諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
緑黄色社会
馬鹿の一つ覚え
について哲学的に考察していく。
- 緑黄色社会「馬鹿の一つ覚え」MV
- 馬鹿の一つ覚えの歌詞
- 序論
- 第1章 「馬鹿の一つ覚え」とは何か?
- 第2章 偽りの正しさと自己欺瞞
- 第3章 愚かさを超えた真の誠とは何か?
- 第4章 人間の本質としての「愚かさ」
- 結論 愚かさを超えた「誠」としての自己実現
- 終わりに
緑黄色社会「馬鹿の一つ覚え」MV
馬鹿の一つ覚えの歌詞
馬鹿の一つ覚えでしょう
もう言い訳は聞き飽きたわ
枝分かれした訳の先から
花でも咲かせてみなさい
欺き続けりゃ
いつかは誠になるとて
暴かれちまえば
その分だけ愚の骨頂
いっそ派手にやれよ
ナイスなチョイスで
悦ばせて天枠にかけるほどに
変わってしまったのならば
冷静に燃える焔
最早えたようなものでしょうが
まほろばを探す前に
やらねばならぬ事がある
馬鹿の一つ覚えでしょう
もう言い訳は聞き飽きたわ
積み重ねてきた情が二つ
誤差なんてものではない
今を乗り切りたいのでしょう
無闇に口だけはよく回る
枝分かれした訳の
先から花でも咲かせてみなさい
そちらが掲げた
立派な誠があるなら
たゆたゆしすぎるわ
貫いてよ愚の結晶
どうした迷いなさんな
惚れた腫れたで済んだ事
芽吹かせたのなら
最期までノッてあげる
完璧なアリバイなんてない
その泪にある裏裏裏
あれも違うこれも
blah blah blah
見抜けてしまう
嗚呼もう嫌になるわ
馬鹿の一つ覚えでしょう
馬鹿にされた儘なんて
似合わないから
開きましょうショータイム
馬鹿の一つ覚えでしょう
もう言い訳は聞き飽きたわ
積み重ねてきた情が二つ
誤差なんてものではない
何より庇いたいのでしょう
やれ性懲りも無くよくもまあ
枝分かれした訳の先から
すべて翻すような
誰もが見惚れるような
花でも咲かせてみなさい
序論
少年:
メロディウス、
「馬鹿の一つ覚え」という
歌詞を読んでみたんだけど、
まるで自己矛盾や他人の虚栄心を
皮肉っているように感じるんだ。
どうしてこうしたテーマが
浮かび上がってくるのかな?
メロディウス:
そうだね、少年。
確かにこの歌詞には、
愚かさや虚飾に対する
鋭い指摘が込められているようだ。
だが、さらに深く読み解けば、
単なる皮肉を超えた
「人間の在り方」に対する問いかけが
含まれているかもしれない。
では、第1章として、
まず「馬鹿の一つ覚え」という
言葉の意味を探ってみようか。
第1章 「馬鹿の一つ覚え」とは何か?
少年:
「馬鹿の一つ覚え」って、
よく聞く表現だよね。
何か一つのことに固執して、
それ以外に目を向けない人を
指しているんだよね?
メロディウス:
その通りだよ、少年。
この表現には「愚かさ」が
含意されているね。
歌詞の冒頭に
「馬鹿の一つ覚えでしょう」
とあるけれど、
これは相手を責めているだけでなく、
自らの限界を認識するという
皮肉な視点もあるのかもしれない。
「他人の愚かさを非難しながら、
自分もまた愚かさから逃れられない」
という自己反省があるように感じるんだ。
少年:
つまり、自分も他人も、
馬鹿な一つ覚えを繰り返してしまう
存在なんだってこと?
それじゃ、愚かさから抜け出すのは難しいのかな?
メロディウス:
そうかもしれないね。
「馬鹿」とは他人にだけ
当てはまるのではなく、
自己の内にもあるものだからこそ、
より深刻なんだ。
自己認識が伴わなければ、
愚かさを永遠に繰り返す
運命にあるのかもしれない。
それが「馬鹿の一つ覚え」の
真意とも言えるだろう。
第2章 偽りの正しさと自己欺瞞
少年:
それにしても、
この歌詞は他人の
「言い訳」にも厳しいよね。
「もう言い訳は聞き飽きたわ」
なんて、まるで人が
嘘をついていることを
見透かしているように感じるんだ。
メロディウス:
面白い指摘だよ、少年。
多くの人は、
自分の行動や失敗を
正当化するために
「言い訳」をするものだ。
しかし、言い訳を重ねることは
往々にして自己欺瞞へとつながり、
真実から遠ざかる結果を招く。
ここでの「欺き続けりゃ
いつかは誠になるとて」
という歌詞は、
嘘が本当になるという
錯覚への警告とも言える。
少年:
でも、なぜ人は
嘘を重ね続けてしまうんだろう?
本当の自分と向き合えば
楽になれる気がするのに。
メロディウス:
それは恐れだよ、少年。
真実に向き合うことで自分の
「無価値さ」や「不完全さ」を
認めなければならなくなる。
しかし、歌詞は
「暴かれちまえばその分だけ愚の骨頂」と
言っているように、
偽り続けることは結局、
自分を傷つける愚かさを
招くと説いている。
だから、いっそのこと
「派手にやれ」と皮肉を込めて
言っているんだろう。
第3章 愚かさを超えた真の誠とは何か?
少年:
それにしても「誠」とは
何だろうね?
歌詞には「立派な誠があるなら」とか
「貫いてよ愚の結晶」といった
言葉が出てくるけど、
ただの正直さ以上の意味が
込められているように思う。
メロディウス:
そうだね、少年。
ここでの「誠」は単なる
「嘘をつかない」という
表面的な誠実さにとどまらない。
むしろ、どんなに愚かに見えても
「自分自身を生きる」という
意味に近いのかもしれない。
この「誠」は、人から見た
美しさや立派さではなく、
内面から生じる真実に基づいている。
少年:
なるほど、
だから「愚の結晶」という
表現が出てくるんだね。
愚かに見えたとしても、
自分らしく貫くことが重要だと。
メロディウス:
そうだ。
その「愚の結晶」こそが、
他者がどう思おうと、
自分が信じるものを
貫く意志と行動の結晶なんだ。
このようにして生きることこそ、
真の「誠」なのかもしれないね。
第4章 人間の本質としての「愚かさ」
少年:
それでも人間は
「馬鹿の一つ覚え」から
抜け出せない存在だと思うと、
少し残念な気もするなあ。
メロディウス:
確かにそうかもしれない、少年。
だが、愚かさは
必ずしも悪いものではないのだよ。
この歌詞が示すように、
人間は愚かさと共に生きる存在だ。
しかし、その愚かさの中にこそ
「人間らしさ」も宿る。
迷いや間違い、
自己欺瞞を繰り返しながらも、
「変わってしまった」と
気づくことができる。
その瞬間にこそ、成長と覚醒があるのだ。
少年:
じゃあ、僕たちの愚かさも
無駄ではないということ?
メロディウス:
その通りだよ、少年。
愚かさを嘆くのではなく、
そこから何を学び、
どう進むかが重要なんだ。
この歌詞では、何度も
「花でも咲かせてみなさい」と
促されているように、
人間の愚かさがいつか美しい花を
咲かせる可能性を示唆しているんだ。
結論 愚かさを超えた「誠」としての自己実現
少年:
結局、この歌詞は
「馬鹿の一つ覚え」を
ただの皮肉や非難として
捉えるだけではなく、
愚かさを抱えながらも、
そこから花を咲かせるために
自分を貫くことを説いているんだね。
メロディウス:
その通りだよ、少年。
この歌詞が伝えるのは、
「愚かさ」から目を背けず、
それを内包しながらも「誠」を
持って生き抜くことの重要さだ。
「馬鹿の一つ覚え」であることを恐れず、
他者の評価に左右されずに、
自らの道を貫くことが、
人生を豊かにするのだろう。
少年:
僕も、自分の
「馬鹿の一つ覚え」を
大切にして生きていこうかな。
そうすれば、いつか花を
咲かせることができる気がするんだ。
メロディウス:
そうだ、少年。
人間は愚かさを
抱えているからこそ、美しい。
迷いや葛藤を恐れず、
自分の「誠」を見つけ、
いつかその道に花を咲かせてみなさい。
愚かさを超えたその先に、
きっと「まほろば」が待っているだろう。
終わりに
この対話を通じて、
「馬鹿の一つ覚え」という
歌詞が持つテーマを、
愚かさを抱えながらも
自己を貫き生きることの
意義として捉えることができました。
愚かさを超えて「誠」を貫く、
その先には必ず「花」が咲くのでしょう。