音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】クリープハイプ/生レバ この曲の意味とは?サビでは何て言ってるか?ダフ屋とは何なのか?またこの音楽の真相を哲学的に徹底解説?

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

クリープハイプ
生レバ

について哲学的に考察していく。



 

クリープハイプ「生レバ」MV

www.youtube.com


生レバの歌詞

余れば買うし無ければ売って生レバ食べたい
余れば買うし無ければ売って生レバ食べたい
たまにはサッと炙って焼いてでも生レバ食べたい
余れば買うし無ければ売って生レバ食べたい
余れば買うし無ければ売って生レバ食べたい
余れば買うし無ければ売って生レバ食べたい
たまにはサッと炙って焼いてでも生レバ食べたい
アカペラにしてまでこんなタラレバ言いたくないけれど
ダフ屋になって誰かの利益で楽して生きてたい
ダフ屋になって誰かの利益で楽して生きてたい
ダフ屋になって誰かの利益で楽して生きてたい
ダフ屋になって誰かの利益で楽して生きてたい


 

序論

少年と哲学者メロディウスは、

クリープハイプの歌詞「生レバ」を題材に、

現代社会の欲望と制約について語り合います。

 

この歌詞は一見すると

「生レバを食べたい」というシンプルな

願望を繰り返しているようですが、

その背景には経済的取引、

倫理観、そして本能的欲求が

複雑に絡み合っています。

 

特に、「余れば買うし無ければ売る」

というフレーズは消費社会の循環を、

「食べたい」という言葉は

抑えられない人間の欲望を

象徴しているように思えます。

 

さらにMVでは「誰?」「ダメ」

「足りない」「食べたい」と

繰り返される場面があり、

これは歌詞が単に聞こえるだけの

要素かもしれませんが、

深読みすると人間の不安定な心情を

投影しているようにも感じられます。

 

以下、少年とメロディウスの対話を通して、

この歌詞を哲学的に考察していきます。


 

第1章 欲望の循環

少年:
「ねえ、メロディウス。

この歌詞の『余れば買うし無ければ売って』って、

なんかおかしいと思わない?

 

買うのか売るのか、結局どっちが正しいの?」

 

メロディウス:
「面白い着眼点だね、少年。

これは現代社会における欲望と

供給のループを象徴しているのかもしれない。

 

余れば買う、つまり必要以上に

所有したくなる心。

 

そして無ければ売る、

これは不足を補うために

手放さざるを得ない状況だ。

 

この相互作用が経済を回し、

人間の欲求を刺激している。」

 

少年:
「でも、結局のところ、

生レバが食べたいっていう欲望が

根底にあるんだよね。

なんでそんなに『食べたい』って

執着するんだろう?」

 

メロディウス:
「『食べたい』という欲求は、

本能的な生存の象徴だ。

 

それ自体は純粋で自然なものだが、

歌詞の繰り返しが示すように、

制約や不足感がその欲望を

さらに強めているのだろう。」


 

第2章 「誰?」「ダメ」「足りない」「食べたい」の連鎖

少年:
「MVで店主が『ダメ』って言う場面、

あれなんか現実っぽい感じがするよね。

 

食べたいのに食べられない。

なんでそんな場面を描いたんだろう?」

 

メロディウス:
「おそらく、食べたいという

純粋な欲望が法律や倫理の枠組みに

阻まれる現代社会の縮図だろう。

 

生レバは規制がかかっていて、

直接的には禁止されている。

 

欲しいものが目の前にあっても、

それを得られない状況を

この『ダメ』という言葉が象徴しているんだ。」

 

少年:
「でも、『誰?』っていうのは

どういう意味なんだろう?

MVでおじさんが横にいるけど、

なんか不思議な感じだよね。」

 

メロディウス:
「『誰?』というのは、

自分の欲望の主体を

問いかけている言葉かもしれない。

 

食べたいと思っているのは

本当に自分自身なのか、

それとも社会や他者に

植え付けられたものなのか。

 

おじさんの存在が、

その曖昧さを象徴しているのかもしれない。」

 

少年:
「じゃあ『足りない』はどうかな?

定食を完食してもまだ満たされないって、

なんだか哀しい気もするよ。」

 

メロディウス:
「『足りない』という感覚こそが

欲望を駆り立てる原動力だ。

 

人間は満たされると欲望を失い、停滞する。

 

だから足りないという状態は、

同時に人間を生かすエネルギーでもあるんだ。」


 

第3章 制約と自由

少年:
「でもさ、生レバを食べたいって、

結局は規制の問題なんだよね?

 

規制がなければ

こんな歌詞も生まれなかったんじゃない?」

 

メロディウス:
「そうとも言えるね。

しかし、制約があるからこそ、

欲望は形を持つとも言える。

 

制限がなければ、

それに対する欲望もまた希薄になる。

 

『生レバ』という象徴は、

現代社会のルールの中で生まれた

一種の反骨精神だと言えるかもしれない。」

 

少年:
「じゃあ、『ダフ屋になって

誰かの利益で楽して生きてたい』

っていう部分はどうかな?

 

なんだか楽を求めてる感じがするけど、

それも悪いことなのかな?」

 

メロディウス:
「人は誰しも楽をしたいと思うものだ。

 

しかし、それを追求するあまり

他者を利用するならば、

その欲望は批判の対象となる。

 

『ダフ屋』という言葉には

皮肉が込められているように思うよ。」

※ダフ屋とはチケットなどの不正販売です。


 

結論

少年:
「結局、この歌詞って

何を言いたいんだろう?

『食べたい』という言葉が聞こえるけど、

それだけじゃない気がする。」

 

メロディウス:
「『食べたい』という言葉には、

本能的な欲望、社会的な制約、

そしてそれを乗り越えたいという

願望が込められている。

 

歌詞の繰り返しやMVの演出は、

人間の欲望がどのように作られ、

抑制され、そして解放されるかを象徴しているんだ。」

 

少年:
「でも、本当に生レバが食べたいのか、

それとも歌詞がそう聞こえるだけなのか。

それさえも曖昧だよね。」

 

メロディウス:
「その曖昧さがまさにこの歌詞の面白さだ。

欲望はいつもはっきりしているわけではなく、

周囲の環境や状況によって形を変える。

 

それをこうして考察すること自体が、

欲望の哲学的探求と言えるのではないかな。」