽で
埋め尽くされている。
ゆえに、
自ら問い続けることが
求められる。
「Guess who is me?」
という問いも響くよね。
自分自身を疑うのは
怖いけれど、
それなしでは本当の自分に
たどり着けない気がする。
その通りだ。
疑うことは知の第一歩だ。
「Doubt me, doubt me」
という繰り返しは、
自己懐疑とそれによる
成長を促しているのだろう。
そして、
「So this is me, that’s me」のように、
どんな断片的な自分も
受け入れることが、
本当のリアリティへ近づく鍵なのだ。
嘘から解放される道
でも「嘘を洗い浚い取っ払い」
という歌詞を見ると、
嘘を全て取り除けるような
未来も想像してしまう。
でもそれって可能なのかな?
それは理想だろう。
完全な嘘の排除は難しいが、
それを目指す姿勢には意味がある。
この部分は、内面的な浄化の
過程を表していると解釈できる。
「Lieにまみれた愛」を
「即刻脱ぎ捨てる」とは、
自分を欺く要素を
脱ぎ捨てる勇気を
指しているのだろう。
「正解不正解
お節介な見解は放っといて」
ってのも響くな。
他人の評価に囚われず、
自分なりの真実を
探すべきなんだね。
そうだ。
他者の意見は参考にはなるが、
自分のリアリティを
構築するのは
最終的に自分自身だ。
この歌詞は、
現代社会の混沌の中で、
自分との闘いを
開始する決意を促している。
結論
この歌詞を通して、
嘘と真実、
自分とは何かを深く
考えさせられたよ。
最初は嘘が悪いものだと
思っていたけれど、
それはただの一面で、
本当は嘘も真実も
共にあるものなんだね。
その通りだ。
嘘と真実は対立するものではなく、
むしろ補完し合う存在だ。
歌詞が最終的に
示唆しているのは、
自分自身を疑い、
問い続け、
受け入れることで
「自分らしさ」を
構築できるということだ。
Lie ライ Lie ライという
言葉のリズムには、
そんな自己探求の揺らぎと
可能性が込められている。