音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】友成空(ともなりそら)/ACTOR(アクター) この曲の意味とは?役者として嘘と真実の狭間を行き来する理由を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

友成
ACTOR

友成空「ACTOR」MV

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ACTORの歌詞

幕が上がる
拍手が鳴る
僕は何に做れますか?
のらりくらり
嘘偽り
神様と戯る役者
タネも仕掛けも
ありゃしないのさ
こんな世界じゃ
つまらないでしょう
嘘と本当を掻き混ぜるような
悪戯をしよう
瓦落多もダイヤも
よく出来ためさ
夢から目覚めたら
誰もが只の髑髏
幕が上がる
拍手が鳴る
僕は何に做れますか?
のらりくらり嘘り
神様と戯る役者
この世界ごと逆さまにすりゃ
裏も表も同んなじことdeath
How are you doing now?
法螺、嗤って
あばよGood bye大根役者
ほんじゃカット2始めよう
3・2・1・and アクション
Acta est fabula.
悲劇のような喜劇を
見せ掛けの衣裳はおサラバさ、
今脱ぎ捨てて
幕が上がる拍手が鳴る
地獄は真夜中怠惰
御伽話よりも
可笑しい人生という名の舞台
終らない夢の中で
僕たちは今日も
誰かのふりをする
ようこそハリボテの世界へ
今日も誰かのふりをする
幕が上がる
拍手が鳴る
僕は何に做れますか?
のらりくらり 嘘偽り
神様と戯る役者


序論

役者とは何者なのか、

この歌詞が描く「嘘」と

「真実」は何を意味するのか。

 

そして、「幕が上がる」

瞬間に人は何を求められ、

何に成り得るのか。

 

二人の対話が物語るのは、

人生という舞台の本質である。


 

第1章 幕が上がる―存在の始まり

少年:
 「メロディウス、

この歌詞の最初に出てくる

『幕が上がる』という言葉、

僕には人生の始まりを

象徴しているように思えるんだ。

 

拍手が鳴り響く中で僕たちは

何者かを演じるよう求められる。

 

けれど、それは僕たちの意思とは

無関係に始まる気がするよ。」

 

メロディウス:
 「興味深い視点だ、少年。

 

『幕が上がる』とは、

確かに人生が私たちに課す

出発点を示している。

 

しかし、この歌詞では役者が

『何に成れますか?』と問うている。

 

つまり、自分が演じる役割を

選び取れる自由が暗示されている

とも言えるのではないかね?」

 

少年: 
「でも、僕たちは

本当に自由なの?

 

この歌詞の

『のらりくらり嘘偽り』のように、

与えられた役を

ただ演じるだけの存在だとしたら、

選択なんて幻想なんじゃない?」

 

メロディウス:
 「確かに、少年。

 

この歌詞では『嘘偽り』や

『神様と戯る役者』という言葉が、

演じることの虚しさを示唆している。

 

だが、それは同時に、

虚構を超えた何かを模索する

可能性も含んでいるのではないか?」


 

第2章 嘘と真実の狭間で―悪戯の哲学

少年: 
「『嘘と本当を掻き混ぜるような

悪戯をしよう』って歌詞には、

現実と虚構が曖昧な世界が

描かれているよね。

 

嘘と本当が混ざり合うと、

結局どちらも意味を

失ってしまうんじゃないのかな?」

 

メロディウス:
 「その視点は面白い。

しかし、少年、考えてみたまえ。

 

この『悪戯』という言葉には

創造的な意図が

込められているのではないか?

 

嘘と本当を掻き混ぜることで、

既存の意味が解体され、

新たな真実が浮かび上がる可能性があるのだ。」

 

少年:
 「でも、その過程で

僕たちはどうなるの?

 

『瓦落多もダイヤも』とあるけれど、

本当に何もかもが

平等で価値を失うなら、

僕たちが目指すものなんてなくなるよ。」

 

メロディウス: 
「いや、価値の消失ではなく

変容だと考えたまえ。

 

夢から覚めれば皆

『只の髑髏』だという部分が象徴的だ。

 

すべてが平等になる瞬間にこそ、

個の価値を問い直す

機会が生まれるのではないか?」


 

第3章 人生という舞台―役者の宿命

少年: 
「『地獄は真夜中怠惰』って

部分が気になるよ。

 

人生の舞台が怠惰な地獄だとしたら、

僕たちは何のために演じ続けるんだろう?」

 

メロディウス: 
「怠惰な地獄、

つまり無為の時間は確かに苦痛だ。

 

しかし、それは同時に、

自己と向き合う貴重な機会でもある。

 

『御伽話よりも可笑しい人生』という

歌詞に現れるユーモアの裏側には、

そんな苦悩を笑い飛ばす

覚悟が見えるではないか。」

 

少年: 
「でも、そんな覚悟を持つことが

できるのは一部の人だけだよ。

 

ほとんどの人は、

『今日も誰かのふりをする』

しかないんじゃない?」

 

メロディウス: 
「その通りだ、少年。

 

しかし、他者のふりをしながらも、

自分自身を忘れない術を

学ぶことができるのではないか。

 

この歌詞が繰り返す

『幕が上がる』というフレーズには、

絶えず新しい始まりが

あることを示唆している。」


 

結論 ハリボテの世界の意味を超えて

少年: 
「最後に、

『ようこそハリボテの世界へ』

というフレーズに戻りたい。

 

結局、この世界は

偽物でしかないってこと?」

 

メロディウス:
 「偽物でしかない、というよりも、

偽物であることが前提の世界だ。

 

だが、少年、偽物の中で

本物を見つけることこそが、

私たちの挑戦ではないか?」

 

少年: 
「本物って何だろう?

役者として生きる以上、

それすらも演じるしかない気がするけど。」

 

メロディウス: 
「その通りだ。

 

だからこそ、

演じる行為そのものが

真実たり得るのだ。

 

この歌詞の中の役者は、

嘘と真実の狭間で『自分』を

探し続ける存在だ。

 

その葛藤こそが、

人生という舞台の本質なのだろう。」

 

少年: 

「人生は舞台で、

僕たちは役者…ならば、

幕が降りるその瞬間まで、

僕たちは演じ続けるしかないんだね。」

 

メロディウス:
 「そうだ。

そして、それを意識的に演じることが、

虚構の世界を超えて

本物を生み出す第一歩なのだよ、少年。」