音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】B'z/鞭 この曲の意味とは?稲葉作詞,松本作曲で作成されたインフォーマの主題歌を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

B'z

について哲学的に考察していく。


 

B'z「鞭」MV

※更新され次第Up致します。


鞭の歌詞

耳コピのため

わからない単語は?で表してます。

ひんやり汗が背中に
すべり不愉快
どんより目眩しくて
道路は歪む
にんまりにやけ
誰かが浮かんで
思わず君は絶叫
放り出すなら恥の甲斐もない
そう言ってまた
自分を鞭打つの
ムチャしたいんでしょ
どうしても
みっともなさも平らげて
馬鹿みたいに汗まみれ
心と体追い込んで
容赦ない視線と 
ムードに飲み込まれ
しょうがない君は
鞭を手放せない
止まんない血の色に
問いかけてごらんなよ
これって何のため誰のため?
私の奴隷は私なの
限界を超えろと
合唱が聞こえる
ムチャしたいんでしょ
どうしても
置いてかれるのが辛いから
休みたいならそれもいい
出口を探すのも良い
鞭打ちな無恥なまま
鞭に夢中なら(?)
ムチャクチャしたいんでしょ
どうしても
他に行くとこ見えないから
自分次第だよその先は
想像ばっかりじゃ寂しい
鞭打ちな無恥なまま
鞭に夢中なら(?)
鞭打ちな
無恥なまま
鞭に夢中(?)

耳コピのため

わからない単語は?で表してます。



序論

少年: 
メロディウス、この歌詞を読んで、

何か心に引っかかるものがあったんだ。

 

自分を鞭打ちながら進もうとする様子、

無理を重ねても止まれない姿勢、

これってどう思う?

 

メロディウス: 
興味深いね、少年。

 

この歌詞は「自己の限界」と

「他者の視線」の間で揺れる

存在を描いているようだ。

 

鞭を象徴として、

自分を追い込む行為と、

その背後にある人間の欲求や

恐れを見つめる必要があるだろう。


 

第1章  「鞭」の象徴と自己の在り方

少年: 
「鞭打ちな無恥なまま」って

何度も歌われてるけど、

「鞭」は何を象徴しているの?

 

メロディウス: 
鞭は「自己規律」や「達成への執着」を

象徴していると考えられる。

 

自己を叱咤し、

限界を超えようとする姿勢だね。

 

しかし、興味深いのは

「無恥」という言葉が添えられている点だ。

 

この無恥は、

おそらく他者の視線や

社会的な評価を気にせずに

突き進む姿勢を示しているのだろう。

 

だがそれは、本当に自由なのか、

それとも別の束縛に囚われているのか?

 

少年: 
自由に見えて、

実は「置いてかれるのが辛いから」って

理由で進むんだよね。

 

それって他者の目に追われてる感じがする。

 

メロディウス: 
その通りだ。

ここで矛盾が生じる。

 

鞭を手放せない理由が、

自分の内発的な欲求ではなく、

外部からの圧力である場合、

その行動は「自由」ではない。

 

むしろ、自らが

「自己の奴隷」となることで、

他者や社会への従属を

維持していると言えるかもしれないね。


 

第2章 限界を超えることの意味

少年: 
「限界を超えろと合唱が聞こえる」

って部分、何かゾクッとしたんだ。

 

この「合唱」って何だと思う?

 

メロディウス: 
それは、社会や集団からの

無言のプレッシャーではないだろうか。

 

人々は「限界を超えること」に

価値を置き、それを賛美する文化を持つ。

 

しかし、それが全ての人にとって

善であるとは限らない。

 

少年: 
でも、やっぱり

「限界を超える」ことには

憧れがあるんだ。

 

超えた先に何かがある気がして。

 

メロディウス: 
そうだね。

人間は、自らの可能性を広げることで

成長を実感する存在だ。

 

しかし、無理を重ねてでも

超えたいという衝動には危うさがある。

 

特に、それが「誰のため?何のため?」

という問いに明確に答えられない場合、

その行動は虚無に向かう可能性がある。

 

少年: 
じゃあ、限界を超えること

そのものが目的じゃダメなの?

 

メロディウス: 
限界を超えることは重要だ。

 

しかし、それが「目的」ではなく

「手段」であるべきだろう。

 

その先に何を見たいのか、

どんな自分になりたいのかという

「ビジョン」が必要だ。

 

でなければ、ただ疲弊していくだけだ。


 

第3章 「無恥」と「他者」の視線

少年: 
「容赦ない視線と

ムードに飲み込まれ」

って部分が気になる。

 

ここでも、他者の視線が

大きなテーマになっている気がする。

 

メロディウス: 
確かに。

この視線は、

おそらく社会の期待や

評価を象徴している。

 

人間は、他者からの承認を

欲する存在だ。

 

しかし、その視線が自己の行動を

支配し始めると、

自分自身を見失う危険がある。

 

少年: 
でも、視線を完全に無視するのも

難しいよね。

 

他人から認められたいし、

評価されたいって思うのが普通だし。

 

メロディウス: 
その通りだ。

だからこそ、「無恥」という姿勢が試される。

 

「無恥」とは、単に他者を

無視することではなく、

自分の価値基準を確立し、

それに基づいて行動することだ。

 

他者の視線に支配されず、

自らが自らの主人となる姿勢だね。


 

結論 鞭を手にする意味

少年: 
最後に、「鞭に夢中なら」って

繰り返されるのが印象的だ。

 

この「夢中」って、どんな意味なんだろう?

 

メロディウス: 
それは、おそらく「熱中」と

「執着」の二面性を持つ。

 

何かに夢中になることは素晴らしいが、

それが自己破壊的である場合、

鞭は自分を高める道具ではなく、

重荷や拘束具となる。

 

それを見極める力が重要だ。

 

少年: 
じゃあ、この歌詞が伝えたいのは

「鞭を捨てろ」ってこと?

 

メロディウス: 
いや、そうではないと思う。

鞭を使うか捨てるかは

「自分次第だよその先は」と

歌詞にあるように、

各人の選択に委ねられている。

 

ただし、その選択には

「誰のため?何のため?」

という問いを伴うべきだ。

 

自己を追い込む先に、

本当に求めるものがあるのか。

 

それを問い続けることが、

この歌詞の核心だと私は思うよ。

 

少年: 
なるほど…。

 

自分で選んで、

ちゃんと問い続けることが大事なんだね。