音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】清水美依紗/TipTap 人生という舞台で踊る!曲の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

清水美依紗
TipTap

について哲学的に考察していく。


 

清水美依紗「TipTap」MV

www.youtube.com

TipTapの歌詞

Ah!! 
人生は奇想天外や
なんて超奇々怪界なのでしょう
これじゃこれじゃ
持て余しちゃうわ
薔薇色の真実なんて
マジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap, Tip Tap
Tip ap, Tip Тар, Tip Tap
人生は蜉蝣(カゲロウ)
栄光は蜃気楼
そんなんじゃつまんない
お気楽に生きましょう
電脳煩悩洗脳
窮屈なんて退屈
I wanna, I wanna, 
I wanna be free
移ろう時代に
運命の糸
今ここで断ち切ろうか
Ah!! 
人生は奇想天外やなんて
奇々怪界なのでしょう
これじゃこれじゃ
持て余しちゃうわ
薔薇色の真実なんてマジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap,

Tip Tap Tip Tap,

Tip Tap, Tip Tap
背徳感の味を覚えたら
非日常からもう帰れないの
順序よく進めていた
純情の面影は
どこにどこに忘れたの?
不測の異常事態
居心地のいい
今このままも悪くない
Ah!! 
人生は素晴らしいなんて
誰がそう言い出したのでしょう
それはそれは半分違うわ
薔薇色の人生なんて要らないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
ユラユラ揺れるままにフラフラしたって構わない
ラクラ 
するほど移ろいやすいから
Ah!! 
人生はこんなに
難解でそれでいて
単純なのでしょう
滑稽だわ
薔薇色の真実なんてマジないわ
今夜こそねえ白黒つけましょう
Tonight 気ままに踊りましょう
死ぬまで踊りましょう
Tip Tap, Tip Tap,

Tip Tap Tip Тар,

Tip Tap, Tip Tap
Ah!! 人生

 

序論 奇想天外なる人生の舞台

「Ah!! 人生は奇想天外やなんて

奇々怪界なのでしょう」という冒頭は、

人生が予測不能であり、

混沌とした舞台であるという認識を示します。

 

ここにおいて、

哲学的視点からの問いは

次のように浮かび上がります。

 

人生は果たして

意味のある秩序を持つのか、

あるいはただ偶然の連続なのか。

 

カール・ユングは言います。

「偶然は神が匿名で行動する手段である」と。

 

この奇妙な世界の理不尽さこそが、

私たちを生の核心へと誘うのです。


 

第一章 「人生は蜉蝣」:無常と幻影の美学

「人生は蜉蝣、栄光は蜃気楼」

という歌詞は、

存在の無常さと栄光の儚さを強調します。

 

仏教における「無常」の

教えを想起させるこのフレーズは、

万物が常に変化し、

持続するものは何もないという

真理を示しています。

 

ヘラクレイトスもまた

「同じ川に二度入ることはできない」と述べ、

流動する存在の本質を見事に表現しました。

 

ここで問題となるのは、

私たちがこの無常の中で

いかに生を肯定するかということです。

 

蜉蝣(カゲロウ)の一瞬の輝きにこそ、

生の真実が隠されているのかもしれません。

 

第二章 電脳と煩悩:自由への渇望

「電脳煩悩洗脳、窮屈なんて退屈」

という一節には、

現代社会における

テクノロジーと精神的束縛への

反発が込められています。

 

ここでは、

ジャン=ジャック・ルソー

「人間は自由なものとして生まれたが、

至るところで鎖につながれている」

という言葉が浮かびます。

 

欲望と規範の狭間に揺れる現代人は、

外的な自由のみならず、

内的自由をも希求します。

 

「I wanna be free」という

言葉にこめられた切望は、

サルトルの言う

「人間は自由の刑に処されている」

という実存の苦悩を反映しています。

 

第三章 白黒の選択:存在と意志の力学

「今夜こそねえ白黒つけましょう」

という宣言は、曖昧な状態を拒絶し、

明確な選択を求める意思の表れです。

 

この二項対立は、

ニーチェ善悪の彼岸

指摘したように、

道徳的規範に縛られた判断を

超越する挑戦にも見えます。

 

決断の瞬間は存在

そのものの確認であり、

カール・ヤスパースの言う

「限界状況」に相当するものです。

 

私たちは

「選択しないこともまた選択である」

というアンガジュマン(責任ある行動)を

担う存在として、

白黒をつけることが求められています。

 

第四章 非日常の甘美と純情の忘却

「非日常からもう帰れない」

「純情の面影はどこにどこに忘れたの?」

という一節では、

現実逃避の誘惑と

その中で失われる純粋さの葛藤が

浮き彫りにされています。

 

プラトン

「享楽の快楽は一時的なものであり、

真の幸福は魂の充実にある」と語ります。

 

しかし、この楽園の喪失は

必ずしも悲劇ではありません。

 

ヘーゲル

「精神は自己を失い、

再びそれを取り戻す運動によって成長する」

と述べ、喪失の中にも

成長の契機があることを示しています。


 

結論 薔薇色の幻想を拒む生の肯定

「薔薇色の人生なんて要らないわ」

という拒絶には、

自己欺瞞から解放された

生の肯定が見出せます。

 

シモーヌ・ヴェイユ

「真実の愛は幻想の死によってのみ得られる」

と述べ、幻想を捨てたときにこそ、

私たちは本物の生を見いだせると説きました。

 

滑稽でありながらも

単純であるこの人生を踊り続けること,

それこそが真の自由かもしれません。

 

「死ぬまで踊りましょう」という言葉は、

アルベール・カミュ

「不条理の中で諦めず生きる者は英雄である」

という思想を体現しています。

 

終わりに

この分析を通じて、

『TipTap』は、無常の中で踊り続けること、

甘美な幻想を拒みつつも楽しむこと、

そして自由を追求することを

私たちに促していることが明らかになりました。

 

人生とは、その意味を捉えきれぬほど

複雑でありながら、

踊るようにシンプルなものであるのです。

 

※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。