諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
そらる
アンチポップドール
について哲学的に考察していく。
そらる「アンチポップドール」MV
アンチポップドールの歌詞
甘言が響く
floorは今日も夏の虫達を誘う
unnatural 欲望の売り買い
目を逸らすように
光に吸い寄せられている
まるで夢の中のような浮遊感余裕じゃん
君がいればどこに堕ちたって
最低dancing 愛してらんないね
(毎夜孤独堪えぬヒステリア)
いびつすぎslowdown なんて冗談
(言葉はいらないさあ手を取ってよ)
今日も君と夢現 終わらないmusic
幼少の羨望きらめく街
間近で見りゃずっと汚いなじんだ振り
ゴミ山の明かりも涙越しなら少しはマシだろうな
最任dancing
愛してらんないね
(毎夜孤独堪えぬヒステリア)
値崩れしたpride もう引けないよ
(こんな街もう忘れたくないのに)
たった一つの生き方それしか知らないだけだ
これでいいこれがいいそう思わせてよ
タイムリミットが来るまで
君と踊り続けられたらそれでいい
それがいい何もかも
最低dancing
愛してらんないね
(毎夜孤独堪えぬヒステリア)
いびつすぎslowdown なんて冗談
(言葉はいらないさあ手を取ってよ)
最低dancing
愛してらんないね
(毎夜孤独堪えぬヒステリア)
値崩れしたpride もう引けないよ
(こんな街もう忘れたくないのに)
今日も君と夢現 終わらないmusic
序論
少年
この歌詞は、僕には
不思議な感覚を呼び起こします。
「最低dancing」と言いながら、
どこか楽しげで、それでいて絶望も含まれている。
この相反する感情が混ざり合う
世界って、一体何なんだろう?
メロディウス
確かにこの歌詞は、
矛盾に満ちた感情が
共存しているように感じられるな。
だが、矛盾というのは、
必ずしも否定すべきものではない。
むしろ、人間の本質そのものが、
矛盾から成り立っていると
言えるのではないかね。
さあ、この歌詞を通じて、
私たちの生の姿を
見つめ直してみようではないか。
第1章 快楽と堕落の舞台
少年
「floorは今日も夏の虫達を誘う」
という冒頭が印象的です。
光に吸い寄せられる虫たちと、
人間が快楽や欲望に
引き寄せられる様子が重なって見えるんです。
でも、それってなんだか怖い。
メロディウス
その怖さは、
本能に従うことへの
不安から来ているのだろう。
本能とは強大な力だ。
光に向かう虫のように、
人間もまた、自らが望むものに
向かって突き進む性質がある。
だが、ここで描かれる光は、
果たして救いなのか、それとも破滅なのか?
少年
「unnatural 欲望の売り買い」
という言葉を聞くと、
光が歪んでいるように思えます。
本当の望みじゃないものを
追いかけているのかもしれない。
メロディウス
その通りだ。
この「欲望の売り買い」は、
資本主義や消費社会に
おける人間の欲望の操作を
暗示しているように見える。
「目を逸らすように」とあるが、
それは、自分が何を追い求めているのかを
見失っているということだろう。
では、なぜ人は光に吸い寄せられるのか?
それは、そこに「夢」があるからではないか。
第2章 夢と現実の境界線
少年
「今日も君と夢現 終わらないmusic」
というフレーズは、夢と現実が
入り混じった状態を描いているように思えます。
でも、それって、
本当に幸せなことなんでしょうか?
メロディウス
夢と現実の曖昧な境界にいるというのは、
幸福であると同時に危うさも伴う。
夢は希望を与えるが、
現実から逃れるための麻酔にもなる。
人は夢を見続けることで
現実の苦しみを忘れられるが、
それは本当の解決ではない。
歌詞の中で「ゴミ山の明かりも
涙越しなら少しはマシだろうな」
とあるように、涙を通して見たものは、
歪んだ輝きしか持たないのだ。
少年
じゃあ、夢を見続けることって、
結局意味がないの?
メロディウス
そうとも限らない。
夢は現実に対する抵抗であり、
再生の可能性を秘めているのだ。
だが、夢に溺れることと
夢を目指して生きることの
違いを見極めなければならない。
この歌詞では、「最低dancing」
という表現を通じて、
たとえ堕落的な状況でも
踊り続ける覚悟が描かれている。
それが、絶望に抗う姿勢でもあるのだよ。
第3章 孤独とプライドの代償
少年
「値崩れしたpride」という
言葉が気になります。
プライドが壊れるって、
どういう感覚なんでしょう?
メロディウス
プライドは人間にとって重要なものだ。
だが、時としてそれは過剰になり、
人を縛るものともなる。
ここでの「値崩れしたpride」とは、
おそらく自らの信念や誇りが
現実に押しつぶされてしまう
様子を表しているのだろう。
人は社会の中で、自分を守るために
妥協や取引を繰り返す。
その過程で、本来の自分を見失うのだ。
少年
でも、「もう引けないよ」って言ってるのは、
プライドを完全に捨てきれないから?
メロディウス
そうだ。
その「もう引けないよ」という言葉には、
矛盾した感情が込められている。
自分を守りたいという思いと、
変わりたいという
思いがせめぎ合っているのだろう。
そして、これが「最低dancing」の
背景にある人間の弱さでもあり、
美しさでもあるのだ。
結論 踊り続ける生の意義
少年
結局、この歌詞の「最低dancing」って、
どんな意味があるんでしょう?
メロディウス
「最低dancing」とは、
一見すると絶望や堕落の象徴のように思える。
だが、よく考えてみれば、
それはどんな状況においても
生き抜こうとする姿勢を
表しているのではないだろうか。
少年
どんなに孤独でも、
どんなにプライドが壊れても、
人は踊り続けるしかない。そういうこと?
メロディウス
その通りだ。
この歌詞は、絶望の中でさえも、
生きるために足を動かし
続けることの大切さを歌っている。
そして、その踊りがいつかは
「夢現」の状態を抜け、
現実を超えた新たな光へと
繋がる可能性も示唆しているのだ。
少年
光に吸い寄せられる
虫のように生きるのではなく、
自分の意志で踊り続ける。
それが、この歌の本当の
メッセージなのかもしれませんね。
メロディウス
そうだ。生とは矛盾と苦しみに
満ちた踊りである。
しかし、その踊りがあるからこそ、
私たちは「生きている」と実感できるのだ。
この歌詞を通じて、
その深いメッセージを噛みしめるべきだろう。
少年
そう考えると、「最低dancing」って、
すごく強い言葉なんですね。
メロディウス
まさにその通りだ。
絶望を知りながらも踊り続ける。
それこそが、人間の生き様なのだからね。