音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】WANIMA(ワニマ)/爛々ラプソディ この曲の意味とは?光り輝く狂詩曲という言葉を使用した理由を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

WANIMA
爛々ラプソディ

について哲学的に考察していく。


 

WANIMA「爛々ラプソディ」MV

www.youtube.com


爛々ラプソディの歌詞

爛々ラプソディ 
Nobody Nonstop
大胆不敵に想いをイマ
毎晩 闇夜にNobody Nonstop
Drive on Drive on 
Drive on Yeah
 (poisonous, toxic, venomous)
夜のはじまりが待ってる
耳障りさ全てが終わってる
バクバク鼓動が鳴ってる
カラカラに高らか絡まってる
Wow Yeah
That view That view 
That... Where?
些細なことでもいいからまずは
About you About you 
About you Yeah
愛を愛を愛を愛を知って
何を何を何を何を思う
淀みきったいつもの夜さ
忘れ物は何にもないさ
あれもこれも最後灰になって
毎夜毎度迷子 過去に戻る
誰も知らぬ夜に踊るさ
今宵ここに音に
浸かり果てるまで
踊り明かせ残さないで
音の中で君のままで
(まだまだ足りんよ)
旅の終わりを探してる
端からそんなのないと分かってる
バクバク鼓動が鳴ってる
バラバラに逆さま揶揄ってる
Wow Yeah
That view That view 
That... Where?
些細なことでもいいからまずは
踊り踊って弾け翔ぶ
愛を愛を愛を愛を知って
何を何を何を何を思う
淀みきったいつもの夜さ
忘れ物は何にもないさ
強烈過ぎる光の影で
俺の居場所は何処にもないさ
短くないけど長くもないさ
下から上に
突き上げて刺さるまで
何を描くんだろ
これはいつまで続くんだろ
言葉にすればするほど怯む
ふしだらな歌は夜に霞む
群がり嫌んなる深く傷を抉る
何も知らないあの頃のように
ネガは捨てて
この世界で踊り語って夢をみて
愛を愛を愛を愛を知って
何を何を何を何を思う
淀みきったいつもの夜さ
忘れ物は何にもないさ
強烈過ぎる光の影で
俺の居場所は何処にもないさ
終わりが来たなら始まるはずさ
風に吹かれ星を眺め 踊るだけ
愛を愛を愛を愛を知って
何を何を何を何を思う
淀みきったいつもの夜さ
忘れ物は何にもないさ
あれもこれも最後灰になって
毎夜毎度迷子 過去に戻る
誰も知らぬ夜に踊るさ
今宵ここに音に
浸かり果てるまで
踊り明かせ 残さないで
音の中で君のままで 
(まだまだ足りんよ)
爛々ラプソディ 
Nobody Nonstop
(愛を愛を愛を愛を知って)
大胆不敵に想いをイマ
(何を何を何を何を思う)
毎晩 闇夜に 
Nobody Nonstop
愛を愛を愛を愛を知って


 

序論

少年: 
「この歌詞、読んでるだけで

何かが胸に響くんですけど、

具体的に言葉にできないんです。

 

この歌詞が伝えたいものは何なんでしょう?」

 

メロディウス:
 「少年よ、この詩は多層的だ。

 

人間の存在、感情の揺れ、

夜という象徴的な時間――

それらを舞台にした

内面的な探求を描いているようだね。

 

何も隠さず、むき出しの思いが

言葉となって流れる様子は、

ある種の哲学を感じさせる。」

 

少年: 
「僕たちも、この歌詞を通じて

“愛”や“夜”の象徴について

考えてみるのはどうでしょう?」

 

メロディウス: 
「よかろう。

では、詩の世界を通じて愛や存在、

そして永遠に続くダンスのような

人生を探ってみよう。

 

まず、第1章から始めよう。」


 

第1章 夜の象徴とダンスの意味

少年: 
「“毎晩 闇夜に Nobody Nonstop”

というフレーズ、

夜の静けさの中で

何か止まらないものを感じます。

 

夜って、どんな意味を

持っているんでしょう?」

 

メロディウス: 
「夜は哲学的には

“無”や“空白”の象徴だ。

 

日常の忙しさから

解放される一方で、孤独や自己と

向き合わざるを得ない時間でもある。

 

この詩では、

夜が自由と同時に迷子になる

舞台として描かれている。

 

闇の中で踊り続けること、

それは迷いや不安の中でも

自己表現を止めないという

挑戦の姿勢を示しているのではないか?」

 

少年: 
「じゃあ、踊るってことは、

夜に飲み込まれないための抵抗なのかな?」

 

メロディウス: 
「そうだろう。

踊りは単なる身体の動きではなく、

存在の肯定だ。

 

夜という終わりの象徴の中で

踊ることは、生きること

そのものを肯定している。

 

君も踊ることの楽しさや

解放感を感じたことがあるだろう?」

 

少年: 
「ええ、あります!

音楽に身を任せていると、

何も考えなくていいような、

でも自分がちゃんと“ここにいる”って感じます。」


 

第2章 愛の探求と失われたもの

少年: 
「“愛を愛を愛を愛を知って、

何を何を何を何を思う”って、

すごく繰り返されてるけど、

何か強く問いかけられてる気がします。

 

この“愛”って、いったい

何なんでしょう?」

 

メロディウス:
 「愛とは、哲学において

永遠のテーマだね。

 

この詩で繰り返される

“愛を知る”というフレーズは、

ただ誰かを好きになるという

意味を超えているように思える。

 

愛を知ることは、

人間が本質的な問いを抱える瞬間を

意味しているのではないか?」

 

少年:
 「でも、愛を知ることで

何を思うかって聞かれると、

すぐには答えられない気がします。」

 

メロディウス:
 「そこが重要なんだ。

愛を知ることは、常に問いを生む。

 

人を愛すること、自分を愛すること、

存在そのものへの愛――

そのどれもが不完全で、

未完成のまま続いていく。

 

この歌詞では、愛を探求すること

自体が目的であり、

答えがないことを暗示しているようだ。」

 

少年: 
「じゃあ、“忘れ物は何にもないさ”

っていうフレーズは、

過去を乗り越えたってことなのかな?」

 

メロディウス:
 「いや、むしろそれは、

何かを失ってしまったことへの

皮肉ともとれる。

 

人間は失ったものに

気づけないことが多い。

 

愛もまたそうで、

知ってしまった瞬間には

既にそれが過去のものになっている

可能性がある。」


 

第3章 光と影、そして居場所の問題

少年: 
「“強烈過ぎる光の影で、

俺の居場所は何処にもないさ”って、

光が影を作るっていうのは分かるけど、

どういう意味なんでしょう?」

 

メロディウス:
 「光は希望や成功、

輝きを象徴する一方で、

それに伴う影は孤独や

疎外感を示している。

 

この歌詞では、光と影が同時に

存在する中で自分の居場所を探している

心情が描かれているようだね。」

 

少年:
 「つまり、光に向かえば向かうほど、

自分がどこにいるのか

分からなくなるってこと?」

 

メロディウス:
 「その通りだ。

成功や明るい未来に向かう努力の中で、

人はしばしば自己を見失う。

 

この詩では、短い人生の中で、

光と影の間をさまよう

人間の矛盾を描いているようだ。」

 

少年:
 「それで、

“終わりが来たなら始まるはずさ”

って、影の中にも希望を

見つけようとしてるんですね。」

 

メロディウス:
 「そうだ。

終わりがあるからこそ始まりがある。

 

それは夜明けのように、

絶望の中から新たな可能性を

見出すというポジティブなメッセージだ。」


 

結論 爛々ラプソディの哲学的意義

少年:
 「この歌詞、

愛を知るとか、

夜に踊るとか、

深いテーマがたくさんありますけど、

結局何を伝えようとしてるんでしょう?」

 

メロディウス:
 「それは

“生きることそのものの輝き”だよ。

 

この歌詞が示しているのは、

終わりの中に生きる人間の姿だ。

 

夜という象徴の中で

迷い、踊り、愛を探す――

そのすべてが生きることの証明だ。

 

答えを出すのではなく、

問い続け、

踊り続けることに価値があるのだ。」

 

少年: 
「踊り続けるって、

迷いながらも進むってことなんですね。

 

なんだか、

ちょっと勇気が出てきました。」

 

メロディウス: 
「そうだよ、少年。

人生は一つのラプソディだ。

 

爛々と輝く情熱を持って、

君も自分の音楽に合わせて

踊り続ければいい。」