諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
沙花叉クロヱ
モードク
について哲学的に考察していく。
沙花叉クロヱ「モードク」MV
モードクの歌詞
相談ねはいはい
正論じゃ嫌な連中
同情はないない悪いのアナタ
語彙が足んない伝わらないわ
感情はないない
つまらないのよ
ドドクドクドク
ドドクドクドク
さよならはーい
もう会わない
興味がないわ
ドドクドクドク
ドドクドクドク
はいそれ害
アタシのタイム
奪っておいて無駄
結論非効率ダメ
限界
モードクドク
吐かして頂戴
面倒ねアナタの相手
嫌い嫌い嫌い嫌い
ブルっちゃダメなの?
ワレモノね
モードクドク至って冷静
表情も変えないで論破
嫌い嫌い嫌い嫌い
笑っちゃダメなの?
綺麗なようですね
素敵なドクドクしい
ミュージック
会社で飲み会嫌な話
フラれて行けないあの花火
やたらと冷たい口調止し
愛されてきた
これが証どーでもいいじゃん
そんなこと行かないで
オッケー
どーでもいいじゃん
そんなこと
一人で見れば
どーでもいいじゃん
そんなこと
話が進まない
どーでもいいじゃん
そんなこと
証とカカシ
モードクドク蓋して融解
表面じゃ良い子のフリして
イラッイラッイラッイラッ
無視っちゃダメなの?
バカだりぃね
モードクドク
泣かして大変
ぎゃあぎゃあと
五月蝿いなモンスター
イラッイラッイラッイラッ
黙ってお願い無駄に喚いたって
変わるわけないのにどうして
結論非効率ダメ
限界
モードクドク
吐かして頂戴
面倒ねアナタの相手
嫌い嫌い嫌い嫌い
ブルっちゃダメなの?
ワレモノね
モードクドク
至って冷静
表情も変えないで論破
嫌い嫌い嫌い嫌い
笑っちゃダメなの?
綺麗なようですね
素敵なドクドクしい
ミュージック
少しは反省しますバイバイ
序論 自己表現の毒と純粋性の狭間
少年:
「この歌詞、
なんだかイライラとか嫌悪とか、
そういうネガティブな感情が
すごく強調されてるね。
でも、どこかでそのイライラが
美しくも感じるのはどうしてだろう?」
メロディウス:
「少年よ、それが表現の
妙味というものだ。
この歌詞は、一見すると
ただの不満や否定の連続に見える。
しかし、その根底には”自己表現”という
一つの普遍的なテーマが流れている。
それを私たちは
これから解き明かしていこう。」
第1章 否定の美学と自己の確立
少年:
「まず、『嫌い嫌い嫌い嫌い』とか
『興味がない』っていうフレーズが
繰り返されているけど、
これってどう解釈すればいいの?」
メロディウス:
「それは否定の美学だよ、少年。
この歌詞の語り手は、
自己の領域を守るために
他者を断固として拒絶している。
現代社会では、
他者と過剰に関わることで
自分を見失いがちだ。
この『嫌い』の反復は、
自らの輪郭を強調するための
自己防衛でもある。」
少年:
「でも、ただ否定してるだけだと
空虚に感じられるんじゃない?」
メロディウス:
「その通りだ。
しかし、注目すべきは
その否定が単なる拒絶ではなく、
“冷静に論破”するという
形を取っていることだ。
『至って冷静 表情も変えないで論破』
という部分だね。
ここで語り手は、
感情の奔流に飲まれず、
むしろ知性によって
他者との境界を引き直そうとしている。」
第2章 感情の効率化と現代のモード
少年:
「『結論非効率ダメ 限界』
ってあるけど、
これって感情に対しても
効率を求めているのかな?」
メロディウス:
「その通りだ。
現代人は効率性を何よりも重視する。
特に、感情の領域でも
それが侵食している。
『面倒ねアナタの相手』という
フレーズには、非効率な人間関係に対する
倦怠感が含まれているのだろう。
だが、この効率性は
真に幸福をもたらすものだろうか?」
少年:
「それは難しいな。
感情って非効率だからこそ
人間的とも言えるしね。
でも、効率を求めすぎると
冷たくなりすぎるのかな。」
メロディウス:
「おそらく、この歌詞が
内包する毒性は、効率性を
求めるがゆえに失われていく
人間性への一種の警鐘とも取れる。
そしてその毒は、逆説的に
語り手の純粋性も表しているのだよ。」
第3章 毒の中の純粋性
少年:
「でも、なんでこの歌詞は
こんなに毒々しいのに、
どこか美しく感じるんだろう?」
メロディウス:
「それが”純粋性”だよ。
『素敵なドクドクしい ミュージック』
というフレーズに象徴されるように、
語り手は自分の感情に対して
徹底的に正直であろうとしている。
たとえそれが
不快感や毒性であったとしてもだ。」
少年:
「純粋だからこそ、
人を突き放すような言葉も
逆に共感を呼ぶのかもしれないね。
偽りのない感情がそこにあるから。」
メロディウス:
「その通りだ。
そして、それはまた、語り手が
自分自身の感情を否定せずに
受け入れている姿勢の表れでもある。
『バイバイ 少しは反省します』
という終わり方は、
一見軽薄に見えるが、
自分を客観視しつつも、
その感情を否定しない一種の自己肯定だ。」
結論 毒と純粋性の共存
少年:
「結局、この歌詞は
毒に満ちているようで、
同時にそれが自己表現の
純粋な形でもあるってことだよね?」
メロディウス:
「その通り。
『モードク』は、現代人の抱える
人間関係の不毛さや
感情の効率化というテーマを、
毒々しくも美しい形で表現している。
その毒は、
語り手の純粋性の裏返しでもあり、
私たちに感情のあり方を
問い直させるのだよ。」
少年:
「なんだか、
毒って悪いものばかりじゃ
ないんだね。
むしろ、自分を守るための
武器になることもあるんだ。」
メロディウス:
「そうだ。
毒とは時に他者を遠ざけるが、
同時に自己の輪郭を明確にし、
内なる純粋性を輝かせるものでもある。
この歌詞は、そんな二面性を
巧みに描き出していると言えるだろう。」