諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
秦 基博/TOMOO
青葉
について哲学的に考察していく。
秦 基博/TOMOO「青葉」MV
青葉の歌詞
薫る風巡る青葉
今年も緑道を染めた
その眩さに目を細めて
滲むシャツの袖をまくった
園児らは影を抜けて
人差し指の先へ
意味なんて考えなくても
きっと歩けてたのに
押し寄せたきらめきや
痛みはもう懐かしい
そんな日が来ると知らず
夏を急いでた
惑いながら空を
指差したわけはどこかでまだ
自分のこと言じてるからかな
衒いもなく
夢を語れなくなっても
陽の光はいつだって
同じように
今を照らしてくれる
いつまでも残る歌は
小さな木漏れ日作って
なくしたつもりの過去達も
不意に触れてくるよう
序論
少年:
メロディウス、
歌詞というのは、
不思議なものですね。
この歌詞にも、
青葉や風、夏の記憶が
描かれていますが、
ただの情景描写を超えて、
何か深い意味が込められている気がします。
メロディウス:
確かに。歌詞は単なる
言葉以上のものだ。
とりわけ、この「青葉」という歌詞には、
時間の流れ、記憶、
そして人間の存在意義についての
暗示が含まれているように思える。
今日は、この歌詞を通して、
それぞれのテーマを掘り下げてみようか。
第1章 青葉と時間の流れ
少年:
まず、「薫る風巡る青葉」という
表現についてですが、
ここには季節の巡りが
象徴されているのでしょうか?
メロディウス:
そうだね。
この冒頭のフレーズは、
季節の循環、
つまり自然の時間の流れを象徴している。
人間が一瞬の出来事に
囚われがちなのに対し、
自然は循環的であり、
無限に続くように見える。
青葉はまた、新たな生命や
成長の象徴でもあるだろう。
少年:
でも、その後に
「今年も緑道を染めた」とあるので、
同じ青葉でも
毎年少し違うんじゃないですか?
メロディウス:
そこが重要だ。
「同じようでいて、同じではない」
というのは時間の本質を示している。
青葉は毎年巡ってくるが、
それを観る私たちは毎年変化している。
この歌詞が伝えたいのは、
その変化に気づける
感受性を大切にすることではないかな。
少年:
「その眩さに目を細めて」
という行にも、
そうした一瞬の感覚の美しさが
込められているのかもしれませんね。
第2章 子どもと大人の視点の違い
少年:
次に気になるのは
「園児らは影を抜けて」
という部分です。
子どもたちが描かれていますが、
これはどう解釈すればよいでしょう?
メロディウス:
園児たちは純粋で、
未来への期待に満ちている存在だ。
彼らは「意味なんて考えなくても
きっと歩けてたのに」とあるように、
行動に迷いや計算がない。
しかし、大人になると
物事の意味を追求しすぎて、
自由な視点を失うことがある。
少年:
確かに僕たちは、
大人になるにつれて
考えすぎてしまうことがありますよね。
意味を考えない方が、
もっと自由に動けるのかもしれません。
メロディウス:
その通りだ。
しかし、
意味を考えるようになるのもまた、
人間の成長の一部だ。
歌詞の中では、
そんな人間の「失われるもの」と
「得られるもの」の
バランスを示唆しているようだね。
第3章 記憶と過去の価値
少年:
「押し寄せたきらめきや
痛みはもう懐かしい」という
部分も深いですね。
苦しみや喜びが過去になると
懐かしさに変わるというのは、
不思議です。
メロディウス:
それが時間の魔法だ。
痛みですら、時間が経つと
懐かしさや愛おしさに変化する。
この変化は、
記憶が単なる
情報の集積ではなく、
私たち自身を形作るものだからだと思う。
少年:
「なくしたつもりの過去達も
不意に触れてくるよう」
という歌詞も似ていますね。
忘れたつもりの記憶が
ふと蘇る瞬間、
それが歌や風景によって
引き出されることがあります。
メロディウス:
その通りだ。
歌や自然、特定の香りなどは、
記憶を触発する媒介となる。
この一節は、人間の過去が
単なる消え去ったものではなく、
今の自分の中に潜在的に
存在していることを教えている。
第4章 現在を生きる意味
少年:
「陽の光はいつだって
同じように 今を照らしてくれる」
という歌詞は、
未来や過去ばかりを
見がちな人間に対して
「今」を大切にしろと
言っているように感じます。
メロディウス:
よく気づいたね。
この部分はまさに、
「現在の価値」を強調している。
人は過去を悔やみ、
未来を不安に思いがちだが、
この瞬間の陽の光だけは
確かに存在し、
私たちを照らしてくれている。
それを感じ取る感性が重要だ。
少年:
「夢を語れなくなっても」
というのはどうでしょう?
夢を失うことは、
やはり悪いことなのでしょうか?
メロディウス:
夢を失うことは
悲しいように見えるが、
それは必ずしも悪いことではない。
むしろ、夢を失った後もなお、
「陽の光」が同じように
照らしているという事実に
気づくことが大切なのだ。
つまり、夢や理想がなくても、
生きる意味は見出せる。
結論 青葉が教える人生の哲学
少年:
青葉というのは、
ただの季節の象徴ではなく
人間の時間、記憶、
そして今を生きる意味を
深く問いかけているのですね。
メロディウス:
その通りだ。
青葉は、自然が教えてくれる
「生の循環」と「変化」の象徴だ。
そして歌詞全体を通して、
人間が感じる一瞬一瞬の感覚の
美しさや、その記憶が
後の人生を形作る大切さが描かれている。
少年:
この歌詞を読むと、
自分の過去も今も
大切にしたいという気持ちになります。
メロディウス:
それこそが、
この歌詞が読者やリスナーに
伝えたいメッセージだろう。
どんなに時間が流れても、
青葉のように新しい瞬間が巡ってくる。
その瞬間を見逃さず、
懐かしい記憶や変化を
受け入れながら生きること。
それが人生の哲学ではないかな。
少年:
ありがとうございます、
メロディウスさん。
僕もこれから、「今」という
光を大切にして生きてみます!
メロディウス:
そうだね。
その決意こそが、
この歌詞の一番の贈り物かもしれない。