諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
25時、ナイトコードで。
余花にみとれてfeat.MEIKO
について哲学的に考察していく。
25時、ナイトコードで。「余花にみとれて」
余花にみとれての歌詞
私たちが思うよりも
この世界は優しくないから
せめて私くらいは
あなたのそばにいたかったんだ
ザラついた手触りの言葉で
あなたのこと汚した私は
妙に目にしみる茜色に
縫い付けられたままで
動けないままで
きつく抱きしめてくしゃくしゃになった
あなたの孤独を見つけたのに
もう傷つける場所もない
あなたの心臓が切なくなるくらい
柔らかく音を立てて
酷く膿んだ傷を押さえながら
それでもあなたは笑っていたのでしょう
それがどうしようもなく嫌なのです
せめて私の前では泣いてほしいのに
ボクたちが息をする世界は
もうとっくに壊れていたけど
それでもあなたと見たその色は
ただあまりにも美しかったんだ
あぁ
歩き方を忘れた私たちはどこまで行けるのかな
どこにも行きたくないのならそれでもいいよ
ここで話をしようか
何も話したくないなら
ここから見える景色を見ていよう
なにも見たくないのならずっとこのまま
ふたり目を閉じていようよ
あなたがいればいいよ
その躰の真ん中で軋んで割れそうな
噛み殺した声が聞こえて走り出した
私が今すぐそばに行くから
あなたはあなたのままで待っていて
その指先が体温が触れた
ボクの心臓は隠せないくらいに
あなたへと音を立てて
酷く爛れて濁っていた空さえ
切なくなるくらい透き通って見えた
私たちの心臓が音を立てて
重なるくらい近づいたなら
壊れたままで進んで行く世界の中
それでもふたりで息をしている
序論
少年
この歌詞には何か切なくも
美しい真実が込められている気がします。
「優しくない世界」と
「それでも見た美しい色」という対比が、
ボクたちが生きる矛盾そのものを
象徴しているように思えます。
メロディウス
その通りだ、少年。
この歌詞は、絶望の中に微かな
希望が差し込む様子を描いている。
しかし、それは単なる慰めではなく、
世界の本質を直視しながらも、
それに抗おうとする人間の意志が込められている。
では、この歌詞を分解して議論しようか。
第1章 世界の優しさと残酷さ
少年
歌詞の冒頭、
「私たちが思うよりも
この世界は優しくないから」という言葉が、
心に刺さります。
優しさを求めても、
それが叶わない現実が描かれていますよね。
メロディウス
そうだ。
人はしばしば、
自分の期待を世界に投影する。
しかし、世界はその期待に応える義務を持たないし、
むしろその無情さが人間を試す。
ただ、この歌詞はその無情さに対して
「せめて私くらいは
あなたのそばにいたかった」
と応じている。
これは、個人の中に生まれる小さな
「優しさ」が、世界の冷たさに抵抗する形を
表しているのではないだろうか?
少年
なるほど、世界全体は冷たくても、
個人の行動や想いが、
誰かにとっての
小さな温もりになるということですね。
でも、「ザラついた手触りの言葉で
あなたのこと汚した私は」
という部分が気になります。
この温もりもまた、
不完全で傷つきやすいものだと暗示しているような…。
メロディウス
良い指摘だ、少年。
人間の関係性は複雑だ。
たとえ善意から発した言葉でも、
結果として相手を傷つけることがある。
それでも、「妙に目にしみる茜色」に
縫い付けられたままで動けない、
という表現には、
傷つけた後の後悔や償いの感情が見える。
ここに、人間の不完全さと、
それでも誰かと繋がりたいという
強い願いが表現されているのだろう。
第2章 孤独と共鳴する心
少年
「きつく抱きしめてくしゃくしゃになった
あなたの孤独を見つけたのに」という部分では、
相手の孤独を感じ取る瞬間が描かれています。
でも、それが救いになるどころか、
ただ傷つけるしかできない
自分がいるという葛藤も感じます。
メロディウス
そうだな。
孤独は、人が避けることのできない存在条件だ。
しかし、この歌詞では、
その孤独を認識し、共鳴する姿勢が描かれている。
「あなたの心臓が切なくなるくらい
柔らかく音を立てて」とは、
孤独な心が別の心に触れることで
生まれる微かな変化を表している。
その触れ合いが、完全ではなくても
一時的な救いを生む可能性を
示唆しているのではないか?
少年
でも、「それがどうしようもなく嫌なのです」
と書かれているように、
その救い自体にも不満や苦しさが伴うんですね。
理想的な癒しではないからこそ、
相手にもっと本音で泣いてほしい、
という願いが湧くのかな。
メロディウス
その通りだ。
人間はしばしば、
本当の感情を見せることにためらいを持つ。
この歌詞では、
「せめて私の前では泣いてほしい」という言葉に、
相手の心を深く理解したいという願望が現れている。
だが、相手の感情を引き出すことは簡単ではない。
それゆえ、相手との距離感や
自分の無力さが苦悩として描かれているのだろう。
第3章 壊れた世界と美しさ
少年
「ボクたちが息をする世界は
もうとっくに壊れていたけど」
という部分が象徴的です。
世界が壊れていることを受け入れながら、
「それでもあなたと見たその色は美しかった」
と感じるのはどういうことなんでしょう?
メロディウス
壊れた世界の中でも、
ふとした瞬間に訪れる美しさは、
人間の希望をつなぎ止める役割を果たす。
たとえ世界が完全ではなくても、
個々の瞬間に「美」を見出すことで、
人は生きる意味を見いだすのだ。
この「美しい色」は、
単なる視覚的なものではなく、
共有された感情や瞬間そのものを
象徴しているのではないだろうか。
少年
その「美しい色」があったから、
壊れた世界でも「ふたりで息をしている」
という希望が残るんですね。
でも、歩き方を忘れた「私たち」は
どこにも行きたくない、
とも語られています。
進むべき道が見えないからこそ、
ここで留まるという
選択肢もあるんでしょうか。
メロディウス
そうだ。
「どこにも行きたくない」とは
無理に未来を探すのではなく、
現在を受け入れる姿勢だろう。
「話をしようか」
「何も話したくないなら景色を見よう」
「目を閉じていよう」といった選択肢は、
相手と共にいるだけで
意味があることを強調している。
これは、壊れた世界の中でも、
共有する時間そのものが
価値を持つという哲学的視点だ。
結論
少年
最終的に、
「私たちの心臓が音を立てて
重なるくらい近づいたなら」とありますが、
これはどんな意味を持つのでしょう?
メロディウス
それは、完全な理解や癒しを示すものではなく、
壊れたままでも共鳴し合う人間の可能性だ。
この歌詞全体を通して描かれているのは、
不完全な人間同士が
不完全な世界で生き抜く方法を探る姿だ。
そして、その方法は、
何かを解決することではなく、
ただ共に「息をする」ことにあるのだろう。
少年
壊れたままで進むことの意味、
それをこの歌詞は静かに教えてくれるんですね。
優しさや美しさは完全ではないけれど、
それでも確かに存在する。
それが希望なんだと思います。
メロディウス
その通りだ、少年。
不完全な存在として生きること、
それ自体が哲学的な問いでもあり、
答えでもあるのだろう。
この歌詞は、その不完全さに向き合いながらも、
美しさと共鳴する力を教えてくれているのだよ。