諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
モアナと伝説の海2
beyond
について英語と日本語の比較を
哲学的に実施しその比較を元に考察していく。
- モアナと伝説の海2 「beyond」 MV
- Auli'i Cravalho/Beyond(English version 歌詞/和訳)
- ME:I・屋比久知奈/Beyond(japanese version)
- 第1章 未知への憧れと内省の狭間
- 第2章 自己を超えて在り続けるために
モアナと伝説の海2 「beyond」 MV
モアナと伝説の海2
Auli'i Cravalho/Beyond(English version 歌詞/和訳)
I know these stars above the ocean
私は海の上の星々を知っている
Now new skies call me by name
今、新たな空が私の名を呼んでいる
And suddenly, nothing feels the same
そして突然、全てがこれまでとは違って感じられる
I know the path that must be chosen
選ばなければならない道がわかっている
But this is bigger than before
けれど、これはこれまでよりも大きなものだ
Winds have changed, tides turn me far away from shore
風が変わり、潮が私を岸から遠くへ運んでいく
What waits for me, forever far from home
家から永遠に遠く離れて、私を待つものは何なのか
From everything and everyone I’ve ever known?
私が知っていた全ての人や物から離れて
What lies beyond, under skies I’ve never seen?
見たことのない空の下には何があるのか
Will I lose myself between my home and what’s unknown?
故郷と未知の間で、自分を見失ってしまうのだろうか
If I go beyond leaving all I love behind
愛する全てを置いて進むなら
With the future of our people still to find
まだ見ぬ私たちの未来を探し求めて
Can I go beyond?
私は超えて行けるだろうか?
There is destiny in motion
運命が動き始めている
And it’s only just begun
そしてそれはまだ始まったばかり
Now will this life I’ve worked so hard for come undone?
この一生懸命築いてきた人生は崩れてしまうのだろうか?
They’re calling me, I must reply
彼らが私を呼んでいる、応えなければならない
But if I leave, how could I ever say goodbye?
でももし私が去るなら、どうやって別れを告げられるのか
What lies beyond on the vast, uncharted sea?
広大で未知の海の向こうには何があるのか
Will I lose myself between all that we know right here
私たちがここで知っている全てとその間で迷うだろうか
What’s out there beyond, leaving all I love behind
愛する全てを置いて進んだ先には何があるのか
With the future of our people still to find?
私たちの未来をまだ見つけなければならないのに
Can I go beyond?
私はその先へ行けるのだろうか?
If I’m not here to hold her hand
もし私がここで彼女の手を握ることができなければ
Will she grow to understand?
彼女はいつか理解するだろうか
I’ll always be right beside you
私はいつもあなたのそばにいる
But perhaps you’re meant for more
でも、あなたはもっと大きな運命に導かれているのかもしれない
I can’t see where your story leads
あなたの物語がどこへ向かうのかは見えない
But we never stop choosing who we are
でも私たちは、誰であるかを選び続ける
I’ll go beyond and although I don’t know when
私はその先へ進む、いつになるかわからないけれど
I will reach these sands again, ‘cause I know who I am
またこの地に戻る、なぜなら私が誰であるかを知っているから
I am Moana of the land and of the sea
私は土地と海のモアナ
And I promise that is who I’ll always be
そして私はずっとそうあり続けることを約束する
I must go, I will go, they will know
私は行かなければならない、行くだろう、そして彼らは知るだろう
What lies beyond!
その向こうに何があるのかを!
ME:I・屋比久知奈/Beyond(japanese version)
ビヨンド~超えてゆこう~
煌めく星の光
今私を呼んで
全てを変えてしまうのね
選ぶべき道は分かっていたけど
この風が引き離してしまったの
どうすればいい知らない場所
遠い海何が待ってるの?
その向こう
果てしない空に
自分見失い彷徨ってしまうの
ねえ行けるの愛する人たち
すべてを置き去りにして ああ
越えてゆくの
動き出した運命が
そう始まったばかり
間違えばすべて 水の泡
呼ぶ声に応えなければでも
言えない言えない「さよなら」
その向こう
果てしない海に
自分見失い彷徨ってしまうの
ねえいけるの愛する人たち
みんなを置き去りにしてああ
越えてゆくの
私がいなくて大丈夫かしらね
いつもそばで見ている
お前は海に選ばれた
物語の先はわからないでも
どんな自分になるかは
決められる
その向こう 戻ると信じて
さあ漕ぎ出そう
そうよ私は...
私はモアナ
この海とともに
自分で在りつづけるために
誓うの海の果てさえも
越えてゆこう
第1章 未知への憧れと内省の狭間
少年:
「メロディウス、
この英語版と日本語版の歌詞を
比べてみると、何か違いを感じますか?」
メロディウス:
「確かに違いがあるね、少年よ。
言葉はただの記号ではなく、
文化や感情をも包み込む器だ。
この二つのバージョンは、
同じテーマを扱いながらも、
それぞれ異なるニュアンスを持っている。」
少年:
「例えばどんなニュアンスですか?」
メロディウス:
「英語版は、モアナの視点を中心に置き、
彼女の決意と問いかけに焦点を当てている。
『What lies beyond?』と問い続ける言葉には、
未知への憧れと恐れが混在している。
その一方で、日本語版はより叙情的で、
彼女の内面の葛藤が繊細に描かれている。
『果てしない空に
自分見失い彷徨ってしまうの』という表現は、
失うことへの恐れをより明確に感じさせる。」
少年:
「つまり、英語版は冒険心が強調され、
日本語版は不安や内省が際立っていると?」
メロディウス:
「その通りだ。
しかし、さらに深く考えれば、
この違いは言語そのものの
哲学的性質に由来するのかもしれない。
英語は行動を促す言葉、
外向的で未来志向的だ。
一方、日本語は感情の揺らぎや曖昧さ、
内省を重んじる傾向がある。」
少年:
「では、この歌の哲学的テーマは何でしょう?」
メロディウス:
「それは『自己の探求』と『選択』だろう。
モアナは、
未知の世界に踏み出すことで
自分自身を見つけようとしている。
しかし、選択には必ず代償が伴う。
愛するものを置き去りに
するかもしれないという
苦悩もその一部だ。
この葛藤こそ、人間が自由意志を
持つ限り避けられないものだ。」
少年:
「自由意志とは何ですか?
それは本当に私たちにあるのでしょうか?」
メロディウス:
「良い問いだね、少年。
自由意志とは、
私たちが自己の行動や選択を
制御できるという感覚だ。
しかし、モアナのように運命に
導かれる存在が問いかけるのは、
『運命と自由意志は両立するのか?』
という問題だ。
彼女は運命の声に従う一方で、
それを選び取る自由も持っていると感じている。」
少年:
「それは矛盾ではないですか?」
メロディウス:
「そうとも言えるし、
そうでないとも言える。
運命の声は彼女に方向性を与えるが、
進むかどうかを決めるのは彼女自身だ。
これはまさにサルトルが語った
『存在が本質に先立つ』
という考えに通じる。
私たちは環境や
他者の影響を受けながらも、
それをどのように受け入れ、
意味づけるかを選べる存在だ。」
少年:
「日本語版の叙情的な描写も、
この自由意志と運命の関係を
表しているのでしょうか?」
メロディウス:
「そうだね。
特に『物語の先はわからない
でもどんな自分になるかは決められる』
という一節は、
未来が不確定であるにも関わらず、
自己を形作る責任は
自分にあるというメッセージを伝えている。
この点で、日本語版はより静謐で
深遠な哲学的問いかけを含んでいると感じる。」
少年:
「つまり、英語版と日本語版は
同じテーマを違う角度から
照らしている、と?」
メロディウス:
「そうだ。
英語版は冒険者の叫び、
日本語版は内省者の呟きだ。
両者が共通して問いかけるのは、
『私たちは誰であり、どこへ向かうべきか』
という普遍的なテーマだ。
それはどの文化においても、
人間が避けて通れない問いなのだよ。」
第2章 自己を超えて在り続けるために
少年:
「メロディウス、
さっき話してくれたように、
英語版は冒険心、
日本語版は内省的だと感じたけれど、
なぜ同じテーマなのに
これほど表現が違うのでしょう?」
メロディウス:
「それは文化的背景の違いに
大きく関係している。
英語版が冒険心や行動を強調するのは
西洋文化の中核にある
“個の拡張”という思想の表れだ。
一方で、日本語版が
内省を強調するのは、
日本文化が重んじる
“和”や“内なる調和”の
価値観に根ざしているのだろう。」
少年:
「“個の拡張”とはどういうことですか?」
メロディウス:
「西洋哲学において、
特に近代以降は、
自己という存在が他者や環境を
超えて成長し、
外界を変革していくことが理想とされてきた。
モアナの英語版では、
彼女が未知の世界に足を踏み入れることで
“自分を知る”というテーマが語られている。
この挑戦こそが、
彼女が“超えるべきもの”として
描かれているんだ。」
少年:
「じゃあ、
日本語版が示している
“内なる調和”とは?」
メロディウス:
「日本文化では、自分と他者、
あるいは環境との調和が重視される。
だからこそ、
『もし私がいなくて、
誰かが悲しむのではないか』という
感情が深く表現されている。
『果てしない空に自分見失い』
という歌詞は、自分がどこにいるのか、
誰とのつながりが
残っているのかという
問いかけが核心にある。」
少年:
「それって、どちらの考え方が
正しいとかあるんですか?」
メロディウス:
「正しいかどうかではなく、
どちらも人間が抱える
二面性を描いているのだ。
西洋的な『外へ進む意志』と
東洋的な『内を探る心』は、
相反するようでいて、
実際はどちらも必要不可欠だ。
モアナ自身も
その二つの間で揺れ動いている。
彼女は冒険へと進むが、
同時にその冒険が自分や
愛する人々に
どのような影響を及ぼすのかを
深く考えている。」
少年:
「この二つを両立させることは
できるのでしょうか?」
メロディウス:
「それこそが哲学の永遠のテーマだよ、少年。
カントの言葉を借りれば、
私たちは“理性”と“感性”の間で
生きている存在だ。
冒険のような外向的行為は
理性による目標設定と実践の結果だが、
内省は感性によって自己や他者を
見つめ直す行為だ。
モアナの物語は、外と内の調和を
追求する旅そのものと言える。」
少年:
「英語版で
『I am Moana of the land and of the sea』
と言っている部分と、
日本語版の
『私はモアナ、
この海とともに自分で在りつづける』
という部分、
ここにはどんな違いがあるのでしょう?」
メロディウス:
「英語版では、
自分が“海”と“土地”の両方に
属していることを宣言している。
つまり、自己のアイデンティティを
大きな枠組みの中で位置づけている。
一方で、日本語版の
『自分で在りつづける』という表現は、
変わりゆく環境の中で
“自分”という存在そのものを
保とうとする努力を表している。
どちらも『自分とは何か』
という問いだが、
英語版は外向きに自己を定義し、
日本語版は内向きに自己を探る。」
少年:
「つまり、英語版は
“私はこれだ!”と宣言し、
日本語版は
“私は何であるべきか”を問うている?」
メロディウス:
「その通りだ、少年。
そして、どちらも人間が
自己を理解しようとするときに
避けて通れないプロセスだ。
この歌が持つ深さは、
まさにその両方を考えさせる点にある。」
少年:
「モアナが最後に選んだ冒険、
それは彼女にとって
どんな意味を持つのでしょう?」
メロディウス:
「それは彼女が
『自分で在る』ことを選び、
それを証明する行動だ。
彼女は冒険を通して
自分の中にある未知の可能性を
見つけると同時に、
故郷や愛する者への想いも忘れない。
哲学的に言えば、
そしてその実現は、
未知への恐れを抱きつつも
進む勇気の中にあるのだよ。」