音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】秦 基博・TOMOO/青葉 この曲の意味とは?時や季節の流れを感じる音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

秦 基博/TOMOO
青葉

について哲学的に考察していく。


 

秦 基博/TOMOO「青葉」MV

www.youtube.com


青葉の歌詞

薫る風巡る青葉
今年も緑道を染めた
その眩さに目を細めて
滲むシャツの袖をまくった
園児らは影を抜けて
人差し指の先へ
意味なんて考えなくても
きっと歩けてたのに
押し寄せたきらめきや
痛みはもう懐かしい
そんな日が来ると知らず
夏を急いでた
惑いながら空を
指差したわけはどこかでまだ 
自分のこと言じてるからかな
衒いもなく
夢を語れなくなっても
陽の光はいつだって
同じように
今を照らしてくれる
いつまでも残る歌は
小さな木漏れ日作って
なくしたつもりの過去達も
不意に触れてくるよう


序論

少年:
メロディウス、

歌詞というのは、

不思議なものですね。

 

この歌詞にも、

青葉や風、夏の記憶が

描かれていますが、

ただの情景描写を超えて、

何か深い意味が込められている気がします。

 

メロディウス:
確かに。歌詞は単なる

言葉以上のものだ。

 

とりわけ、この「青葉」という歌詞には、

時間の流れ、記憶、

そして人間の存在意義についての

暗示が含まれているように思える。

 

今日は、この歌詞を通して、

それぞれのテーマを掘り下げてみようか。


 

第1章 青葉と時間の流れ

少年:
まず、「薫る風巡る青葉」という

表現についてですが、

ここには季節の巡りが

象徴されているのでしょうか?

 

メロディウス:
そうだね。

この冒頭のフレーズは、

季節の循環、

つまり自然の時間の流れを象徴している。

 

人間が一瞬の出来事に

囚われがちなのに対し、

自然は循環的であり、

無限に続くように見える。

 

青葉はまた、新たな生命や

成長の象徴でもあるだろう。

 

少年:
でも、その後に

「今年も緑道を染めた」とあるので、

同じ青葉でも

毎年少し違うんじゃないですか?

 

メロディウス:
そこが重要だ。

「同じようでいて、同じではない」

というのは時間の本質を示している。

 

青葉は毎年巡ってくるが、

それを観る私たちは毎年変化している。

 

この歌詞が伝えたいのは、

その変化に気づける

感受性を大切にすることではないかな。

 

少年:
「その眩さに目を細めて」

という行にも、

そうした一瞬の感覚の美しさが

込められているのかもしれませんね。

 

第2章 子どもと大人の視点の違い

少年:
次に気になるのは

「園児らは影を抜けて」

という部分です。

 

子どもたちが描かれていますが、

これはどう解釈すればよいでしょう?

 

メロディウス:
園児たちは純粋で、

未来への期待に満ちている存在だ。

 

彼らは「意味なんて考えなくても

きっと歩けてたのに」とあるように、

行動に迷いや計算がない。

 

しかし、大人になると

物事の意味を追求しすぎて、

自由な視点を失うことがある。

 

少年:
確かに僕たちは、

大人になるにつれて

考えすぎてしまうことがありますよね。

 

意味を考えない方が、

もっと自由に動けるのかもしれません。

 

メロディウス:
その通りだ。

しかし、

意味を考えるようになるのもまた、

人間の成長の一部だ。

 

歌詞の中では、

そんな人間の「失われるもの」と

「得られるもの」の

バランスを示唆しているようだね。


 

第3章 記憶と過去の価値

少年:
「押し寄せたきらめきや

痛みはもう懐かしい」という

部分も深いですね。

 

苦しみや喜びが過去になると

懐かしさに変わるというのは、

不思議です。

 

メロディウス:
それが時間の魔法だ。

 

痛みですら、時間が経つと

懐かしさや愛おしさに変化する。

 

この変化は、

記憶が単なる

情報の集積ではなく、

私たち自身を形作るものだからだと思う。

 

少年:
「なくしたつもりの過去達も

不意に触れてくるよう」

という歌詞も似ていますね。

 

忘れたつもりの記憶が

ふと蘇る瞬間、

それが歌や風景によって

引き出されることがあります。

 

メロディウス:
その通りだ。

歌や自然、特定の香りなどは、

記憶を触発する媒介となる。

 

この一節は、人間の過去が

単なる消え去ったものではなく、

今の自分の中に潜在的

存在していることを教えている。


 

第4章 現在を生きる意味

少年:
「陽の光はいつだって

同じように 今を照らしてくれる」

という歌詞は、

未来や過去ばかりを

見がちな人間に対して

「今」を大切にしろと

言っているように感じます。

 

メロディウス:
よく気づいたね。

 

この部分はまさに、

「現在の価値」を強調している。

 

人は過去を悔やみ、

未来を不安に思いがちだが、

この瞬間の陽の光だけは

確かに存在し、

私たちを照らしてくれている。

 

それを感じ取る感性が重要だ。

 

少年:
「夢を語れなくなっても」

というのはどうでしょう?

 

夢を失うことは、

やはり悪いことなのでしょうか?

 

メロディウス:
夢を失うことは

悲しいように見えるが、

それは必ずしも悪いことではない。

 

むしろ、夢を失った後もなお、

「陽の光」が同じように

照らしているという事実に

気づくことが大切なのだ。

 

つまり、夢や理想がなくても、

生きる意味は見出せる。


 

結論 青葉が教える人生の哲学

少年:
青葉というのは、

ただの季節の象徴ではなく

人間の時間、記憶、

そして今を生きる意味を

深く問いかけているのですね。

 

メロディウス:
その通りだ。

青葉は、自然が教えてくれる

「生の循環」と「変化」の象徴だ。

 

そして歌詞全体を通して、

人間が感じる一瞬一瞬の感覚の

美しさや、その記憶が

後の人生を形作る大切さが描かれている。

 

少年:
この歌詞を読むと、

自分の過去も今も

大切にしたいという気持ちになります。

 

メロディウス:
それこそが、

この歌詞が読者やリスナーに

伝えたいメッセージだろう。

 

どんなに時間が流れても、

青葉のように新しい瞬間が巡ってくる。

 

その瞬間を見逃さず、

懐かしい記憶や変化を

受け入れながら生きること。

 

それが人生の哲学ではないかな。

 

少年:
ありがとうございます、

メロディウスさん。

 

僕もこれから、「今」という

光を大切にして生きてみます!

 

メロディウス:
そうだね。

 

その決意こそが、

この歌詞の一番の贈り物かもしれない。