諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
菅原圭
不完全に恋
について哲学的に考察していく。
菅原圭「不完全に恋」MV
不完全に恋の歌詞
きっとあなたのせいで
言葉うしなって
また恋をする
後ろ姿に私思いつられて
恋うららなんて
可愛いものじゃなくて
いまにも神だのみ
同じ髪型にしたって
同じリップと交差点
あぁ
すれ違うだけ
愛を問うだけ
そんなあなたが言った
その一言で
恋が濁るの
嫉妬 私のせいで
赤く染まった
姿見れないから
きっとあなたのせいで
私不完全で後ろ髪を引く
きっとあなたのせいで
言葉うしなって
また恋をする
惨めで
眠れない
深い深い戸惑い
目隠しの糸を引く
なにも見ず走りきるほど
私はつよくはないから
こんな夜更けに
笑ってたあなた 無邪気
あぁ、ときめいたけど
想いがないってわかんだね
未完の恋 臆病で
そんなあなたが言った
その一言で
恋が濁るの
まだあなたのせいで
私不完全で後ろ髪を引く
嫉妬 私のせいで
赤く染まった
姿見れないから
きっとあなたのせいで
私不完全で後ろ髪を引く
あなたのせいで
言葉うしなって
また恋をする
惨めで
眠れない
きっと
また恋をする
また恋をする
序論
恋の感情が持つ複雑さや
未完成なまま漂う想いは、
人々が自分自身や他者について
考えを巡らせるきっかけになります。
菅原圭の歌詞
「不完全に恋を」には、
愛することによって生まれる葛藤や痛み、
そしてそれが再び恋へと向かわせる力が
表現されています。
歌詞に描かれる感情の波を通じて、
少年とメロディウスの二人は
恋愛という不完全な形を追い求める
人間の本質を探求していきます。
第1章 不完全な愛の意味を問う
少年:
「恋って、どうしてこんなにも
心をかき乱すんだろう。
歌詞では“私不完全で”とか“
後ろ髪を引く”といった
言葉が出てきて
、恋によって何か大切なものを
失ってしまう感じがするんだよね。
でも、同時に
“また恋をする”って言っていて、
失ったままでいようとしていない。
どうして恋がこんなに揺れ動くんだろう?」
メロディウス:
「恋は人間の感情の中で最も強烈で、
矛盾に満ちたものだからだろう。
愛は相手を求める気持ちだが、
同時に自分をも揺さぶり、
変えてしまうものでもある。
“不完全”という言葉には、
自己と他者の間に
埋められない隙間があることを示している。
人は恋において理想の姿を求めるが、
その理想は常に届かない
遠い存在であるため、不完全さが際立つのだ。」
少年:
「じゃあ、その“不完全”なままに
しておくことが恋をすることなの?」
メロディウス:
「ある意味ではそうだろう。
不完全さに向き合うことが
恋愛の本質でもある。
人は他者に惹かれ、
他者を愛することで自分が
未熟であることに気づく。
だが、それを認めることは難しい。
恋が濁るのも、
相手に向ける想いが純粋な形でなくなり、
自分の中でかき乱されるからだ。」
第2章 嫉妬と自己喪失
少年:
「歌詞の中で“嫉妬
私のせいで赤く染まった”
とあるけど、
嫉妬ってどうして生まれるんだろう。
相手を想う気持ちがあるからこそ、
嫉妬するんじゃないの?」
メロディウス:
「嫉妬とは、相手に対する
独占欲から生まれる感情だ。
恋愛において人は、
自分だけが相手の特別な存在で
ありたいと願う。
だが、それは他者に依存し、
自分自身を見失うことを意味する。
『赤く染まった』という表現には、
理性が薄れ、感情に支配される
様子が描かれている。
愛することで自己を喪失する危うさ、
これが恋の持つ魅力であり、
恐ろしさでもあるのだ。」
少年:
「それって、自分を傷つけることを
わかっていても恋にのめり込むってこと?
そんなに痛い恋なら、
しない方がいいんじゃないかって思っちゃう。」
メロディウス:
「確かに、恋はしばしば痛みを伴う。
しかし、
痛みを恐れて恋を避けることは、
自分の感情の深みから
逃れることでもある。
恋愛において感じる痛みや嫉妬、
喪失感は自己を
見つめ直すための機会でもある。
嫉妬することで自分が
どこまで相手を求めているのか、
自分が何に不安を感じているのかを
知ることができる。
恋の苦しみから得られるものも
また、自己理解の一部だ。」
第3章 未完の恋と希望
少年:
「歌詞には“未完の恋”という
言葉があるけど、
未完成な恋ってどんな恋なんだろう?
完成しないまま恋を終えることって、
結局は無駄じゃないの?」
メロディウス:
「未完の恋というのは、
達成されない恋、
つまり成就しない愛の形を指している。
恋が成就しないことは
確かに痛みを伴うが、
未完であるからこそ人は再び恋を求め、
成長し続けるのだ。
完璧な愛を得たとき、
人はそれに満足し、
新たな追求をしなくなるかもしれない。
しかし、未完の恋は常に
次の恋愛や自己探求の始まりを意味する。」
少年:
「でも、それなら結局恋に
何度も傷つけられるだけじゃないの?」
メロディウス:
「確かに、恋には傷つくこともある。
だが、未完であることが恋の美しさでもある。
未完の恋が残すものは、
失望や痛みだけでなく、
次に進むための力にもなる。
歌詞の“また恋をする”という部分には、
何度傷ついても再び恋を求める
人間の本質が表れている。
完全な愛が得られないことを知りながら、
それでも愛を求めることに
人間の強さと弱さがある。」
第4章 恋と自己探求
少年:
「恋をすることで自己を失い、
でもその中で自分を見つけるって、
なんだか矛盾してる気がする。
でも、歌詞では“また恋をする”
と繰り返し言っているし、
もしかして恋は自己探求の旅
みたいなものなのかな?」
メロディウス:
「その通りだ、
恋とは自己探求の一形態だと言える。
恋愛を通して、人は自分が何を求め、
何を恐れているかを知ることができる。
恋の中で感じる不完全さは、
自分がまだ何かを
見つけられていないことの証だ。
恋によって自己が揺らぐことで、
人は自分自身の欠落や弱さに気づき、
さらに深い自己理解を目指すのだ。」
結論
菅原圭の「不完全に恋を」に
描かれた愛の形は、
人が恋愛を通じて自己と向き合い、
不完全であるがゆえに
求め続ける姿を表しています。
少年と哲学者の対話からは、
恋愛が持つ不完全さと、
その不完全さが再び恋を促す力で
あることが見えてきました。
人は恋により一時的に自己を見失い、
時には嫉妬や喪失感に苛まれますが、
その中で自己理解を深め、
成長していくのです。