音楽に哲学を

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【歌詞考察】めいちゃん/心中世界 この曲の意味とは?休止中にアルバムをMVで全公開の勢い?この世界観を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

めいちゃん
心中世界

について哲学的に考察していく。



 

めいちゃん「心中世界」MV

www.youtube.com


心中世界の歌詞

わかんない
嫌になっちゃいますのまた寝返りおかえり
意味もないよ
ホントの事なんて忘れたいねバイバイバイ
今から殴り込みいきたいね
ごめん勇気がありません
布団に包まってるだけだよ
いっそずっとふて寝してたいね
大嫌いでした
でもねほっとけないの
どうやらおかしい世界なんだ
あての無い私 最後の兵器
今怪しいアイツ目掛けて弓の矢を射抜きます
馬鹿みたいだね
寂しいんだそれでも夢の無い
ここで心中しようか
今更耳を赤くして
ずっとまだコケにしようぜ
どうしても愛に私溺れているのどよめきあえきっと来週も
私本気よ本気よ本気よ
被弾したん
涙がでちゃいそうです
任せたぜ暴走タクシー
見たことない街へ連れ出して行っててって
置き去りにして欲しい
愛ってなんだっけ
誰も答えられないよ
それでもね今を生きているんだ
馬鹿みたいな人生を
どうやら気づいてしまいました
夢の無い君と心中するの
憎たらしいアイツらがいない
死んだも同然でしょ?(Yeah)
どうやらおかしい世界なんだ
あての無い私 最後の兵器
今怪しいアイツ目掛けて弓の矢を射抜きます
馬鹿みたいだね
寂しいんだそれでも夢の無いここで心中しようか
今更耳を赤くして
ずっとまだコケにしようぜ
どうしても愛に私溺れているのどよめきあえきっと来週も
私本気よ本気よ本気よ


 

序論

少年
この歌詞、なんだかとても切なくて、

不安定な感情に満ちているね。

 

「愛ってなんだっけ」とか

「夢の無い君と心中するの」とか、

絶望と希望の間を行き来してる気がする。

 

どうしてこんな歌詞が書かれるんだろう?

 

メロディウス
ふむ、少年。

歌詞というのはその人間の心の内を

映す鏡のようなものだ。

 

だが、この歌詞は単なる個人的な

感情の吐露ではなく、

一つの「心中世界」を描いているように思える。

 

これは、自己と他者、愛と孤独、

希望と絶望が同時に存在する

不条理な世界だ。

 

その矛盾こそが、この歌詞の核心だろう。

 

少年
矛盾か…。

確かに「寂しい」と言いつつ

「愛に溺れている」って、

まるで感情がぐちゃぐちゃになってる感じがする。

 

じゃあ、この歌詞について

もっと深く考えてみようよ。

 

メロディウス
よろしい。

では、この心中世界を

「絶望と希望」「愛と孤独」「自己と他者」

という三つの軸に分けて考察しよう。


 

第1章 絶望と希望の間で

少年
「夢の無いここで心中しようか」って、

すごく絶望的な響きだよね。

 

でも、そのあとに

「それでも今を生きているんだ」ってある。

 

これって矛盾してない?

死を望むのに生きることを選んでるみたいで。

 

メロディウス
矛盾ではなく、

これは人間の存在そのものの反映だよ、少年。

 

我々は絶望を抱えながらも

生きる道を模索するものだ。

 

この歌詞では「心中」という

言葉が使われているが、

それは単なる死を意味しないかもしれない。

 

「夢の無い君と心中する」

というフレーズは、

絶望の中でも他者とのつながりを通じて

希望を見出そうとする姿勢とも解釈できる。

 

少年
なるほど。

つまり、この歌詞は絶望的な状況の中でも

「誰かと一緒なら生きられるかもしれない」

っていう希望を描いてるのか。

 

でも、それがまた不安定で

揺れ動いている感じもする。

 

メロディウス
そうだ。

この揺れ動きこそが人間の本質だ。

 

この歌詞の

「今怪しいアイツ目掛けて弓の矢を射抜きます」

という表現には、

破壊の意志と希望への渇望が同居している。

 

「弓矢」とは、何かを終わらせるための

手段であると同時に、

新たな始まりへの可能性を暗示している。


 

第2章 愛と孤独の共存

少年
「どうしても愛に私溺れているの」って、

すごく激しい感情だよね。

 

でもその直前には

「置き去りにして欲しい」とも言ってる。

 

愛されたいのか、

それとも捨てられたいのか、

どっちなんだろう?

 

メロディウス
ここには「愛と孤独」という

相反する感情が同時に存在している。

 

人間は愛されたいと望むが、

その愛が重すぎると感じることもある。

 

だからこそ「置き去りにして欲しい」と

願う瞬間も生まれるのだ。

 

しかし、この矛盾が人間関係の本質でもある。

愛と孤独は切り離せないものなのだよ。

 

少年
でも、そんなに矛盾してたら、

ずっと苦しくなっちゃうんじゃない?

 

メロディウス
そうかもしれない。

しかし、この歌詞では「苦しさ」を

抱えること自体が一つの生き方として

受け入れられているように思う。

 

「愛に溺れる」という表現には、

溺れる苦しさと同時に、

それがやめられないという執着が感じられる。

 

愛とは人間を不安定にするものだが、

それこそが人間らしさの証なのだ。


 

第3章 自己と他者の境界線

少年
「どうやらおかしい世界なんだ」って、

他者に向けた不満っぽい感じがするけど、

その一方で「涙が出ちゃいそうです」と、

自分自身の弱さも見せてるよね。

 

これって、他者との関係の中で

自分を見失ってるのかな?

 

メロディウス
興味深い指摘だ、少年。

 

この歌詞の「おかしい世界」

という言葉は、他者との関係性の中で

自分が浮き彫りにされる

不条理を表しているだろう。

 

そして「最後の兵器」という言葉は、

自分自身を世界にぶつける

覚悟のようにも見える。

 

だが、それは他者と共鳴するための行為でもある。

 

少年
他者と共鳴?

でも「馬鹿みたいな人生を」って、

自分自身を否定してるみたいにも聞こえるけど…。

 

メロディウス
それは、他者との関係性の中で感じる

自己否定の表れかもしれない。

 

だが、この歌詞の自己否定には、

ある種の挑戦的な響きがある。

 

「馬鹿みたい」と言いながらも、

そこで終わらせず「生きている」

と宣言している。

 

自己と他者の間で揺れる中、

なおも前に進もうとする

意志が感じられるのだよ。


 

結論

少年
結局、この歌詞って「矛盾」が

すごく大事なんだね。

 

絶望と希望、愛と孤独、自己と他者…

どれも正反対の感情がぶつかり合ってる。

 

でも、それが人間らしさなのかな。

 

メロディウス
その通りだ、少年。

この歌詞は、人間が抱える

矛盾を余すことなく表現している。

 

「心中世界」とは、

絶望の中に希望を探し、

孤独の中で愛を求める

人間の心そのものだ。

 

歌詞の中で何度も揺れ動く感情は、

私たちが生きる不安定な世界を反映している。

 

そして、この矛盾を抱えながらも

生き続けることに意味があるのだよ。

 

少年
じゃあ、この歌詞を通して、

僕たちも自分自身の心中世界を

見つめることができるんだね。

 

ありがとう、メロディウス。

少しずつ、このおかしい世界を

理解していけそうな気がするよ。

 

メロディウス
ふむ。理解するだけではなく、

その矛盾を生き抜く強さを持つことだ。

それが、この歌詞が伝えたい

一番のメッセージなのかもしれないね。