諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
BUMP OF CHICKEN
飴玉の唄
について哲学的に考察していく。
BUMP OF CHICKEN「飴玉の唄」MV
飴玉の唄の歌詞
僕は君をじたから
もう裏切られる事はない
だってもし裏切られても
それが解らないから
どうか 君じゃなくならないで
悲しい時嬉しい時どちらにしても
ほら泣く困るでしょうって更に泣く
あんまり困らないよ
飴玉あげる
何光年も遙か彼方から
やっと届いた飴玉だよ
そういう1ミリを繋いで君と出会えた
僕がいるよ
見えない神様 僕らは祈らない
冷えきった君のその手に触れて心を見たよ
聞けない事言えない事
上手に話せなくて泣く
出ない言葉強い気持ち時間が
足りないと言う
僕は君と僕の事を
ずっと思い出す事はない
だってさよならしないなら
思い出にならないから
さぁゆっくり下手な話をしよう
言葉の要らない話をしよう
何億年も遠い昔から
お互い知っている人がいるよ
そういう1秒を紡いで僕と生きている
君がいるよ
死なない神様僕らは祈らない
咳をする君の熱に触れて
命を知るよ、知るよ wow
僕は君を信じたけど君が消えたら
どうしよう考えると止まらないよ
何も解らなくなる
いつか君と離れるなら
いっそ忘れる事にしよう
出来るのかな
無理だろうな離れたくないな
僕は君をじたけど
君が消えたらどうしよう考えると
止まらないよ何も解らなくなる
いつか君と離れるなら
いっそ忘れる事にしよう
出来るのかな
無理だろうな離れたくないな
僕は君と僕の事を
ずっと思い出す事はないだって
忘れられないなら思い出に出来ないから
ねぇ 怖いよ止まらないよ
上手に話せやしないよ
君は僕を信じてるの離れたくないな
見えなければ死ななければ
だけどそんなの君じゃないよ
僕は嫌だよ君がいいよ
離れたくないな
飴玉食べた 君が笑う
勝てない神様負けない
祈らない限りある
君のその最期に触れて
全てに勝つよ
見えない死なない
僕らの世界でその手に触れて
熱に触れて僕も笑うよ
君と笑うよ、笑うよ
僕は君を信じたから、
信じたから、信じたから yeah
序論
少年と哲学者メロディウスは、
「飴玉の唄」の歌詞を通じて、
愛、別れ、存在の意味について
対話を繰り広げます。
歌詞に描かれる感情や
哲学的テーマを掘り下げ、
言葉の背後にある普遍的な真理を
探求していきます。
歌詞は「信じること」
「喪失の恐れ」
「時間と永遠」など、
深いテーマを含んでいます。
この対話は、少年の純粋な問いと、
メロディウスの哲学的洞察を通じて進められます。
信じることと裏切り
「僕は君を信じたから、
もう裏切られることはない」
ってあるけど、信じることって、
そんなに簡単なのかな?
裏切りが怖いから
信じるのをやめるって、
逃げに見えるんだ。
だけど、信じることで
安心できるのなら、
それも一つの救いなのかもしれない。
どう思う?
少年よ、信じることは
人間の最も根源的な行為だ。
信じるということは、
相手に自分の一部を委ねる行為だが、
同時に不安を伴う。
歌詞にある
「もし裏切られても
それがわからない」
という言葉は、
裏切りの痛みを避けるために
目を閉じる選択を示唆している。
だが、信じることの本質は、
結果ではなく行為
そのものにあるのではないか?
でも、それって
自己満足じゃない?
相手がどう思っているかなんて、
本当のところわからないんだし。
それはそうだ。
だが、信じることによって
自分の世界が広がることも事実だ。
信じることで、
見えない未来を共に歩む
覚悟が生まれる。
それは、「飴玉」を
遠い彼方から
受け取るような奇跡の連続だ。
時間と永遠
「何光年も遥か彼方から
届いた飴玉」っていう
表現が出てくるけど、
これってすごく
ロマンチックだよね。
時間を超えて
何かがつながる感覚って、
どういうことなんだろう?
それは、有限の存在である人間が、
無限への憧れを抱くからこそ
感じる感覚だろう。
「飴玉」は物理的な
存在かもしれないが、
それ以上に象徴的な意味を持つ。
過去から未来へ続く
「時間の糸」の中で、
君と僕が出会う奇跡を
表現しているのだ。
時間って、
ただ過ぎ去っていくもの
じゃないの?
でも、この歌詞を読むと、
時間が「紡がれる」
もののように感じるんだ。
その通りだ、少年よ。
時間は単なる流れではなく、
私たちが経験を
積み重ねることで意味を持つ。
だから「1ミリ」「1秒」
といった細かい単位が、
奇跡を生む
基盤となるのだ。
「飴玉」を手にする
君と僕の関係も、
そうした小さな時間の
積み重ねによるものだ。
喪失の恐れと永遠の願い
「君が消えたらどうしよう」
って何度も繰り返されてるよね。
好きな人がいなくなるって、
やっぱり怖いよ。
でも、いなくなる前に
忘れようとするのは、
少しずるくない?
それは、人間が持つ矛盾のひとつだ。
喪失の恐れに耐えるために、
先に感情を切り離そうとする。
しかし、それは「君」が持つ
独自性を否定することでもある。
「忘れること」は簡単ではないし、
仮にできたとしても、
それは真の救いにはならない。
「見えなければ死ななければ
だけどそんなの君じゃないよ」
って言葉が、
まさにそのことを表してるよね。
「君じゃない」って言うのは、
その存在が完全には
代替不可能ってことなんだよね?
その通りだ。
「君」とは、
ただの存在以上の何か、
つまり君にとって
唯一無二の存在だ。
喪失の恐れは、
その「唯一性」から生まれる。
それゆえに、君が笑うこと、
君と触れ合うことが、
何よりも大切なのだ。
結論 有限の中の無限
結局、この歌詞って
「飴玉」みたいな小さな存在が、
僕たちにとって
無限の価値を持つってことを
伝えてるのかな?
その通りだ、少年よ。
この歌詞は、
有限の中に無限を見出す
人間の心を描いている。
限りある時間や存在を
「飴玉」のように
大切にすること。
それが喪失の恐れを超えて、
君と僕がつながり続ける
力になるのだ。
でも、
「勝てない神様負けない
祈らない限りある
君のその最期に触れて全てに勝つよ」
っていう言葉には、
どこか矛盾がある気がするよ。
限りあるものに触れることで
「勝つ」って、どういう意味?
それは、限りあるものが
持つ美しさに触れることで、
生きる意味を
見いだすということだろう。
祈りや神を超えた先に、
君と僕が手を取り合う世界がある。
その瞬間こそが、
喪失を恐れる必要のない
「勝利」なのだ。